ダンスダンスダンス
重厚な扉を押し広げて中に入ると、甘い菓子の焼ける匂いが鼻をくすぐった。自分のような子供の参加もあってか、壁際には白い布がかけられた長机がいくつも置いてあって所狭しとおやつやお酒の入ったグラスが置かれていた。大抵の女性たちはその周りにたむろして緩やかなBGMに耳を傾けながら談笑している。
きらびやかなシャンデリアの真下、明らかに踊るスペースであるというのにここに立っているのは俺だけでめまいがした。すでに舞踏会は踊る場所ではなくなっていたのだろう。その証拠に女性達とは反対側のスペースで、男達が集まって腰にぶら下げた宝石類を自慢などしている。一人二人のペアが手を取ったかと思ったが、長いダンスとは至らずに数回その場でクルクル回っただけで会釈して離れて行った。それも会場の端っこでだ。
何をやっているのだろうかと思う。ここは自分を売り込む場だ。俺に言わせれば人間の価値というのは身に着けた絹のドレスや、パチンコ玉ほどの宝石では決まらない。
BGMが悪いのだと思って音の元を見ると、なんと生演奏である。しかし一様に演奏家の顔は暗く、服だけはしゃんとしていたが食事状況が悪いのか頬がこけたものが多かった。これじゃまるで収容所から音楽隊を引っ張ってきたみたいだと思った。
俺はおやつのテーブルから、焼き菓子の乗った銀の器を二つ三つ確保して音楽隊の元に近づく。彼らは目を丸くし、現状の曲目で使用していない楽器の奏者がお菓子を受け取りに来た。布を被せて隠し、楽器の影に持って行った事から、彼らはこの食事をとれないらしいと想像するに至る。
「皆は何で踊っていないんですかね」
「みんな待っているんですよ。偉い人が来るのを」
「ふーん」
偉い人って誰だろうか。どうでもいいやと思いかけたが、奴隷の買い手として確保する必要があることを思い出して頭の片隅にとどめた。
女性たちの興味はその偉い人にあるために、どうやら踊らないらしい。
ちょっと考えてみて欲しい。その偉い人が来た時に皆踊ってなかったら、自分が来たせいで場所が白けたと思うのではないだろうか。ここは舞踏会であってお見舞いパーティーの会場ではない。
「もっと激しい曲をお願いできますか。これじゃおばあちゃんだって動けない」
演奏家たちは好きでこんな曲を演奏しているんじゃないという顔をして、一様に自分の楽器を構えた。巨大な弦楽器は日本にある物とよく似ていたけれど、動物の頭蓋骨に皮を張ってそれで音を響かせる構造らしかった。
その楽器から響く音というのがすさまじかった。
肌が揺れる。その叫び声のような大きな音は談笑を楽しんでいた女性陣の耳を叩き、くだらない自慢話に花を咲かせた男達の歯を震わせた。
さあ踊ろうじゃないか。こっちはこの日のためにわざわざ服をしたて、ダンスを練習して来たのだ。
俺は目を閉じて、ゆっくりとステップを踏んだ。勿論一人での寂しいダンスは人目を引く。そして片足を失ったような危うさは一人の女性の目を引いた。彼女は、最初壁の方を見ていたが、曲目が始まって俺が足を踏み鳴らすと、その瞬間からこちらに目を向けていた。
栗色のわずかにウェーブのかかった髪は、背中辺りまで伸ばして真っ白な肌を覆っている。男と見まごうくらいはっきりと左右に分かれたズボンは、彼女の活発さを表しているようで実に好感が持てた。
その利発そうな目は青色で、僅かに好奇心をにじませ瞬きを忘れていた。それを隠すようにシャンパングラスを数回煽る。
俺の前に人が進み出ると彼女はまた壁に視線を戻したが、すぐにまたこちらを見た。視線というのはこちらが見ていなくとも感じるものだ。
すぐ彼女の元に行く。手をとって子供の笑顔で話しかける。
「一緒に踊りませんか?」
「……私そんなふうに踊れないわ」
「僕が教えて差し上げます」
何しろ、俺の動きはカランビットを振る動きそのものであった。足りないのはギラリと光る刃渡り五センチのぶつだけである。そのことに彼女は気が付く余裕がなかった。それは繋いだ俺の手が、自分の物とは明らかに違う事に気が付いたからだった。
俺の手は普通の物とは違う。爪は黒曜石のように黒く透き通り、手は毛深い。さながらビーストと言ったところで、そんな手で包まれた物だから彼女の肩は震えているのはしごくまっとうに思えた。
だが立たせてしまえばこちらの物。彼女の腰に手を回して勢いよく飛び出し舞台の真ん中で回る。
「ちょちょっと!!!こんなの全然違う!!」
「ええ!!でも面白いでしょ!?」
俺は楽しかった。緊張した時、笑うとナーバスな気持ちが反転して楽しくなってしまう。目が回りそうなほど彼女を振り回すのが楽しくてしょうがなかった。ウェーブのかかった髪が風になびいて、白い歯を見せて笑う彼女が実に眩しく、舞踏会楽しいじゃないかと思った。
たっぷり三曲踊った後で俺達は壁際の休憩スペースで同じグラスを手に取った。お互い汗だくで手は少し震えている。緊張も凄かった。でもそのおかげで今は楽しい。
「人生と一緒だ」
「ええ?」
「人と同じことをしていては、美しい景色を見ることはできない」
「そうね!こんなに楽しいの初めてよ!」
彼女は煽るように酒を飲んでいた。俺もつられて口を付けたが強い酒で喉を焼きながら胃袋へと熱い物が下りて行った。
「うわ!!強い!!」
「アハハハッハ!!」
びっくりしてしゃっくりをする俺を彼女は指をさして笑っていた。
なんか凄く嫌なのでまた手を引っ張って壇上に引きずり出す。
「もうやだー!!」
そんなことを言いながらも彼女は酒で赤らめた頬をしっとりと汗で濡らして笑っていた。
56回彼女を殺したところで(カランビットを持っていればそれだけ死んでいる)曲がゆっくりなテンポになった。いつの間にか女性歌手が付いていて、生声で歌を歌っている。
寂しい曲だった。二人だけの舞台。お互いの匂いと息使いだけ。きらびやかなシャンデリアは、今宵だけは俺達の味方だった。談笑していた女性たちは食い入るように俺達を見つめ、きらびやかな服の男性たちは悔しそうに指を噛んでいる。
「ねえ、この後時間はあるの?」
ふいに左手をあげて時計を探したが着けていなかった。この世界に腕時計は存在しない。そんなぶしつけな物はまだ巨大で、人が身に着けるにはあまりにも重すぎたのだった。だから時間という鎖は無いにも等しかった。
「朝までだっていいですよ」
彼女はくすくすと笑って、もう何度目か分からないステップを一緒に踊った。