猫探し 2
大学四年生になった今でも誠は学内に友達がいない。
より正確に言うのなら、知人と友人の狭間くらいの関係性の相手しかいない。
原因の大半はやはりミソラの存在だ。
大学一年生の春に彼女と出会い、色々あって相棒のような、サポート役のような、隠れ蓑のような、そんなよく分からない立場になってからプライベートを浸食されまくり、結果として友人をつくる機会を逃し続けた。
悲しいことに彼女もいない。できる気配もない。一番距離の近い女性といえばミソラだが、彼女を恋愛対象として見ていないためこれは就活の次に重大な問題だ。
「網戸を破って逃げ出した飼い猫を探してほしいの」
だがここ数年の人との出会いのほとんどが依頼者か事件関係者であり、それがこれからも続く限りいつまでたっても願いは叶いそうもない。
結果が届かなくても惨敗したであろうことが分かる集団面接を終えた後、ミソラからいつもの呼び出しがあった。
指定された場所は大学近くの学生もよく使っている喫茶店だ。
よくある無茶苦茶な短時間での呼び出しで着替える暇がなかったため、リクルートスーツのまま誠は今、切羽詰まった様子の女性から話を聞いている。
四人がけのテーブル席で向かいに座る彼女の表情には焦燥が滲み出ていた。
「これまでにもタビちゃんが脱走したことはあるんですか?」
依頼は受けたものの詳しい話はまだ聞いていなかったのか、ひょこりと顔を伺うようにして女性の隣に座っているミソラが問いかける。
タビちゃんとは、依頼者である川谷美帆の飼い猫の名前だそうだ。
川谷は、ミソラと同じ文学部の同級生らしい。
高めの身長に顎先の長さで切りそろえられた艶やかな黒髪がもともとの顔立ちを惹きたてていて、宝塚にいそうな雰囲気のかっこいいという言葉が似合う人だった。
「今回がはじめて。病院に行く以外はほとんど外に出たことがない子だから、手がかりもないんだよね。張り紙とかSNSに拡散希望の書き込みとかしたけどまだ見つからなくて」
ペット探しは探偵ではなく興信所が取り扱う案件だが、いまだに探偵の仕事の範疇だと思っている人が多いため、時折頼まれる。
「いなくなってもう一週間たつんですよね?」
「そう、目撃情報も全くないし……もうどうしたらいいか」
沈痛な面持ちを、さらりと落ちた黒髪が隠した。
「川谷さん」
そっと彼女の背中にミソラが手を添えた。
「ご安心ください、マコトくんが絶対に見つけてくれますよ」
絶対などと安請け合いしないでほしい。出かかった言葉をぐっと喉で抑えつける。
「善処は、しますが。絶対に見つけられる保証はありません。それでもいいですか?」
「お願いします。もし見つからなくても文句言ったりしないから安心して」
どうしてか、探偵の真似事をしていると過剰に期待されることがある。
善意かどうかはともかく無報酬の、言ってしまえばボランティアに近い行動だというのに依頼者の希望通りの結果にならなかった場合、苦情を言われることがあるのだ。
結果を期待したいならプロに依頼するべきだと思うのだが、何故か神様みたいに完璧な解決に導けなかったこちらが悪いように言われる。
探偵を名乗る存在は万能の道具か何かだとでも思われているのだろうか。
幸い、川谷はそのタイプではなさそうなのでほっとする。
「分かりました。できる限りのことはします」
「ありがとう。どうかよろしくお願いします」
深々と川谷は綺麗なお辞儀をした。姿勢の良い彼女は、それだけの動きでもどこか様になる。
「いえいえ、困った時はお互い様ですよ」
ふわふわとした調子の声に、厄介事に自主的に首をつっこんでいく君が言うなと少しだけいらっとしたのは、午前中にあった面接でメンタルを削られているからだ。
ミソラはいつでも変わらない。プログラミングでもされているのかと疑うほどに変わらない。だから彼女に対して何か思う時は、だいたいが自分に問題があるのだ。
