不法侵入 1
小雨の降る六月の月曜日。
入学から二カ月がたち、大学生活にもようやく慣れてきた誠は、その日も学食で唐揚げ定食を食べていた。
近場の飲食店を吟味した結果、味よりもコスパの面を重視するなら学食が最良だということに大学一年生の六月にして結論がでたのだ。
ついこの間までは何をするにしても目新しいことばかりで戸惑っていたけれど、ようやく地に足がついてきた。これなら本腰をいれてやりたいことをできるようにもなるはずだ。
「こんにちは」
考えごとをしながら唐揚げを頬張っていると、正面の席に人が座った。ことりと置かれたトレイの上には自分が今食べているのと同じ唐揚げ定食がのっている。
三限目がちょうどはじまった時間のため食堂内はがらがらだというのに、わざわざ目の前に人がいる席を選ぶだなんて変わっている。
「……こんにちは」
会ったことがある子なのかもしれないと思って顔を確認してみたが、知らない子だった。
全体的に色素の薄い綺麗な子だ。ハーフだろうか。髪は染められるにしても、目まで美しいヘーゼルの瞳をしている。カラコンでは出せない自然な色だった。
楚々とした雰囲気なのに、つい目がいってしまう不思議な引力がある。もしも一度でも顔を見たことがあれば覚えていただろう。
違う学部の子か、もしかしたら先輩なのかもしれない。
「前、いいですか?」
「いいですよ。あなたもう座ってますけどね」
可愛い子とお近づきになれるのは嬉しいが、マルチの勧誘とかだったらどうしよう。
「唐揚げ、美味しいですか?」
誠の心配をよそに彼女が聞いてきたのは普通のことだった。
「そう、ですね。学食のなかでは美味い方だと思います」
「なら良かったです。当たりですね。学食に来るのは始めてなのでどれにしようか迷ったんですよ」
学食を使うのは男子生徒が多い。女の子は近くのカフェやらなんやらをよく利用しているらしいが、誠は近寄ったこともない。たまに一度くらい学食に行ってみたかったという女子の集団がいるのだが、彼女もそれだろうか。
「ああ、結構種類もあるし迷いますよね」
種類は多いが当たり外れも多い。不味いメニューもある、らしい。サークルの先輩からそんな話を聞いてから誠は唐揚げ定食ばかり食べている。
いただきます。と言って唐揚げを一つ口にいれると、満足そうに彼女は笑った。お気に召したらしい。以降とくに話しかけてくることもなく彼女は黙って誠の正面で食事を進めている。
感想を聞くためにわざわざ話しかけてくるなんてちょっと変わった美人だなと思ったが、悪い気はしなかった。
だからといって彼女と楽しく会話を交わすようなコミュニケーションスキルは誠にはないので、自分の分を食べ終わってしまえば小声で「じゃあ」と言い逃げるように席から立ち上がる他なかった。
「あなた、昨日三丁目の廃ビル近くにいましたよね」
トレイを持ち上げようとした瞬間に声をかけられたせいで手が滑り、がちゃりと食器がぶつかる嫌な音が鳴る。
一度解いた警戒心が強まっていくのを感じた。
「近くの居酒屋でバイトしてるので通りましたけど。どうして知ってるんですか?」
大学側とは駅を挟んで反対方向にある三丁目の廃ビルは、くだらない怪談があるせいで有名だ。誠もバイト先の人に教えてもらった。
「いえ、ちょっとお見かけして……ちなみに昨日の二十二時くらいにその廃ビルのあたりで少々騒ぎになっていたと思うのですが、ご存知ではないですか?」
「あー、なんかパトカー止まってましたね。でもそれがどうかしました?」
夜はとくにくるくる赤く光るランプは目立つ。遠くからでもよく見えた。
調べればすぐに誰かが後付けで話をつくったことがわかるが、解体工事の事故で死人がでて放置されているという陳腐な怪談があの廃ビルにはある。
そのせいで興味本位でしのびこみ、肝だめしをするやつらがいるらしい。きっとそうやって馬鹿をした人が騒ぎすぎて警察を呼ばれたのだろう。
仕事とはいえこんなことで呼び出される警察も大変だ。くるくる回る赤い光を横目に、そんなことを思いながら野次馬には混ざらず通り過ぎた。
「酔っていたのかは知らないですけど、大学生と思わしき集団がどうやら少々羽目を外して遊びすぎたようなんです。でも警察が来る前に逃げてしまったみたいなんですよね。ですので何か目撃していないかお伺いしたいんです」
「どうしてあなたがそんなことを聞くんですか? パトカーがきてたんだからきっと警察が調べてますよね?」
それに華奢で穏やかな雰囲気の彼女とは不似合いな話だ。
「叔父が探偵会社に勤めているんです。その関係で私もほんの少しだけ調査のお手伝いをしているんですよ。学生の話を聞くなら外部の人間よりも学生が適役でしょう」
