速かった訳
まだ尻の青い少年が総工費12億円、熟練工を集めても8年はかかると言われた造船を設計開発を含めて2年と半分の工賃で実現したのには理由があった。
船を作ったのは熟練工ではなく、主に孤児院の子供奴隷達だったのだ。
彼はリンゴの空き箱の小さな壇上に上がると言ったのだった。働く者には食事を提供する。一食に麦のパン一つ、希望者には追加で支給を行うと。孤児院の食事は麦をドロドロになるまで煮込んだ粥であり、それも一人当たりお玉一杯を配られるだけで、いつもお腹を空かせていた子供たちは破格の条件に目を輝かせた。
さらに食事は一日に三回もあるという。この時点で多くの者が参加を決めていたが、目を皿に、耳を風呂敷のように広げた少年少女たちは耳を疑うような条件を聞いた。
月に一人一銀貨払うというのだ。そんなうまい話があるだろうか。それは孤児院で売られる子供三人分の料金であった。当然、自分を買い戻すことも容易な金額に、聞かれてもいないのに子供たちは両手を上げ、教師までもがこれに参加し、一日にして孤児院はそのまま工場へと変わってしまった。
そしてその金額には理由があった。
作るのは船。その船は全部金属製なのだという。子供が聞いてもおかしいと思う。その理由は鉄の重さにある。紙よりも重い物は水に沈むのだ。鉄で船を作ったら沈んでしまう。子供でも分かるその事実に皆ほくそ笑んだ。作業が長引けばそれだけ長く給金が発生すると考えたからである。
そしてそれだけの鉄が手に入るとはだれも想像すらしていなかった。
しかし一カ月もして孤児院の庭に山の様な鉄が集められ始めると皆驚き、これから始める仕事の大きさに言葉を失った。国中から集められた鉄は鍋もあれば、ナイフ、車輪、鉄兜など様々な物があった。これらは製品に加工されていたが、全部鋳つぶして鉄の塊にするのだというのだった。
これには大量の木炭が必要となったため、子供たちは毎日朝から晩まで真っ黒になって炭を焼いた。
一週間もしないうちにその小さな雇い主はやって来て、炭焼きで特に良い成績を上げた子供にベーコンをご馳走した。それだけでなく、山でとったばかりの鹿を自から解体し、焼肉にして食べさせた。
皆が見ている前で、だ。炭が焼くのが上手かったために、旨い飯にありつけた姿を見て皆血の涙を流した。仕事を頑張り、気に入られれば優遇される。それがごく当たり前に理解でき、子供でも競争して仕事に励む原動力となった。
次の月には真っ赤に焼けた鉄がハンマーで撃ち延ばされ、幾十枚かの鉄板に変わった。
この時たたえられた少年は食べきれない量のお菓子と骨付き肉をもらっている。
これを目の前で見せられるのだ。こんなに残酷なことはない。
一方で他人の仕事を邪魔するような行為は厳しく罰せられ、また、作っている物の情報が外に出ることは命の危険が及ぶことになるから絶対に漏らしてはならないときつく言い含められた。
一年しないうちに街に住んでいる商人よりも裕福になった子供たちは、仕事のことを別の建物にいる同じ年くらいの友達にも内緒にして、手紙にはご飯が食べたいだとかひもじいとか書いたために、その月からはパンにチーズかハムが追加されるようになる。
子供たちは思った。自分のような下働きがこんなにいい物を食っているならば、その人に仕える奴隷はどんないい物を食っているのだろうかと。
見ればその奴隷達はいつもきれいで毛艶が良く、なんとなくその人の盾になるようにいつもいるのだった。命令されているわけでも鎖につながれているわけでも魔法を向けられているわけでもないのに。
しかも毛深いものとそうでないものが一緒に生活をしているのだった。でもどちらかというと毛深い方を可愛がっているように見えたのは同じ血を持つ奴隷の身であるからか。
子供達は必死になって仕事をした。