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黒いベルト

 俺はこの見た目のせいで大変に気を使われているらしい。帰ったその日から食事が前にもまして肉ばかりになり、生肉が多くなったことに気がついた。

 それが料理と認められるのは薄くスライスされていて、表面だけ焦がしてあるからだった。こういうのよりカレーとかシチューが食べたい。

「お肉は口に合いませんか?」

「火が通っていません。お腹壊しそうです」

「まあ!」

 びっくりしないでいただきたい。この体は半分は人間の血が流れている。胃袋には気を使いたい。新鮮な馬刺を食べろと言われれば話は別であるが、なにか良くわからない野生生物の肉を食わされるのいかんともしがたい。


「ぼっちゃんは、綺麗な歯をされていますので、こういうものの方が喜ばれるかと思いましたが……」

「あ、犬歯ね。これあんまり意味はないから」


 俺の口の中には秘密がある。外見を人間に近づけたが、体の中にまで気を配る余裕がなかった俺の口の中には、小さな狼の牙がある。上下四本ずつの牙と、その間に並ぶゴマのような歯は俺が、化け物だと伝えるようにそこにいた。人の体になるときに生えてきた歯は人のそれとは似ても似つかない代物だったのだ。

メイドさんたちに口の中にまで関心が寄せられていることに大変恥ずかしい思いをする。

 ちょっと横に控える狼メイドさんを呼んで耳に口を寄せる。


「ぼく、歯に肉挟まってないかな?」

「口を開いて見せてくれますか?」

 ガパッと開くとなぜか頭突きされた。

 おお、痛い。ガツンと来た。口の中にフワフワとした毛が残る。

「ついてません」

「君、見ていないじゃないか。ちゃんと見て」


 よなよな目が向けられて、サッと反らされる。トマトのように赤いほほは、まるで酒でも飲んだみたいだ。隠れて飲んでいるんじゃないだろうな。

 白いメイド服の袖をつかんで口元をすんすんと嗅ぐ。焼き肉と、コショウ、それから麦パンと芳醇なワインの甘い香りが鼻をくすぐった。

「やっぱり飲んでるじゃないか」

「……はい」

「ぼくも同じものが食べたいんだ。生肉じゃなくて。分かってくれますか?」

「ひっ、はい」

 掴んだメイド服のなかで脈が早くなるのを感じる。彼女のガタガタと震える太ももに黒いベルトが巻かれていることを感じた。何でそれがあるとわかったかわからないけれど、目で見たようにそれがあることが分かった。ベルトの皮の匂いだろうか。


「そのベルト、かわいい」

「ここ、これ、首輪だから」

「首輪は嫌いだよ」

「う、うん、わかってる。でも、他の人が野良だと思わないように」


 なんかエッチだなぁと思った。耳をかぷかぷとあまく噛む。狼メイドさんの頭にある大きな獣耳は今日も元気にぺちぺちと回ってビンタしてきた。


「あの!!食事中にこういうことするのは良くないと思います!」


怒られた。大人になって怒られると余計にしゅんとしてしまう。仕方なく、生肉を口に突っ込んでくちゃくちゃと咀嚼しきれない肉の筋を感じながら飲み下した。

 犬の歯は獲物の首を切り裂くのには向いていても、肉を磨り潰すのには全く向いていない。難儀なものだ。歯磨きをすることが、今一番の憂鬱である。だが歯磨きしないと歯肉炎になるだろうし、息が臭くなると内緒話もさせてもらえなくなってしまう。

 やっとのことで肉を食べきってナプキンで口を拭っているとメイドさんがトトトトと近づいてきて巻物を手渡した。

 今までになかったことなので怯えながら受けとると、仕事は終わったとばかりにメイドさんは離れていった。残された巻物には判子が押されていて、双頭の竜が、なにかの草をくわえて首を絡めた紋章が目立つ。趣味が悪い。船頭多くて山を上ってしまうお話を思い出した。

材質は動物の皮、向こうが透けそうなほど薄く加工された皮は知識のない俺から見ても十分に手間隙がかけられた逸品に見えた。


 判子の部分を剥がして巻物を伸ばすと、贅沢なことに判子と同じ意匠が金箔で押してあって、ずらずらと長い文章が40行に渡って書いてある。

 驚くべきことに、その文字はすべて手書きだった。信じられない。これは間違えたら最初からやり直すのだろうか。

 書いてあったのは要約するに舞踏会をやるので来ませんかと。

 行きませんよと。言いたいところであるが、そういう場は自分の商品を売るのに一番の環境では無いか。もちろん奴隷の販売はこの国では合法であるし、俺の作った蒸気機関よりも確実に金を産むだろう。炊飯器と蒸気機関車どちらを買いたいですかと聞かれて後者と答える人は少ない。奴隷は家事全般は元より、夜のベッドで抱き枕にもなるので紳士淑女の欲しいものに列挙される。それは一種のステータスなのだ。この文化をなくそうと言うのだから俺の戦いは長く続くことだろう。考えながら廊下を自室まで歩く。自室には既に誰かいる雰囲気があった。