「そういうのって守秘義務とかがあるんじゃないんですか?」
詳しくは知らないけれど、親族だろうと調査内容を漏らしてはいけない気がする。
「ありますが私は特例なんです」
「……本当にここの学生なんですよね?」
あやしい返答に不信感が募った。
学食は学生しか使えないというわけではない。外部の人も入ってくることができる。
もしも彼女が学生でないなら、見かけたことがないのも当たり前だ。
一体どういう目的なんだろうと疑いの目を向けると、彼女はにっこりと効果音でもつきそうなくらいに口角を綺麗にあげた。
「ぶしつけな質問を名乗りもせずにしてしまいすみません。私、文学部一年の薬師寺ミソラと申します。よろしくお願いします」
「……法学部一年の真中誠です」
ミソラへの第一印象は、美人だけどうさんくさい人だな。に決まった瞬間だった。
何も見ていません。そう答えると誠はさっさと学食から立ち去った。
これまでの人生で探偵と関わったことはない。ニュースなどで事件を解決しただのなんだのと言われているのは見たことはあるし、資格だって必要なまともな職業だということは理解しているが、警察とくらべるとどうにも実態が分からなくて得体が知れない。
あまり深くは関わりたくない。これまでミソラとはすれ違ったこともないのだから、今後会うこともないはずだ。そう思っていた。
「こんばんは、真中くん」
翌日、火曜日であまり混雑していないバイト先の居酒屋に彼女はやって来た。
「……いらっしゃいませ」
「二名です」
指をピースの形にした彼女の後ろにはどことなく彼女と似た雰囲気の男がいた。恐ろしく顔の整った背の高い男だったが、まとう色彩がミソラと同じだった。
「ご案内します」
「叔父の薬師寺高人です」
彼が何者か気になっているのを雰囲気で察したのか、席に案内してすぐにミソラが教えてくれる。
血縁者であることは予想していたが完全に兄だと思っていた。叔父にしては見た目が若すぎる。
「どうも、阿田川探偵社の薬師寺です。真中くん? だよね」
雰囲気だけでなく笑い方まで高人はミソラに似ていた。
「本当にいたんですね探偵会社に勤めてる叔父さん……」
彼の着ているジャケットの襟元には、前にニュースで見た探偵の組合員バッジがついていた。
「私はくだらない嘘はつきませんよ」
「急にミソラみたいな子に聞かれても疑うよね。ごめんね真中くん、この子ちょっと聞き取り調査が下手でさ」
「いえ、こちらこそすみません。疑ってたわけじゃなくて、なんというか、探偵の人と会う機会が今までなかったので、本当にいるんだなあって思ったというか」
しかしこうやって直接会っても高人が探偵だという実感はわかなかった。正直、俳優かモデルだと言われた方が納得できる。
「まあ普通に暮らしてたら探偵と関わらないよね。ここ数年は阿田川社長がよく取材受けたりしてるし知名度もあがったけど、警察と何が違うの? とかよく聞かれるし、警察はただで対応してくれるのにお前らは金を取るのかって文句を言われたりもするしね。普通に民間企業だから依頼料もらえないとやってけないんだけどねえ。興味ないことは皆知ろうとしないから理解してもらうのは大変だよ。俺なんかとくに事件専門だから精神がきりきりした人たちと交渉する時が多くてさあ」
呆気にとられた様子の誠に気づくと高人は口を閉じた。
「ごめん、仕事中だったね」
「なんか……探偵も大変なんですね」
流れるような言葉の勢いに押されそうこぼすと、彼は顔をぱっと輝かせた。
「分かってくれる? じゃあさ、真中くんにちょっとお願いがあるんだけどいいかな?」
「はい?」
「ありがとう。バイト終わってから詳細を話すからよろしくね。ここで食事しながら待ってるから」
今のは疑問のはい? であり決して肯定のはい。ではなかったのだが、高人は誠が訂正する間もなく話をすすめていく。
助けを求めるようにミソラに視線を向けても、にこにこ微笑みを返されるだけだった。
「ちょっと待ってくだ、」
いくらなんでも強引すぎる。とんでもない厄介事に巻き込まれるのではないかと慌てて止めようとすると、真中くん早く料理運んで! と先輩から叱責が飛んできた。
「呼ばれてるよ」
高人の整った顔に綺麗な笑みが浮かぶ姿は、最初に見た時と異なり妙な含みがあるように感じた。
やっぱり関わっちゃいけない相手だったんじゃないかと後悔したが、バイトをあがってみつからないようにこそこそ店から出ようとしてまんまと捕まった瞬間に、もうとっくに逃げるタイミングはのがしていたのだと悟った。




