悪夢
風のように早く噂は国中に広がった。神様が来たと。神様は物にまで命を与える存在だと。
違うのだが、命は目に見えないため人々は信じてしまった。そして窮地に追いやられた農民がやって来た。
服は王都に住むどんなホームレスよりも粗末で、色の染まった服を着たものは一人もいなかった。
「どう言うことでしょうか」
俺は日本人でしかも実家が農家だったため、この話を聞いた。
村で、原因不明の体調不良が続いていて、植物がなにか変だと言うのだ。普通の人が言うならば突っぱねるところだが、彼らは毎日野菜や大麦を見ている。ならば本当に調子が悪いのだろう。
すぐに蒸気機関にみんな乗せて走ると、以外にも農村は平和そうだった。
舗装路など存在せず、ただ、土を踏み固めただけの道は、村の中心へと続き、そこには大きな木が立っていた。しかしどういうことか巨木は枯れ、二メートルほどの高さで折れていた。御神木と言われてもおかしくない大きさなのに……どう言うことだろうか。
畑にしげる緑色の植物は、どこか稗や粟を連想させ、米農家だった実家ではそれは抜き捨てていたそれがそこにあった。粗末だ。そういう印象を持った。
だが思ったよりも酷くはなかった。ただ一点を除いて。
ずっと気になっていた大木だが、なかから変な匂いがするのだ。木の匂いではない。どこか酸っぱいようなその臭いは、ずっと開けていないタンスの引き出しを思い起こした。
ノックしてみるとコンコンと軽い音が響く。中が空洞なのだ。遠くの家から視線を感じてそちらを見ると100歳になろうかという老婆が手を引かれながらこちらを見ていた。俺が木を指差すとコクリとシワだらけの顔でうなずいて悲しそうな顔をした。
蒸気機関に縄を繋いで引き抜くことにした。たぶん原因はこいつだ。あの老婆は知っていた。
蒸気を吹かすまでもなく、簡単に引き抜けた枯れ木を見て、若い村人たちは血相を変えて走ってきた。
「何してるんだ!!!村の大切な木だぞ!鉄のノコギリでも切れない大切な神様の木をどうして抜いた!!」
「五月蝿いです。ちょっと黙ってください」
老婆がよろよろと近づいてきて、抜いたときの衝撃でぱっくりと縦に割れてしまった大木を悲しそうに見つめていた。
「ぼっちゃん。ここに。これを見てください」老婆は根っこの方から幹の中心を指差した。
俺はその木の断面に手をついて覗き込んだ。
変なのだ。木は中までぎっちりと詰まっているのが普通なのに、この木は鉋でえぐったように中身がなかった。住人は何度も切ろうとしたのか、ノコギリで切ろうとした跡が何本も黒い筋として幹に刻まれている。
なぜ大事な木を切ろうとしたのか?
往来の邪魔だから。そんなはずはない。ここには馬車一台さえない。車の時代じゃない。
ふと、幹の空洞のなかに不気味な模様を見た。それはうっすらとだが、点々とマーブル模様のように覆っていた。
「さわるでない」
「え?」
俺はもう、しっかりと木のヘリを触っていた。遅い。すぐに手を離したが、なにか指先にふわふわとしたものを触った感触があった。
老婆は重い口を開いた。
「私はまだ、子供じゃったが、この村で変な病気が出た。大人たちは収穫したカブを10メートルほどの穴のなかに捨て、欲にかられて誰かが再び掘り起こさないよう、棍棒で叩き割っていった。おびただしい量じゃった。村人全員で一日かかってすべての食べ物を打ち捨てた」
「え、なんでですか」せっかく作った売るための商品を捨てたのはただ事ではない。
「神様の怒りをかってな。この村の生き残りは私一人になった。ただ一本の木を除いてこの村には植物が無くなった。その時と同じ臭いがする」
すぐ燃やそう。木を枯らしてしまう病気だ。なにか、伝染性の植物の病気。この木のなかでじわじわと増えながらなん十年も生き延びてきたのだ。
「全力を尽くすが、それには協力が必要だ。まずは木を燃やす」
住人の顔は青くなっていた。事態は深刻で、今、正にパンドラの箱は開いていた。