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狂言誘拐 3

 九条冬吾は十七時近くなってやっと顔を見せた。

 最初にあまねが電話をかけてから、おそよ五時間ほど時間が過ぎている。

 狂言ではなく本当に脅迫や加害目的の誘拐だった場合、洒落にならない悠長さだ。

 質のいいスーツを着た冬吾は四十九歳だという実年齢よりも若く見えた。撫でつけられた髪には白髪が一本も見当たらない。

 峯地を認識すると冬吾は「こんなことでお呼びして申し訳ない」と言って挨拶を交わした。アルバイトか何かだと思ったのだろう誠にも軽く頭を下げる。

 その鷹揚さを見せるようなパフォーマンスに誠は苛立ちを覚えた。

 就活をしていくなかで企業について調べることが多々あったが、どうしてこうも社長という人種は似通っているのだろう。そうでないと人を束ねることなどできないのだろうか。なら自分は一生小市民で構わないなと思う。

「妻がどうしてもというので帰宅したのですが、またすぐ会社に戻らなくてはいけないんです。あとはお任せしますので今日中に解決してもらえますでしょうか」

 自分は気にもしていないが妻の言うことを仕方なく聞いてやったというのが、言葉だけでなく雰囲気からも滲みでていた。

「あまねのことが心配じゃないんですか」

 夫の帰宅にほっとした様子を見せていた皐月の表情がこわばっている。

「どうせいたずらだろう。お前は心配しすぎなんだ」

「あまねに何かあったらどうするんですか!」

 甲高い叫び声を聞いて冬吾は少し顔をしかめた。

「客人がいるのに大きな声をだすな、みっともない」

「……せめて警察にも連絡をいれてください」

「どうせ冗談に決まってるのに警察に通報などしては恥でしかないだろう」

 彼が喋るたびに心にヘドロがたまっていくような気がした。あまねが説得を諦めて強硬手段にでた理由にも検討がついてしまう。

「そうでしょう? 峯地さん」

 イエスしか答えが許されていない問いかけだった。

 ちらりと誠に視線を向けてから峯地が口を開く。

「いたずらである可能性はとても高いです。しかし最初から決めつけてかかったせいで手遅れになるということもあります。先程かかってきた音声は録音してありますので、証拠として警察に提出することはできますよ」