「難しい顔をしてどうしたのですか?」

 狼メイドさんはベッドメイクもお手のもの。ピシッとシワなく伸ばすという意味ではなく、入りやすいよう入り口を作るプロだ。暖かそうな寝床はどちらかといえば巣のようで好感が持てる。ニートが考える最高の寝床みたいな感じ。枕元には水やちょっとしたお菓子も用意され、夜更かしの準備は万端である。その布団にちょこんと座って尻尾を軽く振っている様は、俺の中の欲望を強く刺激してくる。さわりたい。もふもふ。


「舞踏会に行くかどうかで悩んでいます」

「ま!それはいった方がよろしい!」

「一緒にいってくれる?」

「……」

 

 なんだその苦笑いは。君だっていきたくないんじゃないか。俺だってそういう場はあまり得意ではない。

そこで行われるのは躍りだけじゃなくて、誰それが仕事でミスをしただとか、噂よりもブスだとかそういう話に決まっている。

 人は他人を誉めるよりもけなした方が気持ちいいのだ。そういう種族のため、虐めは無くならないし戦争もなくならない。

 だから舞踏会は嘘もつくし、バカみたいに着飾るのだ。これは血の流れない戦争なのだ。

「香水の匂いが嫌いだ。恥も常識もなく押し付けるような匂いを放っているのはテロだよ。十分に人間は匂いを発している」

「そういうことを言わない方がいいですよ。舞踏会は将来の……妻を探される場でもありますから」

「自分の匂いに自信を持てないのは悲しいことだよ」

 自分で言いながらグサグサ刺さる。自分も汗くさい。脇の下の臭いみたいになる。ううう。

 敵に捕まれないために汗をかきやすいのだ。緊張すると余計だ。

「ぼっちゃんは良い匂いです……」

「そう?」


 わりと嬉しいので惚れそうになる。そうでなくても狼の血が入った生き物は美しいのだ。すらりとした足や、その首筋はついつい目でなめるように見つめてしまう。

 良い匂いだと言われたので遠慮なく体を寄せる。嘘を言うとこの家だと大変だぞ。俺は嘘かどうかを判別する能力に疎いのだ。相手がなに考えているか分からないから。

 ふわふわとした感触はメイド服の感触だけではない。彼女の毛皮は隅々まで手入れされ、良い匂いがする。食パンみたいな匂いだ。

 彼女の匂いが変わる。汗の匂いがちょっぴり感じられ、緊張が伝わった。

 そりゃね、変な男に近づいてこられたら怖いよね。だからちょっと離れて手を握る。

 彼女が羨ましかった。俺は狼に変化すると人よりも狼に近くなる。力加減はできず、敵を一方的に倒すことに喜びを覚えてしまう。そもそも狼ですらそこまで残酷ではないだろう。

「君が羨ましい」

「なぜ、ですか?」

 考えてみればおかしな質問だ。彼女は俺の奴隷。人生をめちゃくちゃにされ、命令は絶対。悪口を言うことも禁止され、ムチに怯える日々。心にとげがグサグサと刺さるが、それ以上に美しかった。美しいから商品になるのだろうか。

「綺麗だから」

 ちょんと足をさわると足が引っ込む。しばらくまって元の位置に戻った。すかさず触ろうと手を伸ばすと、また引っ込む。面白い。

 手から逃げるため、足が上がった太ももの内側、スカートの下に例のベルトが見えた。黒くゴツいベルトで今の俺の髪の色と同じ真っ黒なな              めし革。柔らかい太ももに食い込んでる。


「ぼっちゃん……」

 濡れた宝石のような潤んだ目で言葉を漏らす。そして懇願するような口振りで続けた。

「巻いてくれますか? 私のために」


 その色、その太さを選んだのはそう言うことなのかと何度も聞いたが、真っ赤なリンゴのように頬を赤くした彼女が答えてくれることはなかった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 舞踏会……ものを売るにはよく、秘密にしたい事がある場合は良くない場。種族がたくさんいて、ドワーフが雇えるのなら……雇って、次々に作りたい。先ずは酒造とか。
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