狂言誘拐 1
「私を誘拐して!」
例のごとく昼に学食で唐揚げ定食を食べていると、見知らぬ人が突然ばんと現れた。
「……はい?」
ぽろりと箸でつかんでいた唐揚げが落ちて皿の上に戻る。
日常では聞くはずのない単語を発した人物は爛々と目を輝かせていた。
「あなた何でも屋さんなんでしょ? どんな相談でものってくれるんでしょ?」
「ちょ、ちょっと待ってください。一体誰がそんなことを」
奇妙なことを言ったのは、ぱっちりした目をした黒髪をハーフアップにまとめている見るからにお嬢様っぽい格好をした子だった。
品のあるレースブラウスはシンプルだけど形が整っている。ごてごてした服よりもこういった洋服の方が高価であることをミソラを見ていて誠は学んでいた。
綺麗にカールした長い睫毛をぱしぱしさせて、彼女は首を傾げた。
「学食で唐揚げ定食食べてる眼鏡の男の子って聞いたんだけど、あなたじゃないの?」
どうやら誠の顔を知っているわけではないようだ。
いくらでも当てはまる人物がいそうなのですっとぼけようと思ったが、今日は不幸にも早めに学食に来ていたせいで食堂内に人が少ない。唐揚げ定食を食べている眼鏡の男は誠しかいなかった。
「いやー、人違いだと思いますよ。僕、普通の学生ですから。それにほら、これ伊達眼鏡なんですよ。見てください度が入ってないでしょう?」
けれど、曖昧な情報しか知らないならどうとでもなる。ごまかそうと思ってしれっとした顔で伝えた。
眼鏡を外して渡すと女の子は向きをあれこれ変えて確認する。
「……本当だ」
だから人違いですよ。と言って眼鏡を返してもらうために手を差し出す。しかし彼女はその手を無視して何故かまじまじと誠の顔を見てきた。
「どうしました?」
「いや、眼鏡で隠れてわからなかったんだけどなんか可愛い顔してるなって思って」
「……そうですか。眼鏡、返してくれますか」
「ああ、ごめんなさい」
受け取った眼鏡をかけ直しても、まだ彼女はこちらに視線を向けてきていた。
「本当に人違い?」
「申し訳ないですけどそうだと思います。僕、何でも屋なんてよく分からないことしたことありませんし」
嘘は言っていない。何でも屋なんてうさんくさいことを始めた覚えはないのだ。
はっきりと否定され彼女もどうやら自信がなくなってきたようで、最初の勢いがなくなってきた。このままいけばうまいこと厄介事は回避できそうだ。
よかった。とそう思った時だ。
「どうされたんですか?」
最悪のタイミングでミソラが現れた。もしかしたら狙ってこの瞬間に声をかけてきたのかもしれない。
「あなた! もしかして薬師寺さん?」
「そうですが、どちら様でしょう」
珍しいことにこの子はミソラの知り合いではなかったらしい。いつもたいていは彼女が面倒ごとを見つけてくるのだが今回は違うようだ。
「なんだやっぱり人違いじゃなかった! 菊池樹里に教えてもらったの。薬師寺さんって人が紹介してくれる男の子が相談にのってくれるって。私、経済学部四年の九条あまね。よろしく」
菊池樹里は元依頼人だ。
前にアルバイト先でトラブルが起きたとかで相談され、解決したことがある。
口外しないでほしいと伝えたはずなのだが、口を滑らしたようだ。
変に話題になって誰かれ構わず相談にこられても困る。なのでいつも問題を解決した後に自分たちのことは内緒にしてもらうように頼んでいるのだ。だが、人の口に戸はたてられない。友達から先輩後輩から聞いたといってやって来る人はいる。
そんな時は、冷やかし半分なことも多いため丁重にお帰りになってもらうのだが今回もそうなるだろう。
私を誘拐してなんて、冗談に決まっている。
「そうですか、よろしくお願いします。どのようなご用件か伺ってもよろしいですか?」
「待って!」
親子丼がのったトレイをテーブルに置き隣に座ったミソラが話を進めようとしたので、慌てて止める。
「なあに?」
誠の向かいに座ったあまねがまたこてんと首を傾げた。
「用件の前に九条さんに聞きたいんだけど、何でも屋さんってなに? どうしてそんなことになっちゃったの?」
「どんな相談にものってくれるってことは何でも屋さんでしょう」
きょとんとした顔で彼女は言った。
「違うかな!」
「そうなの? じゃあ誘拐はしてくれない?」
「面白そうだからいいですよお」
「ミソラさん!」