 探偵会社はあくまでも民間企業のため、警察のように電話会社に発信元の照会をすることはできない。踏み込んだ調査をしたいなら警察と連携するしかないのだ。

 峯地の言葉はあくまでも提案であったが、冗談でも言われたように冬吾は笑った。

「不要ですよ。警察の方もお忙しいのに仕事を増やしては迷惑でしょう」

 その笑い方がどうしようもなく癪に障った。

「九条冬吾さん、復讐される身に覚えは本当にないんですか?」

 突然投げかけられたぶしつけな質問に、冬吾は一瞬だけ不愉快そうに右眉をあげた。

「あるわけない。あったとしてもどうせ逆恨みだろう」

 若者の失言くらい許してやろうという寛容な表情がまた腹立たしい。

「本当ですか?」

「失礼な男だな」

 ぎゅっと彼の眉間に皺が寄る。

「本当にこれまでたったの一度も身に覚えのない恨みを買うこともなく、清廉潔白に生きてきたと思っておられるのですか」

「おい、お前いい加減に……!」

 客人がいるのに大声を出すなと皐月には言っておきながら冬吾が誠を怒鳴りつけようとした瞬間、タイミングを読んでいたかのようにリビングの電話が鳴り響く。

 言葉をのみこんだ冬吾があてつけるように大きなため息をつくと受話機を取りに向かった。今回も音声はスピーカーに切り替えるようにと峯地が伝える。

「九条だが、用件は?」

 上に立つ人間というのは平静を取り繕うのが上手いらしい。彼はつい数分前の剣幕など微塵も感じさせない落ち着いた声音で電話に出た。

『九条冬吾だな』

 くぐもった変換された声がスピーカーから聞こえた。

「ああ、そうだ」

『お前への要求は一つだ。自分の罪を思い出し、生涯忘れるな』

「は? 何のことだ」

『九条冬吾自分のした罪を忘れるなお前のしたことは消えてなくなったりはしない』

 ボイスチェンジャーを使用した音声が息つぎもなく機械的に流れる。

 その無機質さは言い知れぬ恐怖をいだかせるには充分だった。

「聞いたことに答えろ。何のことだ。本当に身に覚えがない。逆恨みなんじゃないのか?」

 ここにきてやっとただのいたずらではないのかもしれないという思いが芽生えたのか、余裕のあった態度に罅が入った。

『お前は人を殺した』

「ふざけるな! そんなことをした覚えはない! いい加減にしろ、訴えられたいのか?」

『犯した罪が消えることはない』

「誰なんだお前は!」

速水浩大(はやみこうだい)

「……速水?」

 ぼつりと落された名前が静まりかえったリビングに不自然に浮かぶ。

『忘れるな』

 ぶちりと電話は切られた。

 冬吾の顔は上からさっと絵の具で塗り直したように青白くなっている。

「……速水浩大という名前に覚えがおありですか?」

 受話機を手にしたままだらんと腕を下ろした冬吾に峯地が声をかけた。

「あることは……あるが、だが、速水のことは……」

「十二年も昔の話ですか?」

 驚愕の表情で彼は誠を見た。何故お前が知っていると目が訴えている。

「速水さんが現在どうされているのか、九条さんはご存知ですか?」

 峯地が調べてきた情報のなかに速水浩大の名前は存在していた。

「今はもう関わりがない。知るわけがないだろう」

 速水浩大は十二年前まで九条グループ本社の経理部で課長を勤めていた男だ。

「そうですか。速水さんは十年前に亡くなったそうです」

 亡くなったと聞いても冬吾は電話への気味悪さしか見せず、悼む様子は見せなかった。

「……そうか」

「自宅で首をつって亡くなっていたのを、当時十二歳だった息子さんが見つけたそうですよ」

「私が殺したわけじゃない!」

 スピーカーから流れた声が頭のなかを浸食していたのか、体内から毒を吐き出すように冬吾は叫んだ。

「あのことは速水も同意していた。会社を守るためには仕方なかったんだ」

 速水浩大は十二年前、横領の疑いがかかり会社を任意退職していた。

「選択肢のない同意って同意ですか?」

 横領をしていたのは当時の経理部長で九条の血縁者だった。

 事実を隠すのは不可能な段階だったため、代わりに泥をかぶる人物が必要だった。その生贄になったのが速水浩大だ。

 経理部長だった人物は冬吾の派閥に属していたらしく、もしも当時事実がつまびらかにされていれば彼は今社長ではなかっただろう。

「充分すぎるほどの退職金は支払った!」

「金銭で罪は贖えると?」

「そんなことは言っていない、だいいちもう終わったことだろう。今更話を蒸し返して何をしたいんだ!」

「さっき言っていたじゃないですか。忘れないでほしいんですよ、あなたに。速水浩大に望まない犯罪の片棒を担がせた、あなたに」

 隠されたとしても醜聞とはひそやかに流れるものだ。公然の事実として過去にはまだ速水浩大の無実が存在していた。

 だが十二年たった今では、人の記憶からは削りとられて記録として彼の罪が残っているだけだ。

「私はあの時にできる最善の行動をしただけだ」

「ええ、あなたにとっての最善の行動をなさったんですよね」

 親族の罪があばかれれば会社そのものにも大きなダメージはあっただろう。だがしかし、それ以上に彼は彼の未来のために速水浩大を犠牲にしたのだ。

「私は正しいことをした! 十二年の間に業績ものびた! あの時は競合企業に抜かれそうになっていたんだ。そんな時に血縁者の罪が発覚したら、会社そのものが傾いていたかもしれない。あれが最善だったんだ! 速水も納得していた! 表向きにも示談ですませた。任意退職という形もとった。私はできる限りの対応はした!」

