舞踏会へ
男の容姿は俺には不気味には映らなかった。
まあちょっと歯が尖っているかなくらい。少し銀髪の混じった髪の毛は十分に人目を誘うものだったし、時折見せる優しげな表情が俺の心を落ち着かせた。いざ命を奪うその瞬間まで笑顔を絶やさないのではないかと思ったほどだった。絹の服に身を包めばその美しさには輝くものがあって、内側から押し上げる分厚い胸板と左右対称とに割れた腹筋とがどう見ても顔から読み取れる年齢とかけ離れており少々羨ましく思った。
我が家は女性が多いのである。人気がとられてしまうのではないかと俺は危惧した。
「婚約者はいるのですか」
ぶしつけな質問だったと思った。まさかそれを聞かれると思わなかった吸血鬼は目を丸めて形の良い口髭を何度か撫でつけるようにして答えた。
「過去に一人。しかしもうすでに墓も無くなってしまった」
「それは……失礼しました」
意外と一途らしい。墓が無くらるほどの時間というのはいったいどれだけの長さだろうか。おそらく日本のような立派な墓ではないだろうから、石を積み上げたようなお墓だったのではないだろうか。そういうお墓は忘れ去られてしまうことがある。時に墓所が解体中のビルから見つかるのはそういう訳だ。
かつて王様だった人のお墓が駐車場の下に眠っていたこともあるくらいだ。
忘れ去られたその女性がどうか安らかに眠っていることを信じたい。
「あなたは、どこの生まれですか?」
「どこ……と言われましてもずいぶん昔のことで……どこぞの貴族だったかと思いますが」
ピンとくるものがあった。
「俺はもうすぐ舞踏会に行かねばなりません。が、ダンスを踊れません。教えてもらうことはできますか?」
「いくぶんか古い物になるかとは思いますがそれもできましょう」
こうして我が兄たちを殺した張本人が俺にダンスを教えてくれることになった。困ったものだね。人殺しともこうして口が聞けるのだから分からない物だ。きっとこの人は息をするように人の命を奪うのだろう。それも弱い物から狙うのだ。つまり俺は、狼に姿を変える俺はその範囲から外れたという事だろう。
彼は実に楽しげに鼻歌を歌い腕を胸の高さに上げてリングを作り、何度か美しいステップを踏んで見せた。足の先まで力が入り、軽々と床の上を滑る様は、まるで彼だけが重力のタガを外れて床上数ミリを浮かんでいるような光景だった。
どれだけ練習をすればあのようになるのだろうか。
きっと吸血鬼として舞踏会というのは恰好の仕事場で、そこに入り込むための技能なのだろうと思って自分の惨めさをかき消した。
「俺にはできませんが、是非教えていただきたい」
「いいでしょう。でも条件が一つ。もう二度と壁に埋めない事。二度と!埋めない事」
「勿論です。そもそも埋めたのは俺ではありません」
彼は分と鼻を鳴らして一瞬不機嫌そうな顔をした。
あの部屋の中で見た地獄絵図は、当の本人もこたえたらしかった。
「さあ、遊んでいる暇はありません。まずは足から。足は基本となる四つのステップの組み合わせで構成されます。相手が好きになるのは決まってこの四種類。これを交互に行うことで美しいリズムを生み出すのです」
彼はまず半身に構えて右足を前に。そのまま左足かかとをあげて短くお辞儀。右足をスリ足の要領で轢いて爪先でトントンと床を蹴り、くるりと回って相手の腰に手を回す。
それを真似て披露するとおお。と短く声が漏れた。
「そうだ……上手いじゃないか」
そのまま順番を入れ替え、ある一点の動作を抜く。俺が抜くのは相手の腰に手を回す動作。こうすることでダンスは相手を失い、半端物となった哀れな青年を表すように静かな抑揚を生んだ。
ダンスは一人で踊る物ではないから。俺が思うに相手が入って来たいと思わせるのが大事である。相手を誘うダンスだ。
「あ、これカランビットと同じなんだ!!かんたんじゃん!」
首を掻き切る動作で首筋を撫で、耳をそぎ落とす動作で優しく耳たぶを摘まむ。オケーオーケー。分かった。俺多分これ得意だ。
「お前さん。これの先生になるか?」
「いや、自分は奴隷売りで十分ですよ」
■
きらびやかな、という言葉がふさわしい光景を前にして絶句する。仕立て屋に急遽作っていただいた燕尾服は少々尻尾の先が地面に触れてしまいカッコが付かないが、どうやらそれがいいらしくメイドさん達からはベタ褒めされたのだったが、随分自分も持ち上げられたようで、ここにいる男達の服装の派手さと言ったら目を剥くようなものが多かった。
目の前の階段を上がる男の服装は、白いジャケットで腹のでっぱりをきつく閉じたボタンで隠しているが、首元に余った肉が襟に乗っていた。パンツは同じく白でまとめているかと思えば腰のあたりからジャラジャラと金色の鎖を下げて飾りとしている。その鎖にはいくつもの宝石がぶら下がっていて時折目の冴えるようなギラギラとした光を周りに振り撒いていた。
階段を左右から包み込むように並んだ女性たちは、その多くがじろじろと動物園の檻の中をのぞくような目で階段を上る男達を見て、口元を扇子で隠し、何事かを耳打ちしているようだった。
階段を上った先にいる色めき立った女子たちは、登り切ったギラギラの男の手を取って「私とおどりませんか」などとやっているのがまつ毛に被って見えた。
俺が馬車のタラップをわずかにきしませて白い大理石の階段に革靴を下ろすと、カツンと高い音が鳴った。別に意識したわけではないが、周囲の音が一瞬止まる。
近寄って来たボーイに招待状を渡し、狼メイドさんを伴って階段を一歩上ると、逆に降りてきた女性と目が合った。
彼女は20くらいの女性で、今の姿の俺からすれば随分年上になる。俺が小さな体で階段を上がるのがそんなに奇妙だったのか、視線を一度逸らした後も、ちらと女の方を見ればまた目が合った。
扇子の女達も嫌にぶしつけな目を俺に向けるのだった。
それもそのはずで、招待状にはおしゃれしなくていいですよと追伸が書いてあったのに、ここにいる人間は有り余る財を尽くして体を着飾っていたのだ。それ故に陰に紛れるような俺の黒い燕尾服は異様に浮き上がってしまっている。
会場についた後もなんだかいたたまれない気分である。
陣取るのは一番目立つところ。大事なのは誰もしないことをすることだ。誰も選ばぬ道の先にこそ、最も豊かな人生がある。この舞台で、俺は恥をかき、輝かねばならなかった。