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ヒロイン始動⑤

 衝撃的な出来事の後で車内は誰も喋らなかった。後部座席に二人を乗せたが、陽一が運転席からミラー越しに見るとそれぞれ窓の外を眺めていてまるでケンカ中のカップルのよう。ラブストーリーを演じる主人公とヒロイン同士には見えなかった。さほど時間もかからず駅のロータリーに到着して晴日がドアを開けた。


「送っていただいてありがとうございました。後日うちの方からあらためてお礼させてください」

「ご丁寧にどうも。美琴のことも引き続きよろしくお願いします」

「それと……」


 晴日は丁寧に頭を下げて申し出た。陽一もそれに答えて当たり障りなく挨拶をする。最後に晴日が気まずそうに視線を陽一に移したが、彼はハンドルを握っていない方の手で唇に指を一本あてた。


「いえ、なんでもありません。美琴ちゃんも今日はびっくりさせてごめんね。ゆっくりやすんでね」

「はい、おやすみなさい」

「では、失礼します」


 晴日がドアを閉める直前に、美琴は後部座席のドアを開けて降りた。思ってもみなかった彼女の行動に、びっくりして閉めるドアが大きな音を立ててしまった。


「あっ、ごめんなさい……え!?美琴ちゃんもこの駅?」

「いえ?」


 車体を挟んでなんとも変な会話をしたと思ったら、美琴はきょとんとした後なんのためらいもせずに助手席のドアを開けて、会釈をして車に乗り込んだ。


「ではお気をつけて」

「うん……また稽古場で」


(俺、マネージャーの車で助手席に乗ったことないかも……)


 ごく当たり前のことのように行われた一連の行動に、車が去っても晴日の心に何かが引っかかったままだった。


 一方で、車内は以前無言のままだった。晴日も乗せていたから、まさかいつものように隣に移動するとは思わなかった。それでも美琴は機嫌が悪そうな動作で乗ってきたし、一度もこちらを向いてくれない。

 駐車場についてエンジンを切ると、左からシートベルトのボタンに手が伸びてきて外された。


「美琴?」

「動かないでください。荷物はうしろ?」

「あ、ああ」


 美琴が言葉少なに問いかけてきて陽一は戸惑いながら答えるしかできなかった。淡々と車を降りた美琴が後部座席にまわり陽一の荷物を持つと運転席のドアを開けた。無言で手を差し出してくる。掴むのか?と陽一が視線を泳がせているとポツリと一言落ちてきた。


「キーも」

「え?」


 おそるおそる差し出すと、美琴はさっさとキーを奪って降りろと促してくる。陽一がやっと身一つで降りると、美琴が運転席のドアを閉めて手元のそれでロックした。


 陽一は確信した。美琴が怒っていると。つい先日、自分たちはケンカをしたことがないという話をしたことを思い出す。御影とひよりは常日頃から互いに感情をあらわにするが、御影があしらっているだけで相手にされてないのも同然だ。でも俺たちは、そういった経験がない。

 品行方正な術者と使い魔。そのツケがとうとう来てしまった。


「み、美琴……」

「早く入って」


 先に玄関に促され家に入った先で、美琴がドアを黙って閉めた。陽一がもたもたしている間に美琴は後ろからするすると廊下を進んでしまう。


「陽一」


 部屋の奥から呼ばれた。陽一は覚悟を決めてのろのろと美琴のいるリビングに向かえば、救急箱を手にした彼女が忙しなく動いていた。


「上着を脱いでソファで待っててください。ほら」

「ああ……」


 美琴があわただしく髪を後ろで結び、浴室から洗面桶をキッチンに運んでいる。お湯を沸かしているらしかった。電気ケトルからぼこぼこと音が鳴る。

 変な緊張を抱いたまま陽一は大人しくソファに座った。ああ、もうすでにバレていたのか。


「左手」

「はいはい」


 観念したように差し出された陽一の手をそっと掴み、シャツの袖ボタンを外した。手の側面と手首から肘にかけて薄い切り傷があらわになった。お湯で濡らしたタオルで患部を優しく拭った。


「どうして黙っていたの」

「ただの“トラブル”が警察沙汰になるから」

「それは……」


 ただのファントラブルで留まれば公演に影響は出ない。しかし怪我人が出て警察沙汰になってしまえば、公演に大きな影響が出る。主演俳優をかばってけがをしたのならなおのこと。さすがに大けがだったら隠すことはできなかったが、小さな切り傷程度ですんだから陽一は黙ることにしたのだ。

 賢明な判断であると頭では理解している。でも美琴はやり切れない気持ちでいっぱいだった。目に涙があふれそうになるのを唇を強く引き締めることで耐える。


「わたしは、あなたに傷ついてほしくない。ちゃんと大事にしてほしい」


 大きく息を吸って、それをそのまま一息で言葉を吐きだした。静寂が襲ってくる。陽一はなんて声をかけたらいいかわからなかった。でもいま初めて美琴が、自分に対してはっきりと主張を口にした。その事実に面食らっていると、美琴の涙腺が決壊した。生白い頬を伝ってぽろぽろと涙が落ちる。


「大切にしたいのに……わたしはそばにいないと守れないのに……!!」


 かわいそうなほど泣きながら、それでも手当の手を止めずに左腕と手に包帯を巻いていく。すべて終わった陽一は手持ち無沙汰の右手で美琴の頬を拭った。


「どうして君が泣くんだ」

「人間は脆いんです。あなたはわたしのことを大事に扱うのに、こんなの、おかしい……」


 イヅナとは契約した主の手足となって従うものである。人間と契約した以上、その血筋に尽くして繁栄をもたらさなければならない。ミコトが先代のキエと契約した時、ミコトは死にかけていた。キエと契約しウカノミタマノカミの眷属となる形で、消えかかっていた命を繋ぎとめたのだ。


「俺がしたくてやった結果だ。それに君にそこまで命じたくはない」

「わたしは……キエに、恩返しがしたかったの」

「恩返し?」


 ミコトの思考は混乱していた。この人を、この血を守り幸せに導くことがこの命の意味。傷つけ、不幸になんてしたくない。


「わたしは……!あの人に恩返しができればそれでよかったの!!死ぬときは、わたしも一緒に連れて行ってねって。あなたを縛るつもりはなかったの!!」


 (そうか……)


 告げられる言葉に、陽一はひとりどこか遠くを見てるような気持ちで納得した。陽一とミコトにはずっと壁があった。ヒトではないものと心を通わせることなどできないと漠然と諦めていたのかもしれない。それはミコトもそうだと思っていた。

 しかし彼女から語られる先代への気持ちは、その壁が見当たらなった。命の恩人への全幅の信頼。陽一が築いていけなかった絆が、彼女の中には確かにあるのだ。いま向けられている気持ちが自分には向いていないのだとまざまざと思い知る。


「……この仕事が辛いなら辞めてもいいぞ」

「……っ!?」

「ただこのミュージカルは最後までやってもらう。降板は許可できない」

「…………はい」

「次の仕事はしばらく取らないようにひよりに伝える。手当ありがとう、明日は休みになったから美琴もはやく休め」


 言ってしまった。でも否定も肯定もなかった。命令のような口調にするつもりはなかったのに、気を遣える余裕が今の自分にはないことに動揺した。ソファの下でへたり込んだままの美琴の顔も見ずに自室に入ってしまうくらい、思考がまとまらなかった。

 深くかかわってこなかったツケが大きな亀裂を生んだのだと、起きてしまったことは変えられない。それでも辞めることは許されていない。それが、人間とイヅナの契約なのだから。

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