「川谷さん?」
弱々しい声が投げかけられたのは、これからどうしていくか本題に入ろうとしたところだった。
通路に目を向けると、見るからに大人しそうな女性がコーヒーカップとケーキを乗せたトレイを持ってテーブル脇に立っていた。
小さい顔のほとんどをしめる大きな赤縁眼鏡をかけた子は、どうやら川谷の知り合いのようだった。
「茅場さん」
親しげな笑みを川谷が向けると、茅場は頬を赤く染め申し訳なさそうに頭を下げた。硬質な雰囲気の彼女だったが笑うとその空気がほどけ、気さくさが顔を出すみたいだ。
「あ、あの、ごめんなさい、邪魔しちゃって」
「茅場さん、もしかして席探してます?」
ミソラの言葉を受け改めて店内を見渡してみると、少人数用の席はどこも埋まっていた。ぱっと見、空いているのは四人がけのテーブル席しかない。
茅場は一人のようだし、満席に近い店で一人ぽつんと四人席に座るのは、仕方ない状況だとしても居心地が悪いものだ。
「え、えっと、その、探しては……いるんですけど……」
初対面でも気の弱さが伝わる表情と声の小ささだった。この子も就活で苦労しそうだ。自分の現状を棚上げして心配になる。
近所の子どもを見るような気持ちでいると、テーブルを二回指で軽く叩く音がした。
正面にいる川谷に目を向けると許可を問うような表情をしている。
「川谷さんがいいのなら僕は構いませんよ」
「ありがとう。茅場さん、もし嫌じゃなければ相席しない?」
おどおどしていた茅場が一瞬ぱっと嬉しそうな顔をする。
だが、誠を見ると彼女の表情がみるみる不安そうなものに変わっていった。
どうかしたのだろうか、と不思議に思ったが理由はすぐに分かった。
四人席には今、誠の正面に川谷、その隣にミソラが座っている。空いているのは誠の隣の席だけだ。
小動物なみに警戒心が強そうな子だ。大学生なのにそれで大丈夫なのかとは思うが、よく知らない男の隣に座るのはためらいがあるのだろう。
「どうぞ」
ミソラがさっと席を移動して誠の隣に座る。
制止されるよりも前に動いてしまえば断られにくい。
申し訳なさそうにしていたが、最終的には大人しく茅場は川谷の隣に腰を下ろした。
どうやらミソラも知り合いだという茅場由宇は、川谷と同じように文学部の同級生らしい。ちなみに誠は法学部だ。
講義の間だけはミソラとの関わりが薄くなるため、今人生で一番平穏な時間は講義中だったりする。癒しの時間だ。……絶対に何かがおかしい。
大学生とはいかに楽をして単位を取るかに心血を注ぐ生き物のはずだ。それが講義をありがたく感じているだなんて何かが間違っている。
「薬師寺さんと川谷さんってお友達だったんですね」
か細い声で茅場が疑問を口にした。
「友達、でいいのかな?」
「勿論です」
そういえばミソラの友達枠に誠は入っているのだろうか。彼女の基準は人と違うため不明だ。
「うちの猫がいなくなっちゃって困ってるところに、薬師寺さんが声をかけてくれたの」
中高生でもなかなか見ない微笑ましいやり取りを終えると、川谷は茅場に状況説明をしだした。
「え、前に写真を見せてくれたタビちゃんですか?」
「そう。目を離した隙に脱走しちゃったの。それで/薬師寺さんが知り合いに猫探しが得意な人がいるっていうから相談してみることにしたんだ」
紹介するように「真中くんです」と言われたので軽く会釈する。
「……私にも、探すの手伝わせてください」
ぱちぱち何かを考えるように瞬くと彼女はそう申し出た。
「いいの?」
無言で茅場はぶんぶん頷く。
「ありがとう」
真っ赤になって茅場は俯いた。照れ屋だ。
説明が落ち着いたところで、まだ確認していなかった猫の写真を川谷に見せてもらう。
手渡されたスマートフォンの画面には、ハチワレ模様の黒猫がクッションに寝転んでいる写真が表示されていた。
名前の由来なのだろう。その猫は靴下でも履いているように足先が白かった。
