赤い天使
「ちょっと王様殺したら世界から奴隷が無くなんないかな」
食卓での俺の発言に、朝から真っ白な天使が目の前を通った。
実際には通っていないのだけれど、みんなはそれを見たかのように目を見開いて、ぽっかりと開いたままの口からはスープをこぼした。
「親玉を殺せば、この戦争は終わると思いますか?」
「終わらないんだろうね」
俺は最後に残していたおいしそうな若鳥のもも肉を頬張りながらゆっくりと考える。
「でも、何かのきっかけになるんじゃないだろうか。王様が奴隷のように殺されたらだれだって自分の人生を考える。人間は他人の臓物と血で出来た風呂に浸かっていることを認識した方がいいのだ」
我が家の化け物さんはゆっくりと首をもたげて擦り寄って来た。大きな犬の様な手はぐいぐいと俺の頭を撫でる。
「そ、それは願いか?」
「願いがかなえられるならば、世界平和を願う。が、人それぞれ感じる平和というのが違うのでそれは難しいのだ。俺のように死が転がっていないとここにある命を認識できない不完全な獣もいる」
「なにを」
化け物は慰めるように大きな舌で唇を舐めた。
「わ、ちょ、ちょ。今ごはん中」
「し、しってる」
王様は無理でも、少し偉いくらいの人が奴隷と同じような目に合えばいいのだ。それを多くに人が見れば、少しは、このおかしな常識に気が付いてくれるだろう。
思えば、日本人が当たり前に掃除機や洗濯機を使うように、この世界の住人は奴隷を使っている。そこに慈しみや感情があるのか、と言えばなかった。あるのは愛着くらいの物、あるいは所有欲からくる大切にする感情くらいだ。
生き物としては扱っていない。
命が無い機械と命のある生き物とを比べるなと思うかもしれない。
だが君は命を証明できるのか。
命とはなんだ。俺は乾電池の中の目に見えない電気と同じと思っている。
ご飯を食べ終わったので、ちょっと外に出た。
外はもうすっかり温かくなって、戦争はどこか遠くに行ったみたいだ。
見えるんです。王城が。
実は王様というのは意外にも馬鹿なのかもしれない。よくもまああんな目立つ建物に居座る物だなと思う。あれは税金で出来た城である。
今年我が社が国に支払った税金の額を聞いたら驚くぞ。
なんと今年の国家予算の120パーセントである。残り20パーセントは誰かのお財布に消えてしまった。
仕事が始まるまでの15分くらいの間、ぼーっと城を眺めていると、何か音が聞こえる。プチとかぺちゃっといった何かを潰すような音は、いつまでもいつまでもなっていてなんだか変だと思った。
鐘の音ではない。城の小さな窓ガラスに何か跳ねた。
外は雨が降っていない。だから水滴がつくわけでもあるまいし、なにか華やかな催し物でワインでも零したのだろうと思った。随分と赤くて濃いワイン。ずっと高級なものに違いない。ブルジョワめ。
以外にも奴隷商の仕事は多く、その仕事を覚えるのにてんてこ舞いな日々。加えて社長は営業も兼ねていて、多くの人に我が社の製品を買っていただかなくてはいけない。そうしないと哀れな奴隷達に食わせる金が無くなってしまう。この国で生まれた奴隷達は元の国に戻っても仲間として見てもらえず、差別されるのが現状だ。
仕事に励んでいると玄関の方から悲鳴が聞こえた。
何事かと思って手をとめると、車が事故を起こしたような猛烈な音と共に、鉄さびの匂いがする。
それはよく嗅いだことのある匂い。もし、質の悪いスーパーの肉コーナーに行ったことがあったら嗅いだことがあるかもしれない。これは肉の血を散々拭き取った雑巾の臭いだ。
私達が食べている肉は綺麗なピンク、あるいは赤だが、肉は切れば血が出る。それが無いのは誰かが拭き取っているからで、拭き取られた雑巾の濃縮された血の臭いというのは吐き気を催すほど生臭く、風邪を引いた時の黄色い鼻水のような匂いまでするのだ。