交渉
玄関先にいたのは一人の騎士だった。
全身を包む甲冑は、今まさに戦場から帰って来たばかりのように血にまみれ、抜身の剣を持ち、鉄仮面を外している。
その体の節々から死の匂いがするし、彼が強者だという事は鎧の上からでも分かった。
肩に乗ったメロンみたいな三角筋。それがピクリと動くと騎士の手の中にあった女性の生首が左右に揺れる。それは美しいブロンドの髪をした女の生首で、可愛らしかった筈の顔は苦痛に歪み、半開きの目にはすでに生気がなかった。
死後一時間以上経過している。
騎士はゆっくりとこちらに近づいて来た。
帯刀したまま。
馬鹿な俺でも殺気を感じる。
肩から袈裟懸けに骨ごと切られるビジョンを見た。
全てはイメージだったが、全身から嫌な汗と共に匂いがどっと溢れる。
カランビットを見えぬように抜く。
俺がこのナイフを好むのは、ナイフで最速。それに尽きる。
抜くスピードの事ではない。日本刀のように振り下ろすスピードが速いわけでもない。
ただ、手首のスナップを利かせたジャブ。
命を奪ううえでそれほど効果的でない一撃が、あまりにも早いために、これが来ると分かっていても相手は避けられない。
ただ一陣の内に振りぬく。ただそれだけを考えて振ればいいのだ。
「またれよ。殺し合いに来たのではない。ただ、殺戮を止めていただきたいのだ」
「殺戮? そんなの知らないぞ」
「すでに国王は戦死された。顔も判別の付かない肉塊になってしまったので、王妃をここにお連れした。”あの化け物”は今、王子と王女を順番に潰している。我々騎士では止まらない。止められない」
騎士は深々と頭を下げて地面に額を擦りつける。
「あの化け物を止めてくれ!!あの醜い地獄の使者をこの首を受け取ることで止めてくれ!!」
「おっさん今なっていった?」
騎士は落とした剣を反射的に手に取った。が小さな足がそれを踏みつける。
痛みは無かった。ただ騎士の鎖帷子を巻いた首から血がポタポタと垂れて少年の足を汚す。騎士は今一度死んだことが分かった。いや、三度は死んだ。
「あの子は呪いであの姿になっているだけで、根は良い子なんですよ。可愛いしね。それを化け物だなんて言わないでいただきたい。せめて友愛を含めて化け物ちゃんと呼ぶのが正しい」
騎士は恐怖した。
目の前の生き物が自分と同じ人間だと思えなかった。
目的が達成されて尚、あれを止めない理由が分からなかった。
「僕はね、君たちを全員殺せば、仕返しは無いと思っている。家族、親戚、親兄弟、友達、全て殺せば我々の生活が守られると信じている。生活のためならばなんだってして良いと思っているんですよ」
「この血に飢えた獣が!!」
地面から切り上げられた剣が根元よりぽっきりと折れた。
明らかに、それは粗悪な鉄を使用していた。
そもそも現代における製鉄と、全国民まで金属製の食器が行き届いていない時代の鉄とを比較するのが間違いで、騎士の使用する剣は甲冑を身に着けた手でも握りやすいよう細身に削られしかも皮がまいてあるだけの粗末な物であった。
かたや何百トンもの圧力で圧延される鉄鋼。かたや手動の炉で溶けるか溶けないかのギリギリのラインで酸化を取り除いた酸化鉄。
武器のレベルが低すぎる。
そもそも生き物として子供を殺すことに抵抗があるようで、剣は俺の鼻っ面の上をかすめるように飛んで行った。
「人を殺す時は相手を人と思わない方がいい」
「おま、お前は何だ? お前子供じゃないな!!」
「そうだね。子供じゃないね」
思わず笑ってしまった。その通りだったからだ。
「人間はこれ位されて当然なことをして来たんだよ。そのことを忘れずに。お客様のお帰りだよ。みんなお見送りを」
「は~い」
俺もあの子のことを迎えに行かないといけないようだ。仕事は今日は終わりにしよう。
我が家の奴隷達がぼそりと呟いた「神様だ」という言葉が忘れられない。そういう風に見えたのだろう。
バスティネリ?とか言うメーカーが出しているカランビットは一番この形に近くてお勧めです。最近は巨大なカランビットも人気ですが、せっかく早いカランビットを大きく重くしたら長所が死んでただただ使いにくい刃物になるので私は好きではないです。