孤児院のダイヤ
我が家の稼業には教育という物がつきものだ。
父の考えでは、言うことを聞かない奴隷はコンセントの繋がっていない家電と同じなのだった。しかも奴隷という家電は、教え方ひとつで多くのことを行うことができた。
いや、俺も良心がとがめるわ。でもこれで飯食っている身として、半端な所で投げ出す方がどうかしていると思うのだった。持ち主のいない奴隷がこの国で殺されることは珍しくない。一般的に絞首刑だ。この国の住人にとって奴隷とは人間ではなく、賢い動物程度の扱いなのだった。猿やイルカみたいな存在で実際町の動物園や見世物小屋には奴隷が入っている。もはや文化なので、我が社が手を引いても別の会社がこの地に立つだけだ。
奴隷という文化を終わらせるために、奴隷を使う。これは矛盾だ。だから考え方を変えればいい。石油産業を止めるために核エネルギーに手を出すとか。どちらが地獄かはまだ分からない。分かっているのは化石燃料と奴隷産業には限界があるという事だけだ。きっと今の生活を手放せば一番いいのだろう。社会を手放す代償に子供は9割が流産になり、平均寿命は20歳になる。驚くべきことにあの医学が進んだ日本ですら6割が流産になる。子供を作るのは大変なのだ。
一方地獄の我が社には48の児童育成機関がある。これを仮に孤児院と呼ぶ。この孤児院は協会のような建物に多種多様な種族の奴隷の子供を400人ばかり集めて教育を行う機関で、成績によって等級が決められている。最も高い成績を収めた者には高い階級の持ち主に。成績が悪い者は大抵畑での重労働が決まっていた。
そんなところに社長兼、営業職二年目の俺が行くのだ。どうなるかというと言葉が無くなるのだった。
まだ十歳にも満たないような子供達。馬鹿みたいに騒いでいい歳の子供が黙りこくって先生を凝視している。先生も奴隷で首には鎖が繋がれていた。
これが我が社のやり方なのだった。最近では奴隷を狩るために奴隷を使い、自分たちの戦争にも繰り出しているのだった。こういうのを悪魔というのだろうね。
ここに来るまでにもらったお菓子などを授業中にも関わらず配ったが、勿論先生は怒らなかった。食欲には勝てないようで腹に詰め込む子供もいれば、皆に見えないように懐に隠す子もいた。
食べ屑ができの悪いフローリングの隙間に落ちて、それを拾おうとした子供達同士で大喧嘩になった。それも流血を伴う殴り合いで食糧事情を知る。この世界、人口に対して平坦な土地が少なく、農地に適した土地がない。そもそもその農地でさえ奴隷に依存していた。
「ねえ、M16のネジは何ミリねじ込めばいいと思う?」
俺が聞いているのはネジの強度を保つためになんぼ入れるか?という意地悪な質問で、子供たちの反応を見ていた。自分の知らないことに直面した場合、この子はどうするのか。嘘をついてでも相槌をうつ子は営業に向いている。自分の無知を受け入れて聞き返す子は設計に向いている。
「じゃあ、このネジを切るために、どんな道具がいる?」
これこそ意地悪で、タップを考えろと言っているのだった。日本に火縄銃が伝来した時、村の鍛冶屋に突き出された難題と同じだ。お殿様は火縄銃を作れと命じられたのだ。しかしそんな技術は日本に無かった。でも日本は2年で30万丁を作った。
そんな天才がいれば、いくら金を出しても惜しくないのだった。
そしてこのセンスというのは大人子供関係ないのだった。
むしろ子供の方が扱いやすいし、実際世界では年少兵が軍隊の最多殺害数を示し、第二次世界大戦の時では負け越しになったドイツとヒットラーに最後まで付き従ったのはヒットラーユーレントだった。それは平均年齢14歳の隊だった。
結果は合格3人。彼らはタップを知らなかった。どうやってネジを切ろうと考えたかというと、鉄棒に溝を掘って、その溝にギザギザの板を入れ込み、それを穴にねじ込んで切り込むと言う物だった。しかもその工具は板の下に薄板を挟むことで相手のネジにネジ山を合わせられるという物。
こういうのを天才という。
それぞれ名前を、アーモン、ハンス、平八と名付けた。それぞれ歴史上の偉大な発明家たちだった。
許して欲しい。彼らは奴隷三世で名前が無いのだった。故郷も無いのだった。あるのは番号だけ。手提げに入るほど少ない手に持つには全部番号がふってあった。
この世の地獄よ。全部番号を消して名前を書いた。
「今日から君たちは人間になる。一人の人間に。世界を変える一人の人間に」
よく分からない顔をしたケモケモの手を引いて家に帰った。早く仕事を覚えようね。そしたらおまんまたくさん食べられるからね。