顔なしの刑
俺は急いで帰った。植物を枯らすカビかウイルスで死にたくなかった。幸いにも俺には概念をねじ曲げる存在が二人、知り合いにいた。
というか呼んだらきた。
「目に見えない生き物を殺せって?」
「そう。見えないけれど、うじゃうじゃいるんだ」
「目に見えないならいないに決まっている」
この悪魔は目に見たものしか信じない。俺たちが魔法を知っていながら、心の中ではあるはずのないフィクションだと分かっているように、この世界には一ミリより下の世界が存在しないのだ。マイクロもナノも存在しない世界。
どうやって仕事を頼むのか。
こちらとしては、契約の掛け金をあげるしかなかった。
「手足の爪全部でどうか。魔法でかたちが変わってしまっているが、まだそれなりの価値があるはずだ」
悪魔の形のいい眉毛がピクリと動いた。黙っているがそれはこちらの条件を引き出すための沈黙と見た。
「腕の一部。毛と、皮と」
「のった!!」
話が早くて助かる。悪魔は音もなく爪をもぎ取ると、人間の顔で俺の手首に近づき、がぶりと歯を立てて切り取っていった。肉だ。これで助からなかったらマジで殺してやる。こいつら核で死ぬからな。たぶん悪魔は死なないように作られたのだけれど、その時世界にはこんな武器はなかったのだ。
手を消毒してもられると思っていたのに、軽く握手して契約は終わった。
はあああ?痛い思いしてこれだけ?ふざけないでほしい。
俺はこう見えて我慢のできるタイプだ。だが相手が女じゃなければ、普通に拳で殴るレベルの行為だった。やっぱりうざいので膝けりをみぞおちに入れた。
「二度とうそつくなこのアマ!!いてぇんだよ!噛むなよ!せめてナイフで切るとかあるだろうが!」
女の口から飲み込んだ皮膚の一部が口から飛び出て泥に埋まったが、悪魔はそれを土ごと口に押し込んで影のなかに消えていった。なぜか笑っていたのが気にくわない。
「なんか言えよ! ごめんとかさ!」
「他のものには見せぬ感情を私に向けた。ああ、うれしや」
変態が。
簡単な止血をして家に帰るが、また問題が起きた。誰か男が来ていて、俺のメイドさんを玄関前に立たせて手首を縄で縛っていた。
イライラしていた。アクセル全開よ全開。ふざけんじゃないよ。
男は珍しく太っている人だった。裕福なのだろう。先程見た農民たちは見な骸骨が服を着て歩いているような有り様だったと言うのに。
「なんだ貴様!!」男は俺を見て怒鳴り散らかした。
「俺はこの家の主だ!!勝手に俺の女に手を出したのはどうな用件か!」
「ふん。一番下が威張りやがって」
口ぶりからして、俺の兄貴らしいとわかった。無駄飯食ってる連中が家にまで押し掛けてものごいか。腐れている。なんで一番ヤバイ兄貴を殺したのにその意味がわからないのか。さっさと逃げろと俺は伝えたはずだ。
「気持ち悪い金属の馬に乗るなんてお前は阿呆か?」
馬と機械の区別もつかない原始人がよぉ。しゃしゃり出てくるなや。
そのうえ、男は俺のオーロラの胸を掴むと、ぎりぎりとにぎりしめ、これみよがしに谷間に顔を埋めた。
分かってないな。俺は人がどうすれば死ぬのかわかってるというのに。
運転席から飛び降り、長い髪の毛を着かんで顎に切れ込みを入れた。鋭利なカランビットでそのまま喉笛を掻き切っても良かったが、それではこの向けようのない怒りが他に向いてしまう。
そのまま顎の骨にチェーン付きフックを引っ掻け、アクセルを踏み込んだ。
たるんだ鎖は一瞬のうちに引き伸ばされ、泥を巻き上げ走る蒸気機関によって引っ張られた。鎖は下顎の骨よりも強靭であり、体や皮膚は顎の骨より脆かった。
どういうことが起きたかというと、下顎がまずひしゃげで飛び出た白い骨が、そのまま顔全体の皮膚を連れだって剥がしていった。ベリベリベリ!!という気持ちの良い音と共に、濃厚な血のにおいが広がる。
「ブ男が良い顔になった」
「うっうううううう!!!!」
下の顎を失い、だらりとだらしなく垂れ下がった舌から正確な言葉が出ることはもう二度とないだろう。
「はじめましてお兄様。僕は、あなたを憎んでいます。だからその顔のまま一生を過ごすと良いです」
魔法を使って血を止めてやった。だが顔面の皮はそのまま剥がれたままなので、ギョロリトした瞼のない白い目が恐怖に泳いでいた。
「まだ、顔の皮を戻せるかもしれないなぁ」
俺は鎖に繋がれたまま、安っぽいハロウィン用のマスクみたいになった兄貴の顔を指差した。
でっぷりと太った体で走りよろうとするが、顔を失ったその痛みは顔中を針で刺されるようなものだ。兄貴は地面に膝をつき、必死に手を伸ばした。
あとほんのすこし。あとちょっとで泥と動物のくそが山積みになった道に落ちた顔に触れられる。
「おっと間違えた」
ブーツで生臭いマスクを踏む。ふざけるなよ。許すわけがないだろうが。ああ?
「俺の!!オーロラに!!謝れ!!!汚い手で触れたことを!!!物のようにあつかったことを!!!」
「ぼっちゃん」
制止されるまで踏み続けた顔はすでに原型をとどめていなかった。そのぐちゃぐちゃになった肉片を兄貴は体操大事に持ち帰った。付き添いの奴隷たちは何度も俺の方を見返し、肩を貸して帰ろうとしたが殴られていた。可哀想。
「オーロラごめんね。僕が目をはなしたから」
「いえ、ぼっちゃんは……すごく、良くしてくれています。お仕事も頑張れて、私、すごくすごくすごく嬉しかったんです。こんな人が生きていることが」
「薬塗ろう。あいつの、汚い手で触られたから。」
「ぼっちゃんが塗ってくださいますか……?」
「勿論」
変な意味じゃないよ!!!!ほら!子供の手の方が柔らかいし!!しかも今爪もないし、ね?
指を絡ませて手を握ってくるのがたまらなくいとおしい。