エピローグ
『――容疑者は、過去にも』
ぶつりとリモコンを使いテレビの電源を切った。
「面白そうなものはなにもやっていませんでしたか?」
「ああ、うんごめん。勝手に消して」
「別にいいですよ。それで、内定はでましたか」
軽い音をたててコーヒーの入ったカップを手にしたミソラが誠の隣に座る。
薬師寺家のソファは今日も座りごこちがいい。疲れた身体を受け止めてくれている。
「分かってることを聞かないでよ……」
就活はいまだに連敗続きだ。
ミソラと出会って三年が過ぎた今、誠は平凡な幸せを手に入れるために努力している。
姉が手に入れられなかった、平凡で、ちょっと退屈で、でもその穏やかさがかけがえない日常めがけてまっしぐらだ。だがなかなかそれが上手くいっていない。
このままではずっとずるずるとミソラといつづけることになりかねない。それは困る。
だって彼女といては平凡な日常を甘受することはできなくなるのだ。
面白おかしい事件の日々は誠が望むところではない。ほのぼの楽しめるくらいの面白さがいいのだ。スリルショックサスペンスなんて求めていない。
「そろそろ観念したらどうですか? あなた結構探偵業に向いていますよ」
「向いてない。僕はサラリーマンになるんだ」
ここまでくると意固地になっているような気もしなくもないが、本心だ。
「それで、平凡さに満足したら死ぬんですか? まあ約束ですし止めはしませんけど、また随分と前向きにネガティブというかなんというかですねえ」
「悪い?」
「悪いなんて一言もいってませんよ」
誠は今、本当に自分が望んでいた死に方を遂げるために生きている。
人生で一番幸せだと思える瞬間。
穏やかで、満たされていて、まだ生きていたいと願える、やさしい時間。
平凡で、ささやかな幸せに包まれて、まどろむように眠る。
その瞬間にたどり着けたら、誠はきっととても嬉しいだろう。
「ねえ、ミソラさん。僕はどこかおかしいのかな」
「あなたがおかしいなら私はどうなるんですか。事件が主食のモンスターになった覚えはありませんよ」
珍しく冗談を真剣な顔でいうから笑ってしまった。
「そうだね、ごめん。僕は普通だ」
三年以上も一緒にいればミソラについて知っていることも増えた。
どうやら彼女は考えなければ人の心の機微というものが本当に分からないらしい。物心つく頃にはそうだったようだ。
彼女にとってこの世で一番不思議なものは人の感情の動き。それに引っ張られる行動、非合理的な選択。
それを知るために事件に首をつっこむし、人の相談にも無償でのる。
彼女が本当に解き明かしたいのは謎ではなく人の感情。いや彼女にとっては感情こそが謎そのものなのだろう。
「そうですよ。別に犯罪行為に手を染めているわけでもなし。なら、思考は自由であるべきです。それが平等ってやつでしょう? 私みたいな人間がいるように、あなたのような人間だっている。それで、いいんじゃないでしょうか」
曖昧に頷きを返す。まだ何もかもが消化されないまま体のなかに残っていたとしても、現実は意外と鈍感に許容してくれる。
「それにどうせ私とは違って、世の中の人はそこまで他人に興味ないですよ」
「それはそうだ」
ミソラ以上に他人に本気で関心を持つ人はなかなかいない。
「……ねえ僕のことはともかくミソラさんはこれからどうするの? 阿田川さんからこの前久しぶりに電話があったみたいだけど勧誘されてるんじゃないの?」
高人が辞めてしまったこともあってますます本気で勧誘されている気がする。
「阿田川さんのところには行きません。高人兄さんを見ていて思ったんですけど、やっぱり私、会社に勤めるのは向いていないような気がするんですよ」
自覚があってなによりと思ったが、口には出さずに話の続きを促す。
「それで、ちょっと考えてることがあるんです」
にっこりとはりつけたような笑みを彼女は浮かべた。嫌な予感がする。
「阿田川さんが探偵会社をつくったのは、その方が好き勝手やれて、事件にも多く関われると思ったからなんですって。どうですマコトくん? 私と二人で探偵会社つくりませんか?」
良い笑顔でミソラがたたみかけてくる。ある意味これも内定なのかもしれないと思うと、お祈りメールで疲弊した心が少しぐらついた。
「ちょっと……考えさせて……」
しぼりだすような声を出して答えを先延ばしにした誠を見て、ミソラは満足そうに笑った。
真中探偵社は、設立二年目にして華々しく連続事件を解決。一躍注目の的となる。
だが社長副社長ともに二十代前半で年若く話題性がありながらも、徹底したメディア嫌いで取材の全てを断っていたため資料はあまり残っていない。
会社自体もこぢんまりとしたビルの五階に居を置き続け、社員も少人数。入社を希望する新人は山ほどいたらしいが、まともな方法では新入社員を取らなかったそうだ。
解決事件の件数と会社の規模が見合っていないと文句を言われながら、設立当初のまま好き放題に事件を解決していった真中探偵社だったが、社長の真中が亡くなるとともに廃業。
副社長でもあった相棒の薬師寺ミソラのその後の行方は誰も知らないという。
そのため後々の探偵ファンの間で話題づくりの創作だったのではないかと疑われることがしばしばあるが、真中探偵社は確かに存在していた。
数字にしてしまえばたった数十年かもしれないが、一人の人生からすれば長い時間だ。
彼の想像よりも彼の人生は長く続いた。平凡さとは程遠い日々ではあったが、不幸とも程遠い毎日だった。
面白おかしい日々を過ごした彼が、最期の瞬間「まだ生きたい」と思えたのかは想像におまかせしよう。しかしきっとそこには幸いがあったと信じていいはずだ。
だがまだそれは先の話、ひとまずは彼らの新しい門出に祝福を!
最後まで読んでいただきありがとうございました。




