僕の連れ
入口の方から怒鳴り声が聞こえた。
俺の心はしゅんと小さくなって、汗の冷たさを知る。いやそれだけではないだろう。その怒声が大人の物であったために俺の心は落ち込んだのだ。
「何で人間以下のお前がいる!!」
一瞬自分が怒鳴られていると思った。自分が本当に人間かと聞かれてはいそうですと答えられない。君は自分がエイリアンである可能性を否定しきれるのか。これは冗談だが俺の半分には狼の血が流れている。
かかわろうとは思わない。その声の中心にピンと立つ大きな耳を見るまでは。彼女は特に感情を表さず、何度も何度も怒鳴られていた。顔に相手の唾がつこうと、顔に酒ビンを投げられようとも。
「あの、ぼくの連れが何か」
よせばいいのに、俺は前に出てしまった。誰が見ていられるというのか。良い女が一方的に殴られている。この世界はおかしい。衛兵がいるのに彼らは空を見るのが忙しいらしく、手に持った槍は飾り以上の何物でもない。もしかしたら歯向かうことで自分が処罰されることを恐れての行動だったのかもしれない。
狼メイドさんはひどく汗をかいていた。それは緊張による汗だ。ストレスによる汗だ。彼女を守るため、俺は壁になるように前に出た。
彼から返答がないため、俺は言葉を強くし聞き直した。
「ぼくのつれが何か粗相を致しましたでしょうか」
「ぐっ……」
この世界、実は異性をさして’つれ’という言葉を使う事が意味するのは配偶者だ。主に夫が妻に対してその言葉を使う。それを知らない物だから、俺はそう口走ったのだが彼は嫌に狼狽した。
それもそうだろう。皆の目がある中で黒い少年の配偶者をなじり、あまつさえ酒ビンを頭にぶつけたのだから。引くに引けない。しかしこれ以上痛めつけるのも男として負け。逃げるのも負け。結果として動けなくなってしまう。
狼メイドさんは10段階ある内の8に値するケモなので服を着ていてもその身体的特徴が見えてしまう。毛嫌いされているのだろうと思った。差別だ。肌の色が違う、文化が違う、身体能力が違う。だから攻撃してもいいと。
俺は彼女の手を取ってお礼を言った。
「よく我慢してくれた」彼女は怒っているようで一切目を合わさずゆっくり頷いただけで終わりだ。
「もう今日は帰ろうか。疲れたね」
汗ばんだ男の手が俺の肩を掴んだ。
「ま、まってくれ!!まだ謝罪が済んでいない!」
俺はね、怒っている。
なぜそれが分からないのだろうかと思った。
狼メイドさんが我慢しているから俺も我慢しているというだけで、心の中ではふつふつと煮えたぎった溶岩が釜の縁まで迫っているというのに。
男はぎゅーっと肩に指をめり込ませてきた。痛い。その手には隠すように小さな刃物が握られていて、最初からそのつもりだったことを知る。
手がしびれ、腕を伝った熱い血が床にぽつぽつと垂れた。
「うがああああああああああ!!!!」
彼の間違いは、最初に俺の首を落とさなかったことだ。
そして、俺が変身することを知らなかったことだ。
大きく盛り上がった肩は、真っ黒な毛皮で覆われ燕尾服を引き裂いてずるりと床に転がった。おくれて胸板が発達し、背筋、腰骨の骨格が変わる。溶けた飴を延ばすように伸びた顔は、狼の物に変わっていった。
「……美しい」
俺は男を睨み、狼メイドさんをお姫様抱っこして会場を後にした。
衛兵はこの姿に驚いたようだったが、腰抜けだったために逃げた。頭に当たるシャンデリアがうざかったので小突いて破壊し悲鳴を無視して走る。
その方が馬車よりも早いから。
メイドさんは俺を責めるように何度も首を噛んだ。なんでもっと早く来てくれなかったのかと言われている気がした。