「保健所にはもう連絡を入れているんですよね」
「脱走した日に」
「近所はどのくらいの距離を捜索しましたか」
「徒歩二十分圏内は結構探したかな。遠くにも足をのばしてみたけど隅から隅まで探せてはいないね」
「過去に野良猫だったこともないんですよね?」
「生後一ヶ月で母親の友人から譲り受けた子だね」
前に迷い猫を見つけた時は近所の公園に隠れていた。
その時も完全室内飼の猫だったが、好奇心にかられて外に出たはいいものの怖くなったようで近場に留まっていたのだ。
当時調べたところによると、室内飼の猫が外に出たとしても一日の行動範囲は半径百メートル程度らしい。
「家から遠くに行っている可能性は低いです。近所の公園や神社、軒下など、猫が入れる隙間を重点的に探すのがいいと思いますがどうでしょうか」
「……やっぱり地道に探すしかないよね」
ドラマみたいな解決を期待されていたのがその一言で伝わり苦笑がもれる。
「相手は動物ですからね」
行動を読むにしても限度がある。それに動物の行動についてなら、探偵よりも生物学者や動物病院の医師などといった専門家の方がよっぽど詳しいだろう。
「茅場さんは、どう思います?」
「え?」
急に前触れなくミソラが茅場に話を振った。
驚いたのか、飲むこともなく茅場が手持無沙汰に触れていたカップがソーサーにぶつかり、がちゃんと耳障りな音をたてる。
「意見は多い方がいいと思いまして」
「……私も、近くにいるんじゃないかなとは思います」
「そうですよねえ、私もそう思います」
消え入りそうな小さな声だったが、彼女の返事を聞いたミソラは満足そうに頷くとそれきり口を閉じ、こちらに話の続きをするよう身ぶりで示した。
「効率的に探すために各自捜索範囲を決めてこまめに連絡も取り合いましょう」
友達と言いながらも川谷の連絡先すらミソラが知らなかったため、一先ず彼女らと連絡先の交換をし、メッセージアプリでグループをつくる。
「夕方や夜の方が目を覚ましてるだろうから、タビちゃんが川谷さんの呼びかけに答える可能性も高いと思います。でもさすがに夜に女性一人にするのは何かあったら心配なので、手わけして探すのは日が沈むまでにしましょう。早く見つけてあげたい気持ちは分かりますが、一人で遅くまで粘って探したりはしないでください」
「……うん、分かった」
「ちなみにこれまではどうされてましたか?」
「バイトはもうしてないし、講義のない時間はほとんど探し回ってた……んだけど、夕方までで切りあげてたかな。両親も手の空いてる時に探してくれてるんだけど、平日だとやっぱり難しくて一人だったから」
「あれ? 川谷さん院に進むんですか?」
講義のない時間は、という話しぶりからして就活はしていなさそうだ。
「ああ、そうじゃなくて。もう内定決まってるから」
「…………そうですか」
自分がいつまでたっても内定が決まらないからすっかり忘れていたが、大学三年生の時点でもう内定が出ている人というのはいるのだ。最後の一年間をゆとりを持って過ごせるだなんて羨ましすぎる。
彼女のさらっとした言い様も相まって無駄にダメージを負った。
「真中くんどうかした?」
「いえ、なんでもないです。暗くなってからの時間帯はこれまで探していなかったということでいいですか? 何か用事でも?」
「えっと、」
タビの無事を心配する様子からして、夜中まで探していそうだったので意外だった。
もしも何かしらの不都合があるのなら、予定は最初に聞いてしまった方が効率がいい。
疑問をぶつけると、はっきり物事を言うタイプに見えていた川谷が口ごもり、表情をこわばらせた。
「……川谷さん。タビちゃん以外にも何か困ったことが起きてますか?」
「困ってる、ってほどでは、ないんだけど……ちょっと気になってることはあるかな」
ぎゅっと眉間に皺を寄せてから、弱ったように川谷は言った。
