氷壁
舞踏会に行く前に準備をしなくてはいけない。
衣装の事もそうだったが、我が兄弟、血塗られた血脈の子供たちはどうにかしなければいけなかった。
兄弟を殺すなんてどうかしている。本当にやりたくない。でもその兄弟のほとんどが仕事をすることを放棄して、商品の奴隷に手を出し、日常的に性的虐待を繰り返していることは公然とした事実である。試しに街で農家の少年に聞いてみたが口をそろえてその残虐性を証言した。一度は女性を全裸にして町中を引きまわしたこともあるそうだ。そればかりか、三男は変態で奴隷の鼻を削ぐらしい。
その上、学が無いので会社の権利の割譲を申し出ると皆こぞって来ると返事をよこした。
離れに居座って立ち退かない割に、金の話になると途端に足が速いのだった。
もっと金が欲しいらしい。
残念だが世の中には死んだほうがいい人というのは存在する。だから日本にも死刑制度というのが存在したのだろう。しかし殺そうにも俺の兄弟は人狼の血を受け継いでいるので手に負えない。下手な軍隊ぐらいは一人でねじ伏せる力を持っている。我が父は狙ってその事を話していなかった。
もしかしたら会社を俺に譲ると判断した時点で俺がこの力に目覚めるのか分かっていたのではないかと思う。怖いのはそのお父さんが俺の行いにぶちぎれて向かってくることだが、それより先に刺客を送り込んだのは相手であって、俺ではない。
我が家の優秀な奴隷さんたちは襲撃者の持っていた金貨から依頼主を特定していた。
指紋ではなく、金貨についた匂いで判別できるとのこと。敵は兄弟たちだった。俺をヤバいと思ったのか共同で金貨を出した模様。他国の軍隊まで国に呼び込んでの大仕事だった。
失敗したが、俺の持っている能力の開花に一役買ってくれた。メイドさん達に怪我がなかったから良かった物の、顔に傷でも残ったら俺は殺す位では到底許せない。これは慈悲なのだ。
場所はこの家を選んだ。この家は皆が生まれた家であり、仕事の根底を担う場所であったことから、家督の分配を望む兄弟たちは油断するだろうと考えた。一部の金貨にもあしらわれている我が家がそのまま墓場になるとは思ってもいないだろうな。ごめんよ。
もし、良心が残っているならば、死の間際になってその本音を見せることだろう。見せなければ残念ながらそこまでだ。俺が奴隷を開放しようとしていることも彼らには理解できない。なぜそんなことをしようとしているのか聞く前に反対するはずだ。何故なら今の生活が好きだから。抵抗するに決まっている。
人狼は力が強く獰猛なので、特別強靭な部屋が必要だった。
幸いにも一つ心当たりがあり、俺はわざわざ蒸気機関の心臓部を担いで廊下を歩いている。
この蒸気機関にはある致命的な弱点がある。それは熱力学の分野のお話だ。気体は圧縮すると熱を発生させ、逆に解放されると周りの熱を奪う。エアコンにも用いられているごく一般的な原理だが、これを蒸気機関で行うとけた外れの効果を生み出すのだ。その熱で壊れてしまうのだ。
目の前には固く鋼鉄で閉ざされた部屋。何に使うかついに分からなかったがそれを開ける時が来た。俺の予想では誰かを閉じ込めているための部屋だが、その中からついに音が響くことは無く、中の者は既に死んでいることが予想できた。
実に残念だ。俺より先に産まれた兄弟が気が付いていれば、あるいは助かったかもしれない。これをやった父も父だがその子も悪魔。鋼鉄の部屋を自分の兄弟を殺すために使うのだ。
コックを捻るとシリンジから大量の蒸気が噴き出た。本来熱いはずのそれは周りの熱を奪い、ペキペキと不気味な音を立てながら鉄の壁を真っ白に彩った。それは空気中の水分が急冷されたために起きる急激な凍結現象で、鋼鉄の弱点でもあった。
宇宙を目指すロケットが配管にありふれた鋼鉄を使わないのには理由がある。それはロケットの燃料が超低温で金属を冷やすからだ。冷やされた鉄鋼は脆い。これを冷化脆性という。
それを証明するようにデカイハンマーで鉄の壁を打ち付けると、分厚い鉄板はまるでガラスのように粉々に砕け散った。
「おおすげえ」
ドライアイスのように白煙を発する氷が、きゅうと暗い部屋の中に吸い込まれる。
さながらそれは部屋が呼吸をしているようだった。