銀の鉄馬
恐ろしいことに、俺の体は肌の色までどす黒く変わっていた。
狼メイドはその体を見ると虫唾が走ったように体を震わせて笑顔を見せていたのだ。気持ち悪いまでの屈託の無い笑顔は、俺の毛羽だった心を逆なでするように撫でる。
「そんな目で見ないでくれませんか。これでも生きているので」
「いや、そのな、どんどん綺麗になるじゃないか。坊ちゃんはどうなるつもりなんだ」
背後から怒った声が響いた。オーロラだった。
「また!!坊ちゃんはすぐ肌を見せる! 我々メイドを家具か何かだと思っているのではないでしょうね?」
「そうは思っていないよ。ただ上半身裸でいることの何がいけないのか分からないだけさ」
コンコンと別のメイドがやって来て木製の黒い靴のかかとを打ち鳴らした。
「坊ちゃんにお届け物が届いております」
「うん。ありがとう」
我が家の力自慢であるところの化け物ちゃんが唸りをあげて家に引き込んでいるのは、待ちにも待った荷物だった。全体を茶色い油紙で丁寧に包まれた製品は、高い金を払っただけあり、十分な大きさがあった。化け物ちゃんは人を軽々と投げ飛ばし、ひき潰す力を持っているが、それでも随分重いらしく一歩歩くごとに床板が悲鳴を上げ、うち数枚は乾いた音を立てて煎餅のように割れてしまった。
「あれはなんですか」狼メイドが不思議そうに鼻をヒクつかせて荷物を見下ろした。
それには職人の手紙が添えられていた。しっかりと手書きで携わった工員230名の署名と共にこうあった。頼まれました”ぼいらー”一式、および鉄棒を納品いたします。これからも引き続き引き立てのほどを……。
「ぼいらー?」
オーロラは手紙を覗き込んで首をかしげた。この世界にボイラーは存在しない。
この構造、および製品名は我が社がすべての利権を有している。今のところ。
誕生日プレゼントをもらった子供のように包み紙を破ると、予想しない物が飛び出てきた。ボイラーという物を知らないオーロラでさえまあ!と声をあげたほどだ。ボイラーは表面が鏡のように磨かれ、継ぎ目は全て均一に磨き抜かれていた。
大抵、銀色の部品はニッケルメッキか、酸化クロムのメッキ加工がされているが、この世界には電気の概念が無いためメッキ加工ができない。つまり職人が手で磨いたのだ。
俺はすぐに図面を見直さなければならなかった。そんな指示をしたのかと。
勿論しておらず、胸をなでおろしたが、受注を受けてもらった段階でどこか行き違いがあったに違いないと歯ぎしりをした。
早朝二時近く。丑三つ時と呼ばれる時間に俺は中庭に出た。勿論そこには組み上げたボイラーと沢山のボタ、水が用意され、無駄に銀ギラ銀に輝くボデーに入念な注油がなされていた。
中庭を活用するのは初めてだった。中庭の草木には専属のメイドがいるというが無駄でしかないので木など刈り取ってしまえばいいといったが、父の趣味で植えた木なので残して欲しいと懇願されたことがある。メイドさん達は仕事が終わった後に見学に来る予定だったが、我慢できなくなった俺は先に火を入れた。
ボウボウと燃えるボタは赤い宝石のように輝き、ボイラーの半分近くをしめる水で満たされた鉄管を炙っていった。水は100℃で沸騰するが、蒸発できるスペースが無い場合、沸騰せず、非常に高温高圧の液体になってそこに存在し続ける。これをシリンダの中に直接吹き込むと面白いように巨体が動いた。
蒸気機関は人が作り出した自動機械の中で最も古い友だ。
シリンダからシューシューと漏れる蒸気は、一気に周りの温度を奪って木々の葉を凍り付かせ真っ白に変える。
ゴムが無いため直接転輪に溝を掘った車輪は、土を盛大に巻き上げながら時速60キロほどであちこち駆けまわった。
「うぎゃー!!」
仕事を終わり、何か面白い見世物でも見れると思ったオーロラは、俺の乗る蒸気機関に度肝を抜かれ地面に突っ伏していた。腰が抜けたらしく逃げようとしているのに逃げられないでいる。
「大丈夫だよ」
俺はしたり顔で徐行運転でオーロラに近づいた。
「これは鉄でできた馬だよ。疲れることを知らず、奴隷百人でも平気で運ぶんだ」
「貴方は、鉄に命を吹き込んだ」
嬉しいね。褒められていると思って俺は上機嫌になった。基本的には車に蒸気機関を乗せた物だ。機関車と違うのはレールの上を走らないことぐらいで、そんなに珍しくはない。だがこの世界には無いのだ。
「少し離れて」
シリンダからエア圧を抜くためのノズルを開くと、爆音がとどろいた。
やっと解放された真っ白な蒸気はオーロラを包み込み、髪を乱暴に乱れさせ、背中の羽をバタバタと言わせた。
「嘶いているッ!!怒ってる!!」
「怒ってないよ。触っても噛みつかないよ」
俺はオーロラの手を引いて操縦席に座らせようとしたが、頑として譲らず初めて乗る異世界人という名誉を辞退した。
確かに蒸気機関には問題がある。環境汚染は勿論だが、それより危険なのは爆発するかもしれないという事。そのため、危険な圧力になると勝手に壊れて他も守る安全弁を付けたし、万が一の場合はボイラーの前方に筒が飛び出て操縦席は一番安全になる。何が怖いというのかさっぱり分からなかった。
10分もすると化け物ちゃんが新しい鉄の化け物に目を付け、力比べがしたいと言い出した。
車の下には牽引用のフックがあったのでこれに綱を渡し、綱引きの要領で力比べをすることにした。
最初こそ化け物ちゃんが優勢だったが、機械は疲れを知らず、ついにズルズルと引っ張られ始めた時、ブツンと音を立てて太さ150mmもある縄が弾けてしまった。
「わだじのかちだー!!!!」
と化け物ちゃんは喜んでいたが、半分負けていたように思う。