「それでも、あなたが一人の人間の人生を徹底的に壊す決断をしたことに変わりはないですよ」

「忘れてしまえばよかったんだ。経歴に傷はついていないんだから、なかったことにして、好きに生きればよかった。やり直せばよかったんだ。どうして……」

 自殺なんかしたんだ。とは言えなかったようだ。

「まともな人間は、罪を犯した重さを背負いながらも平然と生きていくことはできないんですよ」

 あなたのような人間と違って。という言葉は口には出さなかったが伝わったのだろう。恐ろしい形相を向けられた。

「どんな瞬間の幸福にも影が落ちる。それが罪を犯すということです」

 瞬間瞬間で忘れられる時もあるだろう。けれどすぐに引きずり落とされる。自分のした行動の重さに押し潰される。それが一生付きまとう。

「過去は絶対に消えてなくなったりはしない」

 一度起きたことは、忘却で無かったことにはできないのだ。

「報いをうける覚悟もないなら人を陥れちゃ駄目ですよ。誰かの人生を壊すなら、いつか自分の人生を破滅させられたって文句は言えないと思いますよ」

 覚悟を持って加害者になる人なんて一握りもいないだろう。殴る人間は、自分の殴った力以上の強さで殴り返されるのを想像しない。

 殴り返されないと思っているから暴力をふるえるのだ。

「何も分かっていない子どもが偉そうに語るな!」

「わかりますよ。僕には、それが分かる」

 静かに落された言葉にひるんだ冬吾は矛先を変えた。

「峯地さん! なんなんだこいつは阿田川探偵社には抗議させてもらう!」

「と、言われましても彼はうちの人間じゃありませんよ」

 ひょうひょうとした態度で峯地は答えた。

「……は? ならどうしてここにいるんだ」

 勢いが削がれた冬吾はまじまじと誠を見る。

「僕は、速水さんに頼まれたんです」

「死んだ人間が何をどうやって頼むというんだ」

「速水さんは――」

 続けようとした言葉は、右手に持ったスマートフォンから流れてきた声に遮られた。

『もういいよ、真中くん』

 自分以外にも聞こえやすくするために誠はスピーカーの音量を最大まで上げる。

『お父さん、真中くんを責めないで。全部、私が仕組んだことだから』

 萎縮して黙っていた皐月がその声に反応した。

「あまね?」

『お母さん、騙すようなことをしてごめんね』

 誠のスマートフォンは九条あまねと繋がっていた。冬吾が帰宅した時から電話をハンズフリーの状態でずっと繋げていたのだ。

「あまね無事なの?」

 彼女の言葉には娘の無事を案じる色だけがあった。

『うん、そもそも最初から誘拐なんてされてないよ』

「そう……、あなたが無事なら私はそれでいいわ」

 穏やかな微笑みを見せた母親とは対照的に父親は激昂する。

「ふざけるな! お前は自分が何をしたのか分かっているのか、何を考えているんだ、一体どうやって速水のことを知った、誰にそそのかされたんだ!」

『誰にもそそのかされていない。私は自分の頭で考えて、自分の意思で行動したの』

 毅然とした声音だった。

「あまね、お前、見合いが嫌だったとかじゃないだろうな。まさかそんなくだらないことでこんな馬鹿げたことをしたのか? どうなんだ!」

 そそのかされていないのなら、子どもの駄々だろうなんてどこまで娘を侮っているのかと思う。

「いや、だが、速水のことは……、燈二(とうじ)にでも聞いたのか? あいつまだ俺に対抗意識を持っているのか!」

『燈二叔父さんは社長になんて興味ないよ。お父さんと張り合おうなんてことも思ってない。どうしていつまでたっても気づけないの?』

 淡々とあまねは言った。

 最初に会った彼女と別人に聞こえたが、あれは彼女の処世術であったのだろう。

 この家でうまく生きていくために身体に染みついた振る舞いだったのだ。

「なんだその口のきき方は!」

『怒鳴ってばかりだね』

「うるさい! 早く釈明をしろ」

 うるさいのは冬吾の方だ。当初の鷹揚さは今は見る影もない。

『釈明なんてしないよ。私は私が望んだことをしただけなんだから』

「私の言うことを聞け!」

『自分の思い通りにならないものは気に食わないだなんてまるで子どもみたい。ねえ、私のこと対等な人間だと思ったことなんてたったの一度もないでしょう』

「お前は私の娘だろう!」

『娘は自分の思い通りに動くべきだと思ってるなら、お父さんは生まれる時代を間違ってるよ。家父長制が絶対だった明治時代より前に生まれてた方が幸せだったんじゃない? そうすればこんな風に娘に反論されることもなかった』

