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ヒロイン始動③

 一方ひより宅では、家主がラグの上に正座していた。目の前のソファには人気俳優様が長い脚を組まれてふんぞり返っている。ひよりは閻魔大王に沙汰を下されるような気持ちでおずおずと御影を見上げた。


「俺が何を言いたいかわかるか」

「いやいやいや、無理だって。今回は私のせいじゃなくない??事務所の近くを美男美女が歩いてたから声掛けた説が濃厚だって!!」

「……まあ、そうだな」


「ほっ……」

「それにしても最近荒れてるぞ。稽古場付近で付きまとわれたら迷惑だ」

「鹿島くんのファン騒動から収まってないのかな?」


 最近どこかのアイドルグループのメンバーを多くキャストに起用した作品が公演を向かえ、アイドルの固定ファンによる事前物販や講演後の出待ちが殺到したらしく、純粋な作品ファンや観劇ファンの間で物議をかもしていた。現在知名度のある2.5次元が、小規模なアイドルグループに所属していた経歴を持つことは珍しくない。

 舞台ファンが敏感になることといえば、キャストの“青田買い”である。主要キャラクターのイケメンにすべてアイドルメンバーがキャスティングされることは、かなりの荒業だ。しかし舞台は興行だ。キャスト個人のファンを新規に取り込めるならメリットは大きい。そのことは分かったうえで炎上と隣りあわせは覚悟の上だろう。

 古参オタクは新規に厳しい。どこもそうだ、きっと。


「お前一回あいつのファンのふりしておとり調査してみろよ、オフ会に行くとか」

「いやいやいや、あんたのイベント関連で顔割れてるから!私!!」

「そういうときの認識阻害だろ」

「じ、自分にかけたことないかも……」

「まあ、周りの人数が多いほどボロが出るだろうな」

「否定できない……」

「今回は別に術の綻びじゃない。事務所として対応してくれればそれでいい」


 認識阻害が破られたことに対してもっと怒られると思っていたから、ひよりは内心ほっとしていた。その場にいた美琴をかばったことも少し意外だった。先代の妹分ではあるので余裕があるのだろう。


「うん。美琴のこと、助けてくれてありがとう」

「本当に燃えたら従兄妹設定出すからな」

「そうだね。迎え酒用意するね」


 そう言ってひよりは酒盛りの準備をするために冷蔵庫へ向かった。女性向け作品でスキャンダルはご法度だ。説得力のある言い訳のカードを切ってしまう予感がする。より一層警戒していこうとひよりは心に決めた。


「お酒だけで足りる……?」

「なぁ、お前は何を気にしてるんだ」

「え?」

「そうやって俺の機嫌を伺って、お前に都合がいいのか?」


 主従関係がおかしいことを御影は暗に指摘しているのだろう。それもそうだ。二人の霊力の差は歴然。

 そもそも御影はひよりの“命令”を聞くつもりがないというのに。


「……“使役”はもう十分してるじゃん」

「お前のは全部“お願い”だ」

「どういうこと?」

「いや、別にいい。血もいらない。もう寝る」


 御影は視線を逸らして立ち上がり、ひよりの頭を雑にかきまぜて部屋に戻った。



 御影のことがずっとわからない。私に何を求めて自分の主に据えたのだろう。九代目を選ぶ必要があるのなら、私より力の強い人間を一族から選ぶべきだった。しかし御影はそれをしなかった。私の気が先代に近いという理由だけで、選んだというのだから。

 貴方の最後の願いなら。私はどんな形でも。全力で叶えてあげたいと思うよ。


* * *


 歌稽古の個別レッスンが佳境を迎えていた。男女のロマンスが描かれるミュージカルにおけるラブソングは、どんな作品でも最重要事項になる。

 今回美琴がオーディションに受かったのは、主演の鹿島晴日との相性を第一に選ばれているだろうがそれは課題曲の時点であって、別の楽曲も仕上げなければならない。


(あぁ、デモテープで聴くよりも、頭まで音が響いて心地が良い)


 手を取って、視線を合わせて。恋焦がれるように愛の言葉を歌に乗せている。ゲームの有名なシーンにある、まっすぐなセリフの数々にメロディが付くと意味が伝わりにくくなることがあるため、表情や歌い方で観客にダイレクトに届けるようにしたいと、鹿島が演技プランを熱心に語ってくれた。

 一方で美琴には別の役割がある。パートナーの秋月に寄り添ったヒロインでなければならないのと、メイン顧客が投影してくれるようなバランスが求められる。


(『私の』椿ちゃんじゃなくて、『秋月の』椿ちゃんにならないと……)


