第八話『雨曝しなら濡れるがいいさ』
梅雨入り前とはいえ、ここ数日はずっと雨模様。
空は鈍色のまま、時間の感覚もぼやけてくる。
でも、ありがたいことに予約はちゃんと入っている。
湿気で髪がうねって困る人は多いからか、この季節は縮毛矯正の需要も高い。俺らにとっては稼ぎ時ってわけだ。
先日のあれこれ──サバが飛び交って、スロットが勝手に光って、テンション高めのゴーレムが接客して──
あんなの、夢か現か、いまだによくわからない。
ただひとつ確かなのは、あのあとに食べた“時空対応アイス”がやたらと美味かったこと。それだけだ。
あの日以降、元・診療所のシェアハウスに住む俺たち3人は、またそれぞれの日常に戻っていた。
どんな職種でもそうだけど、仕事中は集中している分、余計なことを考えずに済む。
店の外はいつの間にか、土砂降りになっていた。
「うわ、まじか……」
最後のお客さんが帰ったので、今日の仕事はここまで。
あとは掃除して、レジ締めて、少しボーッと一服してから帰るだけだ。
「……はあ〜、やるか」
そう思って立ち上がった瞬間だった。
「おつかれーション! ハルちゃ〜ん!」
ドアを勢いよく開けて飛び込んできたのは、レグだった。
その後ろからは、苦虫を噛み潰したような顔をしたドラン。
足元の濡れ具合から、外の雨の強さが伝わってくる。
「おいおい、2人してどうしたんだよ」
予想していなかったから、思わず声が出た。
「いや〜久々にスロット勝っちゃってさ? あと、髪が重たくなってきたから切りたくなっちゃったんだよね〜」
「俺は付き添いだ。荷物が届かなくて暇だったからな」
──おそらく、またレコードでも注文したんだろう。
「こんな天気の中、よく来たなあ」
「脳汁ドバドバだったからね! 帰りは一緒に!濡れて!!帰ろうぜ〜!!!」
レグが当然のようにセット面の椅子に座ったので、俺は無言でクロスをかけた。
「……まったく、お前ってやつは」
「え? なになに、愛の告白?」
「んなわけねーだろ!」
濡れた髪を改めてスプレーで湿らせてから、オールバックにとかしていく。
レグは目を閉じながらも口元をニヤニヤさせている。
「あれ? ドランは?」
「あそこ」
振り向くと、ドランは待合スペースの本棚にある雑誌をパラパラとめくっていた。
読んでいるのは──まさかの料理雑誌。
「ドラン、料理とかするっけ?」
「うるさい」
短い返事のわりに、耳がほんのり赤くなっている。
俺はニヤけそうになるのをこらえながら、レグの耳まわりにバリカンをあてていく。
「そういえば、あの魔道具スロット。あれから何も変化ないんだよね」
レグが鏡越しに目を合わせてくる。
「なんかそうみたいだな。とりあえず放置でいいんじゃね?」
「進化するとか言ってたけど、美少女に進化したりしないかな? だったら最高なんだけど!」
「バカか」
「いや〜なんか、変に期待しちゃうよね〜」
くだらない会話と雨音、そして店内に流れるチルヒップホップが、ほどよく混ざり合っていた。
「はいよ、こんな感じでどう?」
前下がりのセンターパートスタイル。耳周りはしっかりとツーブロック、そこから高めの位置でグラデーションを繋げている。
レグは鏡を覗き込んで、「完璧〜これこれこれ!」と満足そうに笑った。
「俺、これから掃除とか締め作業あるんだけど、お前らどうすんの?」
「んー、ドランがさ。帰る前にちょっと古着屋行きたいって言ってたんだよね」
レグの言葉に俺が振り返ると、ドランは軽くストレッチをしながらうなずいた。
「気になる店がある。前からチェックしてた」
「へえ〜ドランにそこまで言わせるなんて、よっぽどなんだな」
「インスタで見た感じ、セレクトが妙に良くてな。現物はもっといいかもしれない」
「気になるな、それ」
「もしかしてハルマに見せたいんじゃないの〜? このパンツどう? このシャツどう? って!」
レグがいつもの調子で絡んでくるが、ドランはナチュラルに無視していた。
「実際、ハルも好きそうなアイテム置いてそうだった」
「マジか。ちょっと見てみたいな」
「じゃあ決まりだな。終わるまで待ってるから、ちょっと覗いてみよう」
「俺も行く! 古着女子いるかも〜」
「しょーもない奴だな……」
俺が床の髪の毛を掃除しようとした、その時だった。
ドランのスマホが「ポン」と鳴った。
「……えっ」
画面を見たドランの顔が、みるみるうちに青ざめていく。
「置き配されてる……!」
「は?」
「さっき言ってた荷物……この雨の中、玄関前に! レア盤なんだぞ!?」
ドランは一瞬で顔をしかめると、次の瞬間には玄関に向かって走り出していた。
「……え、じゃあ古着屋は?」
「無理だっ!」
バタン、とドアが閉まる音。
俺とレグは顔を見合わせた後、同時に吹き出した。
「ま、また今度だな」
「だな。……軽く飲みにでも行くか?」
「それな」
雨はまだ降り続いていたけど、なんだか心は軽かった。