「……言いたいことはそれだけか」

 すっと温度が下がったように声が低くなった。だが気にもとめずあまねは一蹴する。

『それだけなわけないでしょ。本題は別にあるよ』

「なんだ?」

『今度こそ、速水浩大さんにしたことを忘れないで。もう二度と誰かに罪をなすりつけるようなことはしないでほしい。誰かを、誰かの人生を踏みにじるようなこともう絶対にしないで』

 要求を冬吾は鼻で笑いとばした。

「何を言うかと思えば……、どこで速水のことを知ったかはしらないが正義感をふりかざせて満足か?」

『私の話を聞いてくれないなら、私は一生結婚をしない。子どもを産まない。そうしたら会社を継ぐのは裕也(ゆうや)くんだね』

 裕也とはあまねの従兄――冬吾の弟の息子だそうだ。

「その程度のことが脅しになると思っているのか?」

『なるよ。だってお父さんずっと燈二叔父さんのこと気にしてるじゃない。たった一つのことすら弟には負けたくないんだよね』

 壁を殴る音がした。冬吾の仕業だ。たたみかけるようにあまねは続ける。

『私は本気だよ。一過性の気持ちじゃない』

「いつからそんなに自分勝手な娘になった!」

 ここにあまねがいなくて良かったと思った。父親が娘に向けていい顔じゃない。

「自分勝手じゃない人間なんていないと思いますよ」

「またお前か……」

 充満した怒りを冬吾はため息として吐き出す。

「あなただってあなたの勝手で人の行動を決めてばかりじゃないですか」

 速水浩大のこともそうだが、妻への態度、娘への言葉の全てがそうだ。

「よかったですね。こうやって止めてくれる娘さんがいて、あなたが親とは思えないほどに人道的でしっかりした素晴らしい女性だ。奥さんのおかげですかね?」

 わざと煽ったが冬吾は憎々しげな視線をこちらに向けてくるだけだった。

「もしもこのまま傲慢であり続けたら、あなたいつか誰かに刺されてたかもしれないですよ? よかったですね。今、思い知ることができた」

「そうそうそんなことが、」

「ありますよ。人の恨みをなめない方がいい。理由があれば人は人を殺せます」

 人の理性は、そこまで頑丈じゃない。

 例えば人間一人一人が正義の天秤を持っていたとしよう。

 それはとても心に正直で、簡単にゆらゆら揺れてしまう。けれどその代わりどちらか片方にとどまることもなく、ゆらゆら、ゆらゆら、感情ですぐ動く。

 動いている間はどうということはない。定まらなければまた天秤はゆれる。

 倫理と道徳の分銅は自分で思っているよりも重さがあって、人を踏みとどまらせてくれる。

 けれどそれを凌駕するコントロールのできない恨みが、愛が、拭っても拭いきれない強い理由がそこにのってしまえば簡単に天秤は傾く。そして定まった瞬間には、もう何もかもが遅いのだ。

 人は、人を殺せる生き物なのだと誠はよく知っている。

『マコトくん』

 スピーカーから聞こえた声にはっとし、深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。自分が熱くなる場面ではない。

「彼女は、あなたに期待しているんですよ。立派な父でいてほしいんです。あなたを心底軽蔑していたのならそもそもこんな回りくどいことはしない。娘さんの最後の期待を裏切らないであげてください」

 引き際は与えた。あとは彼次第だ。

「…………速水浩大のことは忘れない。二度とあんな真似はしない」

 これでいいのか。と嫌そうな顔つきで冬吾は口にした。

『私の話を聞いてくれてありがとう。お父さん』

 こんな言葉を父親から引き出したって意味がないと分かっていても、あまねは感謝を告げた。

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