 ヒロインよりも少し年上なクールな参謀役の秋月。戦火の最中、早く大人になろうと冷徹な印象を受ける序盤のストーリーから、メインイベントを拾いながらヒロインは彼の心を溶かしていく。

 乙女ゲームのヒロインはデフォルトの性格に加えて攻略ルートごとに若干の差分があることが多い。雪月花の秋月ルートでは、冷徹な印象を徐々に和らいでいくシナリオが人気だ。冷たくあしらわれてもめげない、芯の強いヒロインが特徴になる。基本を外さずに意見を主張する、そんな性格が求められる。


『私はこれ以上民を犠牲にしたくない!!貴方にも死んでほしくないの!!』

『我儘を言うな。俺は……俺の命は主のモノだ』

『私が殿と夫婦になれば、貴方は私のモノになるというの?』

『……それは』


「はい、一旦ここで止めまーす」

「この掛け合い中にM10のイントロ流れるので、ミザンスは通常稽古に付けます」

「はい」

「15分休憩です」


 演出助手の言葉に稽古場に張りつめていた空気は霧散していった。美琴もふうと深く息を吐いて、テーブルに置いた自分の荷物から飲み物とタオルを取った。すぐ近くで鹿島晴日が同じように一息ついていた。


「結構長く言い合いしてからすぐ歌になるんですね」

「そうだね。もっとヒートアップしてもいいと思うんだけど、ゲームだとさ喋ってるの秋月だけじゃん?そんでクール系だしさ、語気強めていいのか迷うんだよね」

「アニメも殿ルートなのでこのシーンでヒロインが喋るのはミュージカルが初めてでしたね」

「初演と雰囲気変えてもいいのかも、新譜だし」


 晴日はゲーム画面を見ながら、原作の演技をもう一度確認していた。再現するべきところと、難しいところを取捨選択していく。


「なんか、前半全然目線合わないから、報われない恋ルートすぎるよね」

「そうですね、今回徹底的に合わせないように演出さんからありましたね」

「ドラマみたいうまくいくといいな。編集大変そう」


 二人で歌う楽曲は問題なさそうで美琴は安心した。大きな変更点もなく、声の相性も問題ない。歌唱指導の先生からも好評で二人は手ごたえを感じていた。こうして先に本読みを含めてセリフからの歌いだしの確認までできている。


「俺、初めてヒロインと絡むし、いつもの共演者と目線違いすぎて変なとこ見てるや」

「前回は長物殺陣だったから距離保ってましたからね」

「んあ~~ちゃんとスチル再現したい!!!!」


 鹿島晴日の原作再現の評判の良さはこういったこだわりを本人が持っているからだろう。女性向け原作でもいかに作品にのめり込めるかどうかも問われる部分がある。


「お客さんにはゲームをプレイしたときの感覚が蘇ってほしいですね。やっぱり秋月の表情が前面に見えた方がいいな……横向きじゃなくてこっちの……」

「でもこの体勢で歌うのしんどくない?マイク次第なのか?」

「できるだけ試行錯誤したいですね」


 あとどれくらいこの人たちと一緒に働けるんだろう、と美琴はこれから先を考えて少しだけさみしくなった。

 その日は珍しく陽一が車で迎えに来た。


「今日の稽古は順調だったみたいだな。歌の先生が褒めていたぞ」

「はい。進みがよかったので、セリフありで少しやりました。構図の意見とか出し合ったり」

「鹿島さんとコミュニケーションうまく取れてるならよかった。あの人も初めての座長ではないしな」


 後部座席から美琴の明るい声がきけて陽一は安堵した。鹿島とは時間差で稽古場を出たし、出待ちしているファンも見当たらなかった。 


「二人が言い合ってから歌に入るシーンがあるんですけど、なんか、強い声が出なくて……」

「まあ、ミコトはそういう気質ではないよな」

「ひよりとミカゲの様子を参考にしてたんですが……」

「……はは、俺たちはあの二人みたいなケンカしたことないからなぁ」

「……」


 従姉妹たちを思い出しながら冗談交じりでそういうと、美琴が下を向いて黙った。運転席からミラーでちらりと確認しても彼女の表情は分からなかった。それからマンションに着くまで車内は静かだった。

 家に入ると美琴が玄関から動かず、不審に思った陽一が振り返った。


「ミコト?」

「陽一は、私に言いたいことはないんですか?」

「え?」

「至らないイヅナだとは思わないんですか?」

「ど、どうしたんだ?」

「いいえ。思ってることがあるなら聞いておきたかっただけです」


 うつむいた美琴の表情が視えなくて陽一は困惑した。はじめてともいえるミコトからの主張に、どんな言葉をかけたらいいのか、わからなかったのだ。

 思春期の娘を前にしたかのようなうろたえぶりに、ミコトはいたずらに成功したような気持ちになった。

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