「気配を、感じるの」
切り出してからはもうためらうことなくすらすらと不安はあふれていった。その饒舌さは平静でいようとする心の表れのようだった。
「つけられてる、のかな? 気にしすぎてるだけなのかもしれないんだけど、帰り道、後ろから足音が聞こえるの。けど、振り向いても誰もいない。それがずっと続いてる。嫌がらせとかストーカーされる身に覚えがないからわけが分からなくて、それで、ちょっと、夜道が怖い、かな」
話すことで不安が増したのか、喋れば喋るほど表情は暗いものに変わっていった。
「いつからですか?」
「一ヶ月くらい前からかな。気にしすぎなんだと思うんだけど」
「無言電話や差出人不明の手紙などはありましたか? もしくはSNSで変なメッセージが送られてきたとか」
「電話も手紙もない。今はタビを探すためにSNSを使っているけど、前までは見るだけだったからメッセージを受け取ったこともない。つけられてる気がするって不確実な感覚だけで決定的な何かがあったわけじゃないから、余計に判断に迷ってどうしたらいいのかわからなくて……」
「そうですか。でも何か決定的なことがあった時にはもう取り返しがつかなくなっている場合もあるので、今の段階で話を聞けて良かったと僕は思いますよ」
自意識過剰だと思い込んでいたせいで被害が起きるくらいなら、勘違いの無駄足で終わる方が何倍もましだ。
「そう、なのかな。でも、本当に心当たりが何も、」
「たまたま見かけただけの名前も知らない他人のことをストーカーする人間はいますよ」
「どんな人かも分からないのに?」
ストーカーの原因は恋愛関係のもつれなどといった既存の人間関係ありきだけだと思っていたのだろう。切れ長の目を見開いて驚いている。
「その場合、加害者側の頭の中で勝手にストーリーができあがっているんですよ。運命によって結ばれているから一目で恋に落ちているはずだとか、まあ色々ですけどね」
「そんなの、対処しようがないよね」
「ええ、そうです。本人にまったく問題がないのに被害者になるケースは少なくないです。勿論、人間関係に多少のトラブルがあったからといって犯罪行為は許されるものではありませんが」
怖がらせたいわけではなかったのだが、不安を煽ってしまったようだ。爪が白くなるくらい手がぎゅっと握りしめられている。
「悪いことをしたから事件に巻き込まれるわけではないんです。どれだけ善良に生きていたって、一方的な悪意にさらされる時はある」
「……真中くんは、どう思う?」
「申し訳ないですけど、先程教えてもらった話だけだとまだ断定はできません」
姿勢のいい彼女が肩を落とし俯く様子は、普通の人のそれよりも頼りなげに見えた。
「なので、迷い猫探しと並行してストーカーもどきへの対処も引き受けさせてもらいます」
「いいの?」
「知ってしまったものを見過ごすわけにもいかないので」
話を聞いていたというのに何もせずにいて彼女に何かあれば、寝ざめが悪いどころではない。
「ありがとう」
誠のことを信頼しているというわけでもないだろうが、自分一人だけで正体の分からない恐怖を抱えなくていいというだけで安堵したようだ。
緊張をといた川谷は脱力するように背もたれに寄りかかった。
「得意なのは迷い猫探しだけじゃなかったんだね」
「……ペット探しが得意というわけでもないんですけどね」
「薬師寺さんはそう言っていたけど?」
一体どうやって察知しているのかは分からないが、ミソラは川谷のように相談事をかかえている人を見つけては誠の元へ連れてくる。
その際、だいたいが知り合いに解決できそうな人がいるので紹介しますね。という怪しさ極まりない雑な情報だけで連れてくるのだ。
猫探しだけならともかく、今回はストーカー被害も絡んできた。
あってほしくはないが最悪の事態だって想定しておいた方がいい。それを避けるためにも情報は共有しておくべきだ。
