悪事は許さない
メイドというのは軍隊に近い。あるいは会社とも似ている。
下っ端から一番上までがあり、一番上はシュチュワードと呼ばれる管理職となる。主の日程の管理から議事録の作成、時には人生へのアドバイスなどその仕事は使用人というよりも一人の知人といった位置づけに近い。今回王様を庇ったことでこの一番上は殉職していた。
その下がハウスキーパーと呼ばれる役職で、太ったおばさんがこの仕事を務めていた。別に見た目をとやかく言うつもりは無いが、なんとまあ太っている。その仕事は家の管理で、すべてのカギを持ち歩き管轄下のメイドの監視を行う。これが生き残って付いてきていた。
奴隷の身の上でありながら命の危険の無いこの役職は、奴隷にとって天国の様な物だったに違いないが、我が家には必要が無いので下っ端から始めてもらうと話した。
命からがら逃げてきたにもかかわらず、家計簿を持ってきた彼女が最初に望んだのは、紅茶を出せという事だった。しかも俺に口うるさく命令するのでめちゃくちゃに濃くだしてしかも茶葉を混ぜ合わせた渋い紅茶を出してやった。
ハウスキーパーは実に優雅に鼻をヒク付かせて匂いを楽しんだのちに口を付けた。
「けー!!下手くそなガキだねぇ!!あんた親に茶の入れ方も教わらなかったのかい!」
この人が嫌いだ。小言を言うばかりか、泥の付いた靴で俺の脛を蹴ってくる。
ジンジンと痛い。そう思っていたらもう一度蹴られた。なんだこいつ。
俺のことを使用人か何かだと思っているらしかった。
この家で自分の威厳を保とうと大変ご立腹な態度で紅茶をぶちまけたのち、戸棚からお菓子を持って来てむしゃむしゃと食べ始めた。
女がしゃべるたびに口から飛び出てくる菓子の屑は、とても気持ちが悪い物だった。前歯が虫歯で真っ黒になっていて、口からは魚介類の様な臭いがする。多分歯茎が腐っている。
そのうちに濡らした雑巾を放って来て「見てないで床を拭くんだよ!!」と怒鳴られた。
こいつただじゃおかねえ。今ナイフを抜くと他の奴隷の皆さんが怯えるからやらないでおいてやる。まあ、拭き掃除なんて小学校でもやったことであるし、それくらいならば問題ない。
我が家のメイドさん達は沢山来たお客さんのために料理を作ってくれている。だから不格好な姿を見られる心配もない。可哀想な俺は冷たい雑巾を持って自分の家の床に這いつくばった。
床は汚れていない。それもそのはずで我が家にいるのは優秀なレディーメイド。レディーメイドとは、単に女性のメイドをさす言葉ではない。特に容姿の優れた若く、優秀なメイドだけが冠することのできる名前である。
王宮に務めていた奴隷達にたった二人しかこの役職についていた者がいなかったことからも分かるように、優れたものは一握りだけだ。
床を磨く。結構楽しい。こういう単純な作業は嫌いじゃないんだ。
そう思っていた矢先、革靴で手を踏みつけられた。
「痛い!」
小指から鈍い音がした。じくじくと繰り返す痛みは身の危険を感じるが、体重百キロ近いババアの足の下からはどんなに体重をかけようと引き抜くことができなかった。
「やせっぽちのガキが。多少見た目がいいからって調子に乗るなよ」
「うううう」
痛い。
「あの化け物はどうした? あれとは仲がいいみたいだがいないんじゃしょうがないな。お前はただのガキだ」
言われながら涙がボロボロと零れる。悔しいがその通りだった。腰のナイフが鞘の中でカタカタと揺れている。まるで抜いてくれと言わんばかりだった。
思わず振りぬいたナイフをひょいと躱される。
驚いた。
だが、たまたまだった。俺が身をよじったためにババアが体勢を崩しただけ。返す手で首元を狙い反射的に振りぬこうとした。
「おやぁ。やっていおますなぁ」
「手をだすな。俺が殺す」
「勿論ですとも」
頭の上で大きな狼を思わせる耳がレーダーのようにぴくぴくと回った。
いつも以上に大きく開かれた口からは巨大な犬歯をちらつかせ、怒りに狂い、泡だった唾液をダラダラとこぼす女がそこにいた。
俺が殺す。そう言ったにもかかわらず、狼はババアの首に噛みついて首を左右に振った。ボキンッ!と鈍い音がして、ブラブラと肉がつながっただけの首が左右に揺れた。
「おや、キスをしただけというのに首が折れてしまいましたわ」
「俺の獲物だ」
すでにこと切れ、力無く床に倒れたババアの手を美しく光沢を放つブーツが踏みつける。靴底についたガムを地面にこすりつけるみたいに何度もかかとをこすりつけ、それでも満足できず、足で思い切り踏みつけ始めた。
グチャ。グチャグチャグチャ。
「やめて。部屋が汚れる」
「あれ?潰れてしまいましたなぁ。ゴキブリは気持ちが悪い物ですからもっと潰しておかなくてはいけませんよ」
美しい狼娘は俺の手を宝石でも扱うように優しく包んで撫でてくれた。