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お守りの匂い

 その日の夕方、俺は家の中を徘徊する怪しげな老婆を見つけた。

 この家の家族、あるいは血縁者だろうか……。

 腰の曲がった老婆は、首から子供の生首のような悪趣味なデザインのネックレスをつけついた。老婆は白濁に濁りきった目をゆっくり見開いた。


「お前さん、私が見えるのかい?」


 無視をした。変な人だ。関わらないに越したことはない。


「黄色い三日月、目に見えない槍、崩れ行く体……」


 そう言い残して老婆は消えてしまった。老婆が去った後には、一枚の黒い羽がヒラヒラと舞い落ちるのが見えた。その羽には血がベットリと付着し、鉄臭さの他に生き物の焼ける臭いがした。


 何て言ってたんだろう?

 俺は考えながら館の玄関を抜けると、サッカーコート3枚分はある庭に出た。この世界の我が家は金持ちだけあって、庭には噴水や水か目をもった女の石膏や、生け垣が幾重にも重なって生えている。

 ここにもあの老婆の姿はない。


 その代わり、首を鎖で繋がれた女性達の姿があった。これから売りに出される商品だ。

 我が家はこの商品でお金を得ている。


 皆、石畳の階段を降りる俺を見て、目を見開いていた。

 きっと皆は、父が姿を表すと思っていたに違いない。その証拠に命乞いをするために土下座する人もいた。冷たい泥の中で膝をつく奴隷たちも、まさか、自分達が売られた金でガキが裕福な生活をしているだろうとは思ってもいなかっただろうな。


 俺の心には罪悪感があった。それは彼らの運命だが、自分は救える立場にあるんじゃないだろうか。俺のポケットの中には、幸いにも朝もらった肉の一部が入っていた。


 俺は、待ってきた肉の欠片を手ずから奴隷達の口元に運んだ。


「誰が、奴隷商人の飯など食えるか!」


 奴隷の女一号はひどく嫌悪した様子で俺の手を叩いた。

「この性根の腐ったチビが!」

 不思議と怒鳴られても何も感じなかった。俺はまだ奴隷商人の子供という自覚が足りていないのかも知れないなと思った。なぜならば、どこかその光景をテレビの中を除くような軽い気持ちで見ていたからだ。


「どうせ、お前に支えている奴隷はおんなじくそだろうなぁ!」

「あ?」


 俺は、別に自分のことを悪く言われるのは良いんです。面と向かってそれを言われる分には俺は、何一つ悪い気持ちはしない。そういうやつは殴ればいいのだから。


 でもね、俺の大事な人を悪く言うのは気にくわず、無意識に力のこもった右手が震えた。


 俺は、その女を立たせて聞いた。


「ん? 何て言ったのかな?」

「うんこたれの!小便垂れくそ女は奴隷のかざッ」


 俺の拳が女の横隔膜辺りに埋没してこぎみよい音が響いた。子供の体でも、ジャンプを殴る瞬間に入れることで十分に威力を乗せられた。

 ビチャチャと女の胃の内容物が地面にぶちまけられる。人間とは弱い生き物で、内蔵を殴られると胃の内容物を吐く。しかも横隔膜が痛みによって痙攣し、呼吸もままならなくなってしまう。

 女は自分の吐瀉物の上でに這いつくばって息をなんとか吸っている。


「ヒュー!!ひゅ……」

「ん、なにかな?」

「ゲホッ!」

「聞こえないな」

「貴方の奴隷は、麗しい、きれいな方です」

「ん。よろしい」


 はーーー。やっぱりその言葉こそ俺のメイドにふさわしい。俺はふと誰かの視線を感じて窓の方を見た。

 誰か見ていたらしい。その人影はカーテンの向こう側に姿を消した。


 そのあと、父様から呼び出しがかかった。大変である。別に悪いことをした覚えはないが、いやしかし、人は殴ったので、それか、いやあの例の犬っぽい人になにか言われたのか。とぐるぐる考えて、あの嫌な部屋に足を踏み入れた。