「そもそも川谷さんは、ミソラさんが、なんというか、探偵の真似事のようなことをしているのはご存知ですか?」
「え? そうなの?」
全員から視線を向けられたミソラは慌てず騒がずにっこり微笑んだ。
「探偵の真似事なんて、そんな恐れ多いことしていませんよ」
恐れ知らずの人間が何を言っているのだろう。
「困っている方のご相談にちょっとのっているだけです」
嘘はついていないが、本当のことも言っていない。
詐欺師のようだと思って見ていると、心の中を読んだようなタイミングでミソラがこちらに笑顔を向けてきた。怖い。
「それは、どうして? どうしてそんなことをしてるの? 理由もなくこんな面倒くさいこと普通は引き受けないよね」
「人の話を聞くのが好きなんです。話を聞かせてもらう対価に、ちょっと解決のお手伝いをしているんですよ」
「でもそれって釣り合ってないよね。話す側はそもそも誰かに相談したいわけだし、そのうえ問題も解決してもらうんじゃ相談者の方が得をしてばかりじゃない?」
「言ってしまえばこれは趣味のようなものなので、損得はあまり関係ないですよ」
「趣味なの?」
「はい、趣味です。皆さんがスポーツや音楽鑑賞をするように、私はこうやって人の話を聞くことが好きなんです。趣味にご大層な理由なんていらないですよね」
「そうだね……趣味、趣味か……薬師寺さんって、面白い人だったんだね」
「いえいえ、私なんてどこにでもいる普通の女子大生ですよ」
普通の女子大生は事件現場に自分から首を突っ込んだりはしないが、納得しかけている川谷を混乱させても仕方ないので聞き流す。
「まあそんなわけで、ミソラさんは人の相談にのる趣味があるんですが、その結果として探偵の真似事のような状況になる場合が多々あります」
「なるほど。じゃあ真中くんはどうして?」
「……成り行きです。説明するほどのことではないけど色々ありまして、ミソラさんの趣味を手伝っているんです」
割愛しすぎた返答は川谷から怪訝な表情を引き出したが、誠の事情を話しても仕方ないので気づかない振りをした。
「僕のことは気になさらないでください。そんなわけで、僕たちは普通の大学生よりは少しだけこういったトラブルについて詳しいです」
ペット探しの経験もあれば、ストーカーの相談を受けたこともある。
ミソラの友人の妹だという女の子は、挨拶すらあまり交わしたことのない同級生からSNSを監視され、行動を見張っているようなメッセージを送られていた。
ミソラの友人の親戚の同僚は、マンションのエレベーターでたまに顔を合わせるだけの相手から毎日毎日怪文書を家のポストに投函されていた。
他にも様々なパターンがあったが、往々にしてストーカーをする人間は好きという感情を免罪符に自分の行動を正当化していた。
もしくは、妄想によって全てを自分の都合の良いように変換していた。
己を正しいと思い込んでいる人間とは一番厄介なものだ。
正論は通じないし、何をしでかすか予想できない。
「ストーカー被害についても相談にのったことはある。けれど、僕たちはあくまでも多少知識があるだけの素人です。ですので、手に余ると判断した時は即刻プロに頼ってもらいます。一番避けるべきは川谷さんが今以上の被害にあうことです。大袈裟だと思わずにこれについては僕の意見を優先させてください。いいですか?」
「分かりました。……手慣れてるね」
すらすらと出てくる言葉に川谷は面食らっていた。ぽかんと口を開けている。
「女性からの依頼が多いので自然とストーカーや痴漢、交際トラブルの対応について慣れてしまったんです。それに、本職の探偵に寄せられる案件でもストーカー被害の相談は多いんですよ」
「そうなの?」
「難事件を推理する探偵なんて一部の天才だけですよ。普通の探偵は、警察では対処しきれない問題を被害が起きる前に解決するために地道に働いています」