最悪だ。このままではミソラに巻き込まれて彼女を誘拐しなくてはならなくなる。意味が分からない。
「よかったね、あまねちゃん」
「うわ誰?」
あまねの隣にいつの間にか男が座っていた。まったく気づかなかった。
「私の彼氏の藤木孝成くんです」
「どうも、経済学部四年の藤木です」
藤木は線が細く顔の綺麗な男だった。しかしそのわりには存在感が薄い。
「真中誠です。えっと、藤木さん最初からいました……?」
「いましたいました。あまねちゃんが元気だから、俺そのエネルギーで隠れちゃうんですよ」
頼りなく笑う藤木の顔は、整っているがやはりどこか影が薄い。
パワフルなあまねと足して割ればある意味バランスは取れているのかもしれないが、イケメンなのにちょっと残念だ。
「彼氏なら彼女の暴走止めてくださいよ」
「俺は元気なあまねちゃんが好きだから無理かなあ」
申し訳なさそうに藤木が笑う。どうやらここに誠の味方は一人もいないらしい。
「藤木さんも九条さんも四年なんでしょう。就活はどうしたんですか?」
「もう内定決まってるよ」
「私、親の会社に就職するから就活ほとんどしてない」
急に世の中が憎くなった。
「……へえ、そうなんですか」
目が虚ろになる。六月になっても誠の就活に終わりは見えない。
ざあざあ降りの雨を見ながら、梅雨は絶対にあけて夏がやって来るのにどうして自分の就活はいつまでたっても続くのかと思索にふける日々だ。
「どうかしたの?」
「たまにこうなるんです気にしないでください。それで、九条さんはどうして誘拐されたいんですか」
梅雨よりもじめじめし出した誠をさくっと流し、ミソラは遮られた話を再開した。
「誘拐してくれるの?」
「いいですよお。でもきちんとご相談にのるためにも詳しい事情を伺わせてください」
もっともらしく言っているが、絶対に何を考えて誘拐という思考になったのか興味深いから聞きたいだけだ。
あまねは頷くと、真剣な表情で話しだす。
「お見合い結婚させられそうだからどうにかしたいの」
「……誰がですか?」
「私が」
「藤木さんは?」
やはり頼りなげに笑っている藤木を指差す。動じた様子はないので見合いの件は知っているようだ。だが彼が内心どう思っているのかが読めない。
「孝成くんがいるのに結婚させられそうだから困ってるの!」
「大学生にお見合い結婚させようとする人なんて今の時代にまだいたんですか?」
婚活だって今はマッチングアプリが主流の時代だ。誠はこれまで生きてきて見合いをするという人とはじめて遭遇した。
まだお見合いという文化がなくなってはいないということは知っていたが、自分たちの年齢では中々お目にかかることがない。
「前時代的な考えの家なんだよ」
お嬢様っぽい格好をした子ではなく、あまねは本当にお嬢様らしい。そういえば先程も親の会社に就職すると言っていた。
「私、親族経営の会社の社長の一人娘なの」
心底嫌そうな顔をしている。お金持ちはお金持ちの苦労があるようだ。
「なるほど。次期社長を任せられる男を婿にとりたいという思惑が透けて見えますねえ」
言外に含めた意図をミソラがすくいとると、彼女は大仰に頷いた。
「そうなの! 私の気持ちなんてちっとも考えてないの。うちの家ではそれが当たり前だからで全部通っちゃうの。私よりも会社の未来の方が大事なの。ありえない。私は絶対自分が選んだ人と結婚する」
「強制的なお見合い結婚に対抗するために、狂言誘拐されるってことですか?」
その発想はちょっとどうなんだろう。小学生のような行動に思える。
「そうよ!」
だが、あまねは自信満々だった。
「考え直した方がいいと思いますよ」
無理矢理お見合いさせられるのは気の毒だと思うが、だからって対応策が突飛すぎる。
余計に話がこじれそうだ。
「だって私が何を言ったって話を聞いてもらえないんだもん」
さすがのあまねも説得はすでに試みていたようだ。
「えーっと、じゃあ誘拐じゃなくて藤木さんと手に手をとって駆け落ちとかどうです?」
「現実的じゃないよ、駆け落ちなんかしてその後の生活はどうするの?」
誘拐の方がよっぽど現実的じゃないだろう。という言葉はなんとか喉の奥までに留めた。
「ロマンチックなこと言うね真中くん」
これまで黙っていたくせに藤木までツッコミをいれてくる。
「……藤木さんはどう考えてるんですか」
「あまねちゃんの望むようにすればいいと思ってるよ」
