お仕事とご褒美②
「あ、鹿島さんお稲荷さんコメントしてくれてる」
「なかなか好評だった。褒めて遣わす」
「おばあちゃんのご贔屓だったお店なんだよ」
「は?褒めて損した。キエは最高だな」
「はいはい」
事務仕事を終えて帰宅すると、御影は変化を解いてソファでだらけてスマホを眺めていた。
このマンションはセキュリティの整った物件で、なおかつ御影はカメラやファンに狙われる恐れがある場合は術で認識を惑わせるため、世間にバレることはない。
「おい、今月三度目だぞ。いい加減にしろよ」
「公式の方と、作品公式からも注意勧告しておくよ。ごめんね、力を使わせて」
白い尻尾がボフボフとソファを攻撃して埃っぽくなる。相当ご立腹のようだ。本当の姿は九尾の白狐のイズナだから尻尾をひとつしか出してないあたり、まだマシな方。九つも揃えば巨大な毛皮の塊のためひよりへの当たりも強い。
「キエはこんなことさせなかった。あいつは力が強かったから」
人間の姿を保つのさえ億劫らしい。鹿島晴日の投稿にいいねとリプライを送りながら文句を垂れる。神々しい姿と俗世にまみれた行動がひどくアンバランスだ。
「でも私はあの人にはなれないし、御影が選んだんだよ」
「ああ、そうだ。俺がお前を血で縛った」
ソファの下から睨んだら、神様の前で何かを乞いているようだった。あやしく笑う御影の金色の目が光ったように見えたと思ったら、強靭な力で胸ぐらを掴まれてソファに乗り上げさせられ身体が密着する。
「どうしてお前が《《九人目》》なんだよ……」
「そんなの、知ら、ない……っ」
まるで傷ついたというように神様は美しい顔を歪ませた。たった六年じゃ途方もない年月を生きるミカゲの心は動き出さない。
「……キエ」
幼児が人形を抱えて眠るかのように、綺麗な神様はひよりを同様に扱って想いを馳せる。
「……今日はお酒じゃダメみたいだね。いいよ、ほら」
「……」
ひよりは観念したように腕を広げた。虚な目でひよりを見下ろしたミカゲは、緩慢な動きで彼女の腕を掴む。そして、柔い部分に牙を立てた。
(本当に、どうして私が九人目だったんだろう)
「キエの、血だ」
腕に僅かに流れた血の線に丁寧に唇を這わせながらうっそりと微笑んだ。
イヅナとは霊狐である。
神格を高めるために必要な契約は九つとされている。契約が成し遂げられる度に、神気として尾の数が増えていくのだ。
ミカゲは先代キエとの契約が終わると同時に九尾となった。あとは今の契約を終えれば正真正銘の神に昇格する。力だけで言えば九尾になった瞬間に神のそれと同等だ。ひよりの力などミカゲからしたら赤子なのである。
だからこそ、キエとの差が至る所で浮き出るようでミカゲは腹立たしかった。
玖綱キエは代替わりの当初から、八尾のミカゲをも凌ぐ霊力を持っていた。ミカゲの歴代契約者の中でも最強の力。同時に二体と契約するほどの器量の持ち主。あの女が欲しかった。自分のものにしたかった。でもそれは力及ばずに、彼女が寿命を迎えてしまった。
もしキエが九人目であったなら、血ではなく魂ごと存在を縛り付けられていただろうに。たった一世代のズレが、こんなにも苦しい。
自分が神となったその隣に、そばにいて欲しかったのはキエだというのに。途方もない未来永劫の伴侶には彼女だと出会った頃から感じ取っていた。
古来より、人間はヒトならざるモノへ『酒』を捧げることがある。我々に恩恵を、そんな願いを込めて神々に祈りと供物を捧げるのだ。
だが、それは時間と共に変化した慣習のひとつにすぎない。
契約の証として、ヒトが捧げられる唯一のモノが『血』である。イヅナを使役する飯綱使いも一族を『血』で縛ると同時に、本来であれば使役するたびの褒美として己の血を与えていた。しかし人間は脆く、回数が増えるほど自身を蝕む可能性があった。そこで人間は、『血』に少しずつ酒に混ぜて行った。酒は血の褒美で得られる快感に似ていて、酔いはその違いを惑わしてしまう飲み物だった。血を混ぜた酒はやがて酒のみとなり、イヅナへの褒美も基本的に酒に変化していったのだ。
しかしそれはまやかしの貢物。効力が薄まれば、契約者は彼らの望むままに血を差し出すほかないのだ。
たった今、生き血を差し出した娘が眠るソファを見下ろして舌打ちをした。
先代の書付によれば、霊力が神格に近づいているミカゲは定期的に血を欲しがるようになっているようで、ひよりはそれに従っているだけである。
だってそうでもしないと、ミカゲはキエを感じることができないのだから。
霊力はキエの足元にも及ばない。術者としての才が圧倒的に欠けている。それでも、自分にはこの娘しか残されていなかった。
神へと転生するためには、あと一人の人生の時間を過ごすしかないのだから。