毒の短剣
人が大勢集まってがーっと何かを言われたが一度に話されても聞き取れない。俺は神様じゃないのだった。その中で多くの人が言っていたのは奇跡という単語だった。
どうやら船が浮かんだことを言っているらしい。
「浮かぶのは当たり前です。船は押しのけた水の分だけ上に押し上げられます。その力を計算して全重量を持ち上げられるだけの船底を作っただけです」
「まさか、あの船全体の重さが分かってるんですか?」
船というのは美しいな。海に浮かんでいる銀色のその姿は全てが美しい曲線で構成され、まるで女の腰回りのようだ。
「密度と体積が分かれば全部わかります。貴方の体重も」
実に簡単な話だ。これは工学というよりも算数の分野である。掛け算で求められる。彼らは戦艦が進水式の時に浮かんだことを目にして驚いていたが、見るべきはそこではない。
あの船にはこの世界には無いバルバスバウという形状を採用した。
これは現代日本において、漁船にまで取り入れられた船体計上で、船の先端から水に浸かるまで緩やかなカーブを描き、またそれが前に突き出す形状のことで、舟艇の先っぽにコブが付いた物になる。真横から見れば艦首が上下に二つあるような異様な構造で海を進む際にはこれが海中に刺さるように進むため非常に舟艇が安定する。
問題は海中に食い込むように進むため巨大な動力を必要とする事だった。
だからタンカー以下のサイズの船にバルバスバウを取り付けた場合極端に船足が遅くなる上に、嵐で荒れた海の上においては荒波に水から頭を突っ込む様な船へと変わってしまうのだった。これではまさに諸刃の剣である。この形状は元々敵戦艦の船腹を船に取り付けた槍で突き刺すことで撃沈しようとした形状が元と言われていて、船を安定させるための物ではなかった。
「……ですか!?」
「なんて言いました?」
「私たちは解雇ですか?」
何を言っているのだろうか。
「二番艦の建造が終わっていない。辞めてもらっては困る」
「もう一隻作るんですか!?」
「そう。彼女は姉妹だ」
人間は奴隷に無い物を持っていた。それは魔法である。魔法は水を作り出すことはできないが、泉を蒸発させ雲を作り雨を降らせることができる。それは先住民や買い取られた奴隷達にはまさに奇跡であった。しかも遠隔から鉄も溶かす温度まで熱を生み出すことができた。無論それには術者の人間性の消失という代償が払われることになるが人間は気にしない。
ある意味では軍人というのは消耗品であり、替えの利く弾丸と同じなのだった。社会を成り立たせるための歯車にすぎず、彼らは次々使い潰された。そんな彼らには生涯軍人とパートタイムで働く軍人とがいる。
俺が狙うのはパートタイムで働く方の軍人である。彼らは実に軍隊の8割を占め、他に仕事がない者が名誉とか生涯一度のと言った言葉に踊らされて一年から二年契約で戦っているのだ。そんな彼らが奴隷から一方的に魔法を受けた場合どうなるかというと、簡単に心が折れる。
魔法で守られていると思うから彼らは鞭が持てるのだ。手の届く距離の先住民が毒付きの短剣を持っていたら果たして同じような行為ができるのか。
これはそういう取り組みだった。
コードネーム毒の短剣は、乗員140名の大戦艦である。一方でその船体はタイタニック号を思わせる美しい三本の煙突と白い顔料で塗られていた。
エンジンを小型化できず、三階建ての船内の一階から二階までをぶち抜いて取り付けた蒸気エンジンは20人もの船員が角砂糖にしがみつく蟻のようになってやっと満足に動かせるという代物だった。精度の低いベアリングはじゃりじゃりと常に物凄い轟音を発していて地獄のような部屋だった。
その部屋を守るために甲板上は白く塗った。日差しを少しでも反射し熱を籠らせないための苦肉の柵であったが、近隣住人からは貴婦人の愛称で親しまれる嬉しい誤算を得る結果となった。
全30門の127mm副砲は左右に15問ずつ配置し、砲操作員は右旋回と左旋回で甲板の上を走って移動して取り付くという構造になっていた。装甲艦でありながら、この甲板上から空が見えたのは伝書鳩を使用した連絡方法を使っていたからだった。
幸いにも電気と電球は間に合ったが、無線は構造が分からず再現できなかった。エアコンもガスが手に入らず取り付いていない。代わりに羽が剥き出しの扇風機があったがどれもお粗末で図面通りに作られたものなど一つもなかった。
こんな船が世界最新鋭なのだった。
船の中ははっきりいって蒸し風呂で、進水式の時綺麗に着飾っていた奴隷達は皆全裸で汗を滝のように滴らせて文字通り戦っている。そんな船だった。
エアコンだ。エアコンが欲しい。なんかオッサンの裸を見てしまうとげーって感じだった。若い女の裸を見ると余計気まずかった。
これが今の限界である。