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ヒロイン始動④

 通常稽古が始まった。キャストも勢ぞろいしてスケジュールに沿ってシーン練習や衣装の調整が行われていく。

 シナリオ上、ヒロインだとしても女性向け作品のため見せ場のほとんどは男性キャストによるシーンである。大きな転換点や、ルート上の恋愛シーンに美琴が登場する。待機の時間は男性メインキャストたちよりは多くなるのだ。端の方で発声練習をしながら、美琴は殺陣稽古をしている鹿島晴日を視界に入れた。

 さすが2.5次元作品に引っ張りだこの俳優だ。今回は座長として座組の雰囲気づくりに精を出していた。気遣いのできる人で、周りをよく見ている人だ。御影も言っていたことだが、彼の纏う明るいオーラはイヅナからすれば好ましい。だから前回の共演で大変お世話にもなったし、二人で稽古する時間も居心地がよかった。その雰囲気が功を奏して、今回のキャスティングに繋がったのかもしれない。

 だからこそ、紙にしみ込んだインクがじっくりと広がるみたいに向けられる彼の好意は受け取れなかった。絶対に、この期間にそんな隙を与えてはいけない。迎えに来る陽一とも頻繁に顔を合わせているから、晴日も年上の陽一に懐いているしこの作品の間は免れるだろう。

 以前御影が主演を務めた作品でアンサンブルとして参加していた時も、座長として持ち前の外面の良さを発揮していた。本人曰くああいう期間は演技している時間が長いから嫌だと言っていた。長く生きてきた器用なヒトだから試行錯誤しながら人間として特殊な職業をやっている美琴からすれば、慣れてしまったものなのかもしれない。



「遅くなっちゃったね。ごめんね、いつもミカちゃんのマネさんが迎えにくるのに」

「いえ、さっき連絡したので大丈夫です。あと5分くらいで来てくれるので」

「まだスタッフさんの撤収も時間かかると思うから来るまで中で待ってよう。車まで一緒に行こう」


 晴日の居残り練習に付き合っていたら、一番最後になってしまった。陽一には近くで待機してもらっていたしすぐに来てくれるので稽古場の出入り口で雑談していた。充実した一日だったからか少しだけお腹がすいた気がする。こんな感覚は美琴の中では珍しいものだ。


「美琴ちゃん、最近ミカちゃんと帰ってないね」

「あー……飯綱さんお忙しいですし、この間二人で事務所の前でファンと鉢合わせしてしまって。私は影が薄くてスタッフに間違われたんですけど、少し情けなくなってしまいました……」

「ミカちゃんが隣に居たら誰だってそうなるでしょ~まあ、一緒にいたのが俺だとして気づかれなかったらへこむな~」

「今回ばかりは助かりましたけど……あっ」


 右手に持っていたスマホの画面が光った。陽一からのメッセージの通知だ。


「マネさんきた?じゃあ出ようか。お疲れ様でした!!」

「はい。遅くまでありがとうございました、お疲れさまでした!!」


 美琴の様子に気づいた晴日が靴を履き替えて、施設内に向かって挨拶をしたので美琴も倣った。晴日が帽子をかぶってマスクを取り出しながら先に外に出た。美琴がドアノブを押すと、腕半分ほどでドアが開かなくなった。ガツンと何かにぶつかっっている。


「か、鹿島さん、足が……」

「どうして晴日くんがこの役をやるんですか!!!!!!」


 少しだけ開いたドアの隙間から、女性の金切り声が聞こえた。


「ごめんね、俺の一存では選べないんだ」

「じゃああんな事務所やめてくださいよ!!ファンイベだって運営ゴミだったのに、これ以上いる意味ないですよね!?」

「落ち着いて」

「かし……」


 声をかけようとしたらそのまま後ずさった晴日の背中によって完全に扉が開かなくなる。そこへ残ってきたスタッフが通りかかって、美琴が急いで報告する。


「あれ?美琴ちゃんまだ帰ってなかったの?」

「それが!すぐそこで鹿島さんが出待ちに合ってるみたいで、もめてるんです!!私を外に出さないようにしてるみたいで」

「警備員呼んできます!!」


 美琴は再びドアを開けようと手をかける直前にドアが半開きになり晴日が半分倒れこみながら押し戻されきた。


「鹿島さん!?大丈夫ですか??」

「待って、玖綱さん!!!!」


 びっくりして晴日を見たが出てきた人物の名にハッとしてすぐにドアの方を見る。見慣れた色のスーツが、辿った気配が、閉じられたドアによって見えなくなった。

 美琴の頭に危険信号が鳴り響く。


「陽一さん!!!開けて!!陽一さん!!」

「美琴ちゃん!落ち着いて!!」


 美琴は周りのスタッフの制止も聞かずに無我夢中でドアを叩いていた。全身の肌が粟立つ。人間の身体がもどかしい。はやくイヅナになって主のもとへ行きたい。人間ではない聴覚が外のざわつきを遠くで感知する。ドアが少し動いたので、隙間から身体を滑り込ませるように美琴はようやく外に出た。

 美琴の感覚が真っ先に反応したのは嗅覚。血だ。陽一の、血の匂いがする。次に目に飛び込んできたのは、地べたにへたり込んで泣きじゃくる女性と、そばで立つスーツ姿の陽一だった。陽一、と名前を呼んだつもりだったが声に出せていたかわからない。


「大丈夫ですか!?!?」

「警備員さん!こっちです!!」

「クツナエンタさんですよね??ご迷惑おかけしてすみません」

「いえ、大事が無くてよかったです」


 呆然とする美琴をよそに、集まってきた人に囲まれて仕事中の愛想笑いを浮かべている。


「玖綱さん、助けていただきありがとうございました。あの、ケガとか……」

「ああ、問題ありません。鹿島さんがご無事でよかった。このまま駅まで送るので乗ってください」

「え……」


 一瞬遠慮した晴日をよそに、製作スタッフたちからもお願いだと頭を下げてきたので、この場を警備員にとスタッフたちに任せて離脱した。

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