それは果たして愛なのか、それとも彼はもう諦めていて彼女の気がすむまで黙って見守るつもりなのだろうか。
何はともあれ、このままでは面白そうだからとミソラが了承しかねない。
就活と同時進行で誘拐犯になりたくはないので、誠はおおげさに声をあげた。
「いやいやいや、でもさすがに誘拐は無理がありますよ! 大事になったら色々と大変ですし! ね、ミソラさん!」
「そうですねえ。経験として一度くらいは狂言誘拐してみるのもありだとも思いますけど」
無しだろう。狂言誘拐の経験がある人なんてそうそういない。生きていくのに必要のない経験だからだ。
無言でじたばたする誠を見てミソラはにっこり笑った。
「けれど、誘拐という方法をとらなくてもいいのではないかとは思いますよ」
まかり間違って犯罪者にならずにすんでよかったと胸をなで下ろしていると「え!」とあまねから驚きの声があがった。
彼女は悩むように口元に手をあて、おろおろと目を泳がせている。
「どうしました?」
「でも、ここに来る前にもう電話しちゃった」
嫌な予感しかないが問いをなげかけた。
「……どこにですか?」
「家に」
「何を、言ったんですか?」
こめかみから汗が流れる。心なしか動悸もしていた。
「九条あまねは誘拐した、返して欲しければこちらの要求を聞けって」
しかも用意のいいことにボイスチェンジャーまで使ったらしい。
「何してんですかまじで!」
誠は顔をおおって天を仰いだ。どうか嘘だと言ってほしい。
「だって手伝ってもらえると思ってたんだもん」
もん、ではない。可愛い言い方をしても駄目だ。無邪気な暴走にも限度はある。
「もう連絡してしまったものは仕方ないですねえ」
食器をうっかり割ってしまったくらいの気軽さだった。
「今からでも冗談だったことにすればいいんだよ! ほら、何事もなく九条さんが帰宅すればさ! あ、いたずら電話だったんだな。で終わるよきっと!」
ミソラがやると決めたらこっちに拒否権はない。普段は気にしていないが、事ここにおいてだけ明確に雇用関係が発生するのだ。
とても楽しそうな笑顔を彼女は誠に向けた。
「覆水盆に返らずですよ」
残っていた冷めた唐揚げを誠は口に詰め込んだ。もう自分にできることはない。
「ちなみに要求はもう伝えたんですか?」
「まだ何も言ってない。追って後から連絡するって言ってすぐに電話は切っちゃった」
ドラマの台詞でも真似したのだろうか。とてもテンプレートだ。
「どなたが電話に出られたんですか」
「お母さん。すごく驚いてたからすぐにお父さんにも連絡したんじゃないかな。すぐに私のスマホに電話かかってきたけど、電話もメッセージも全部無視したから余計に不安になってると思う」
「子を思う母の気持ちを考えると胸が痛い……」
漬物をばりぼり噛みながらぼそぼそつぶやくとあまねにきっと睨まれた。
「お母さんだってどれだけ私がお見合いしたくない、好きでもない人と結婚なんかしたくないって言っても、ちっとも味方になってくれなかったんだよ。これくらいいいの!」
どうやらあまねの家では本当に彼女の意思は優先されてないようだ。
「そうですか。ではこれから連絡するとして、要求の内容はどうされるんです?」
「えっと……、まだ思いついてないから一緒に考えてくれる?」
首を傾げながら上目づかいであまねは言った。こんなあざとい仕草をするのは漫画のなかの女の子だけだと思っていたが、現実にもいるらしい。
「なんでそんな見切り発車で電話しちゃったんですか」
呆れたように言うと、あまねはごまかすようにどこか遠くを見つめた。
「勢いをつけるため?」
不自然なくらいに瞬きの回数が多い。少しは反省しているようだ。
罰が悪そうな顔をしたあまねの頭を藤木が撫でる。流れるようにいちゃつくのはやめてほしいが、目の前の二人がこれから無理矢理別れさせられるのかと思うと少し不憫に思う。
二人がこのまま付き合っていく先で別れるのか結婚するのかは誠には知りようがないが、どちらにしたってそれは自分たちの意思で決めるべきことだ。
親だからといって他人がコントロールしていいことではない。
「なるほど、ではそうですねえ」
のほほんと笑ってミソラは言う。
「とりあえずマコトくんに偵察に行ってもらいましょうか」
まあ結局のところ、彼女たちを不憫に思おうが同情しようが迷惑に思おうが関係なく、誠に拒否権はないのだ。