叱咤
昼近くになって俺は父に呼び出された。何か悪いことをしたかと冷や汗をかいたが、身に覚えはなかった。
この世界のお父さんは、大変ガッチリとした体格の男だった。
お菓子やお酒ばかりを食した人間とは根本的に違うその肉体は、筋肉の上に脂肪が乗っている。それは、筋肉の上に防弾チョッキを着ているようなものだった。
ドアの隙間から覗いてもその体格にたじろいでしまうほどだ。
強い男と聞いて思い浮かぶのはボディービルダーのような体つきだと思うが、実際、戦場やレスリングで活躍する男達は父のような人達だ。
父の右手は太く、手はメロンパンみたいにパンパンに膨れている。
これは人をさんざん殴ってきた男の手だと経験上分かる。
俺の体は本能的にこの男が危険だと伝えているが、覗きがバレて、すでに部屋に引きずり込まれてしまったものだから、後戻りはできない。
父は仕事中だった。
父の仕事部屋は長机の上に雪崩を起こしそうなほど積み上げられた書類が乱雑に並ぶような部屋だった。そのなかで麗しい女性が二人、書類をかき集めている。
「ちょっとまて」
無意識にごくりと生唾を飲む。下手なことを言ったら殺させる。一人で入ったことをすでに後悔した。オーロラの笑顔が恋しい。
「この書類は明日までに返却してくれ。こことここに受領印」
受け取ったメイドは機械のように正確に動いた。私語もない。
「……忙しいのでしたら、出直しますが」
「ここにいろ」
「お仕事の邪魔になりますから、出ま」
「ここにいろと言っているんだ!!」
父さんはギリリと夕暮れ色の目を俺に向けた。それは敵対した者へ向けるような眼差しだった。
父は人の目を見て話す。それは俺が自分よりも遥かに劣っていると認識しているからだ。
「なぜあんなことをした?」
「あ、あんなこととはなんのことでしょうか……?」
舌打ちでもしたさそうな父に、なんと言えばよいのか。嫌な汗が脇を伝う。足が恐怖に震える。
「物は十分に与えているつもりだ。人も物に手を出す必要はない。なぜお前は専属以外のメイドを唆した?」
「?」
何を言っているのだろう。ピンと来なかった。
俺がバカみたいな顔で天井を見つめているのを涙を流さぬようにこらえているのだと思ったらしい父は、ハンカチを投げて寄越した。
パサリと膝に当たったハンカチが床に落ちる。
俺はそれを拾い上げてポケットに入れると、父に向かって心の内を吐いた。
「ぼくはなにも唆したりはしていません。もし、その事で不利益が出たならば謝罪いたしましょう。しかし、ぼくが貴方が咎める行為に手を染めていると言うならば証拠を提示したいただきたいのですが」
俺はこの世界では子供だが、理不尽に怒られるいわれはないと思っていた。よせばいいものを恐怖は怒りに代わり、口は良く回った。
「なに?」
証拠はない。この世界には録音器具もカメラもない。現行犯逮捕でなければ、立証できない。その確信があった。
しかし父は一枚の紙を放って寄越した。
そこに書いてあったのは配属転向願い。つまりは、仕事の場所を変えてくれと言うもので、なぜか我が兄の専属メイドが俺のメイドになりたいと希望を出していた。
直筆サイン入り、血判つき。
「これはなんだ?」
「いや、まさか……。なんで? いや、本当になにもしていませんが?」
「アイーシャは既に2年お前の兄の専属だぞ。とるな」
「はぁい!お父様ぁ!」
俺は精一杯の笑顔を見せたが顔がひきつった。声も震えている。周りの女性達は引いていた。父は下を向いてもう言うことはないとばかりに手を振って仕事を始めたが、肩がピクピク震えている。笑っていたような気がした。
その事をオーロラに報告すると、彼女はニッコリと笑った。
落ち込んでいたので笑ってくれて嬉しい。嬉しいので手をとって歩く。
「あの方は仕事に熱心な方ですから、普段お声をかけると怒鳴られるのですよ」
「先に言ってください」
「きっと坊っちゃんのことを愛しているのですね」
「そうかな」
「ええ、そうですとも」
オーロラに案内され行き着いた例のメイドの部屋は、父の部屋から階段を降りて左折しただけのすぐ近くの部屋だった。ノックし、返事を確認してから入った部屋は、なんとも言えない香水の甘い匂いが立ち込めている。
その女は俺の顔を見ると一瞬動きを止めた。
女は服を脱いでいたのである。