二匹のイヅナ②
クツナエンタテイメントのチーフマネージャーである玖綱陽一は、先ほど事務所でちょっとしたトラブル対応を終えて自宅に戻った。同じマンションには担当俳優の飯綱御影がいとこのひよりと暮らしている。ということは例にもれず陽一も同様で。
「おかえりなさい!」
「……あぁ、ただいま」
ドアをあけるとすでに明るい玄関の奥から黒髪の女性が顔を覗かせた。
「食事はしたか?」
「あ、あの。待ってました……」
「すまない。すぐ準備する」
「はい」
何か言いたげな様子だったが、着替えてからリビングに戻るとうちの事務所に所属する美琴が礼儀正しくダイニングの椅子に座っていた。陽一は冷蔵庫から桐箱を取り出し、中に入った栓をした徳利のような器から升に中身を移して彼女の元へと運ぶ。
「どうぞ」
「いただきます」
女優の名に恥じない美しいかんばせをほころばせながら、彼女はそれに口を付けた。生白い喉がこくりと鳴る。
「変化は解いてもいいんだぞ」
「あっ、さっきまで台本を読んでいたので忘れてました……」
そう言うと髪の色はそのままに頭と耳の形がイヅナのそれに変わった。帰ってきてからずっとそうしていたのだろう。ソファの前のローテーブルに彼女の仕事道具が広げられている。人間ではないミコトは食事を必要としないが、陽一の近くで芸能の仕事をするためにも同じように食事を嗜むことはある。
「別に俺を待たなくたっていいんだ。迎え酒は冷蔵庫にいれてあるから飲んでもらっても構わない」
「……ごめんなさい」
うちのお狐様は控えめだ。
もともと先代のキエが還暦の頃に契約を結んだらしく、次で転生を果たすミカゲの後継にあたるイヅナのはず。二体同時に契約するなど異例のことで、先代の力はそれほどまでに強大であった。目の前で大きな狐の耳が下がってあきらかにシュンと落ち込んでいるのは、主として居心地が悪い。
ミカゲと比べると力も弱い個体のようで、あれだけズケズケ言い合っているミカゲとひよりを見ているせいで、ミコトは全くと言っていいほど自己主張をしない。
「今回の作品、稽古期間でも迷惑行為があった。ミコトも何か困ったことはないか?」
「う~ん、特には感じてないですね。女性向けの作品ですが、主要キャストとそれといった絡みもないので……写真も注意喚起はされてますし……」
「そうか、始まるまではひよりが稽古場に行くから何かあれば相談してくれ」
「はい」
「……飲んでてくれ、夕飯の仕度をしてくる」
それ以上、会話がなくなった。ミコトと生活するようになってから業務連絡のようなやりとりばかりで、申し訳ないような気持ちになってくる。でもそれ以上を彼女が望んでいないように思えて、この事についてなにか言うつもりはなかった。ひよりを通してでも何か伝えてくれればいいのだが。
****
早速翌日から、稽古場にもひよりが同行することになった。今日は午前に別の仕事があり、そのまま稽古場に直行する。御影はまだ寝ていたので、ひとりで来るのだろう。
雑誌の取材だったので滞りなく仕事は進み、稽古場付近まで車で移動していた。
「いつも運転ありがとうございます」
「いいのいいの!お昼どうする?何食べたい?」
「んー………ひよりの好きなものでいいですよ」
「もしかして美琴さ、あんまり人間のご飯好きじゃない??」
「知らない、といった方がいいかもしれません。あっ、甘いものは好きです!」
「そっか、私も美琴がお稲荷さん好きなのは知ってたけど、ほかの聞いたこことなかったなって。マネージャーが担当タレントの趣向知らないのはまずいと思って……」
「わたしも差し入れでいただいたものでも、ぱっと名前が出てこなくて……お友達の役者さんに『おばあちゃん子なんだね』って言われてしまって、そろそろ誤魔化せなくなってきました」
「そうか、和菓子は良く知ってるもんね」
「はい!キエがよく見せてくれました!」
美琴の話を聞くに、先代とのやりとりはミカゲとは少々異なる。イズナとして契約を結んだ経緯が大きく違うことと、単純に歴が浅いということ。ヒトの形をとれるようになったのもキエが晩年の頃で、俗世に疎いことに納得する。
それにしても。二人ともおばあちゃんの話になると表情がぐっと柔らかくなり親しみやすさがにじむ。その時に撮られる写真がとても好評だったから御影のインタビューもある時期はおばあちゃん子エピソードだらけになった記憶がある。
親族経営ということはある程度知れ渡っているし、所属タレント同士が血縁であることも珍しいことではない。従兄妹設定はここぞという時までとっておきたかった。美琴も次のオーディションも大きな役で声がかかっているし、いわゆる“女主人公モノ”で抜擢された時の火消し道具としてもとっておきたい。
「よし、じゃあ気になってたワッフルのお店に行こう!稽古場からすぐだから車置いてから歩いて行こ」
「わっふる……薄い生地にクリームが入ってるやつですか?」
「惜しい!あみあみ模様のだよ」
これから激しい運動もあるし、人間ではないができるだけ気力の保つものを食べてほしかった。ご飯系もスイーツ系もそろっているようだし、メニューを見せるとすごく真剣に悩んでいる様子が可愛くて、SNS用の写真を何枚か撮れて満足だ。自撮りをあまりあげない美琴のアカウントでは“マネージャー視点”のオフショットはかなり需要がある。