 今日は、二人の女がいなかった。父様と俺だけ、二人っきり。


「アイーシャが転属願いを出した」

 はて。誰のことだろうか。

 キョトンとした俺の顔にビックリした様子で父は続けた。


「お前の兄の専属だ。お前に気があるそうだ」

「誰ですか」


 いや、本当に知らない。

 そんな女性がいれば気がつくはず。

 まさか。


「ほら、尻尾と耳のある」

「ああ、あの人ですか」


 確かにあの能力は引く手あまただろう。特に狩りができるということは、追跡や山狩りなどにも対応できる。特に、奴隷が逃げたときなどには重宝する存在ではないだろうか。狩には膨大な体力だけではなく、獲物をけして逃がさないという執着と、勘のようなものが必要になる。


「お前の専属になりたいと」

「俺にはオーロラがいますので」

 父はばつが悪そうに頬を掻いた。


「実はな、アイーシャはもう奴隷ではないので通常の自由雇用契約を結んでいる。つまりは、ある程度の仕事希望を聞くのが雇用主の勤めだ」


 アイーシャと呼ばれた女は、既にこの部屋に控えていた。スッと音もなく現れた女は、赤いドレスに身を包み、首もとには食い込むほどキツいチョーカー。胸元のガッツリと開いた胸元にはキラキラと光る滴が見えた。頭の上の耳はレーダーのように世話しなくピクピク動き、おしりから延びる尻尾はブンブン振られている。


 ノーとは言えない雰囲気ではないか。

「……分かりました」


 俺がおれたのが嬉しいらしく、あるいは、認めさせたのが嬉しいのか、アイーシャは首のチョーカーを撫でていた。そのいとおしそうに撫でるしぐさがあまりにも恍惚としていてドキリとする。

 まるでそれじゃ俺が奴隷を買ったみたいではないか。


「まずは、そうだな、布団を暖めさせる事から始めなさい」


 我が父よ。そんなことをしたら息子がどうなると思いますか? 今俺は5歳なのですよ。

 とにかくこの時は黙ってうなずくしかなかった。


 彼女の種族はハウンドと呼ばれ、かなり高級な奴隷に入るそうだ。元々大陸に住んでいた種族の中で、人間に味方した者達。狩りのお供に使われていた。

 ここにいるのは、彼女の種族が魔法に憧れたからなのだそうだ。純粋な人間が使うその青い光は彼女らのなかで奇跡と呼ばれており、それを教わるために差し出されたのが彼女ら。全部で10人の奴隷が存在することが分かっている。その他に登録されていない非合法な奴隷も含めれば、その数は数百規模になる。

 鼻が高く、人間よりも嗅覚に優れ、狩りの時のスピードは時速60キロにも達する。

 アイーシャはブーツの下の足を二人っきりならばと見せてくれた。人間とは異なる足。筋肉のつき方。彼女の足の指には黒く長い鍵爪まで生えている。


「さわってもいいですか?」

「はい……でも、やさしくお願いします」


 勿論、偽物ではなかった。また、獣毛の生え際などぼろのでそうな所を重点的に見たが、本当に生えているし、変な縫い目などはない。勿論、血が通っているために暖かくもあり、足の裏にある肉球も外側は固く、なかは柔らかい。

 お腹はどうなのだろうか。その服で隠している内がわに分厚い筋肉を隠しているのは間違いない。そっと服の上からそこに手を置くとアイーシャは息を飲んだ。

 固くない。そんなに筋肉はないような気がする。シックスパックではない。横に線が出る程度。ボディービルダート言うよりアスリート。下腹部に手が近づくと

  ガッと手に牙が当てられた。撫でられるのは嫌らしい。


「ベタベタさわったりしてごめんなさい。はじめて見たので興奮してしまって」

「今日はダメですけど、またいつか」

「お前、死んじゃだめだからな」

 言葉を崩して話したが、まあ、名前を知っている人が死ぬと悲しい。たぶん。きっと。

 アイーシャはポケットから小さな布切れを取り出した。それを広げると、何かの染みと血痕が残っていた。

「これはお守りです」

「あの日着ていたメイド服ですか」

 アイーシャはその布に残ったシミを見せつけるように俺の前で舐めとってみせた。なんどもそうやっているらしく、やけにこなれた手つきとトロンとした目付きでまるで麻薬か何かを吸っているようだった。

「私はその必要があるならば死ぬ覚悟です。今ここでも」

「するな」

 と俺は短く言って背を向け歩いた。ついでに布を奪い取り口を拭いた後で投げ返す。人にはある程度ガス抜きがいるから。



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