その最たる例がストーカー被害だ。
ストーカー規制法によって、状況証拠があれば警告や禁止命令を出したり、処罰を求めることもできる。助けを求めれば警察はできる限り力を尽くしてくれる。
けれど日々あらゆる問題が持ち込まれる警察では、証拠がなければ動けない。
なんとなく気配を感じる。つけられているような気がする。ではどれだけ恐怖を感じていようとも駄目なのだ。
その点、探偵に依頼する場合なら例えそれが勘違いだったとしてもお金を払って頼んでいるのだから問題がないのだ。
即時逮捕とはいかなくとも、罪悪感なく安心を買える。
「ニュースだと探偵が事件を推理で解決したって話くらいしか見かけから知らなかった。思ってたよりも堅実な仕事なんだね」
「警察が全ての問題を対処してくれるなら誰も探偵なんかあてにしません。公務員であり制約が多い警察ではできないことがあるから、探偵という仕事にも需要があったんですよ。でなければ、ミステリ小説の中でしか生きられないような存在がこんな風に社会から認められるわけがないんです」
今では興信所と名前を統一した探偵業の仕事は、推理ではなく調査だった。
イメージからくる偏見でうさん臭く思ってしまったりもするが、ペット探しも浮気調査もまっとうな仕事だ。だが小説の中に出てくる探偵はそうではない。
社会性の欠如に、あくの強い人間性。
到底生活していけるとは思えない業務形態。だが、どれだけ奇人変人であろうともミステリ小説の華は探偵の存在だ。
社会不敵合者の彼ら彼女らは、物語の中であればどんな人間よりも魅力的な生き物になる。
しかし逆を言えば、現実に彼らのような人がいれば簡単に爪弾きにされるだろう。
日常に奇人はいらない。
普通からはみ出た人間は、有用さがない限り排除の対象になるものだ……けれど、どういう因果か探偵は社会に根ざしてしまった。
「……探偵のこと、嫌いなの?」
「いいえ、なんとも思っていません。悪意があるように聞こえてしまいましたか?」
「少し」
「ごめんなさい。マコトくんは大学四年生にもなって、いまだにちょっとこじらせているんです」
にこやかに笑いながらする発言ではない。
思うことは山ほどあるが、反論したところで流されるだけなので、批判の意をこめたじとっとした視線だけ向ける。
「茅場さん、どうか.しましたか? 大丈夫ですか?」
川谷と話している間、茅場はじっと黙ったまま俯いていた。
話の邪魔をしないためかと思いきや、一段落してよく見てみれば胸元あたりの長さの髪に隠されている顔が青ざめている。
「あ、の、えっと、驚いて……しまって……すみません……」
小さな声が更にかすれて聞き取りづらい。
「ごめんね茅場さん、まさかこんな話になるとは思ってなくて、考えなしに相席しようとか言ってしまってごめん。聞きたくないよねストーカーの話なんて、怖いよね。もし嫌だったり怖いと思うなら、タビ探しも無理してまで手伝わなくてい、」
「大丈夫です!」
彼女のなかではきっと最大限の音量で言うと、はじけるように茅場は顔をあげた。
「だ、大丈夫です……びっくりしちゃっただけで、怖いとかではないので……」
「……そう? 無理はしないでいいんだよ」
「ごめんなさい本当に大丈夫です。あの、無理も全然してなくて、本当に、大丈夫で、大丈夫なんです……」
言葉が追いついてこないのか、茅場はもどかしそうに同じ単語を繰り返す。
「分かった、分かったよ。でももし不都合があれば気にせずに言ってね」
落ち着かせるようにゆっくり川谷が話すと、茅場はぶんぶん首を縦に振った。
青ざめていた顔も赤みを取り戻していて、本人の発言だけでなくぱっと見でも大丈夫そうだったので話を本題に戻す。
「それでは一日でも早く見つかる方がいいと思いますので、可能であれば今日から捜索を始めようと思います。いいですか?」
「よろしくお願いします」