奴隷の心
護衛の私が小便をしに馬車を離れた時だった。
異様に興奮した馬が前足を振り上げていたが、それは奴隷を怖がっているからで、珍しくはなかった。動物は人間と違って我々を恐れている。しかしいつもと違ったのは、ブッシュの中から出てきた黒づくめの男達が馬を怖がらせたことだった。
男達は腕の無い奴隷を盾にとり、細い首筋にナイフを突き立てて動くな!と叫んだ。私はその様子を見て全身に力を込めたが動くのを一瞬ためらった。
坊ちゃんが男に近づいた。
「狙いはお金ですか? いくらか持っているので彼女を開放してくれませんか?」
坊ちゃんが金のつまった革袋を放ると、緩んだ口から金貨や銀貨が次々に顔を出した。襲撃者はその金色に目を奪われ自分のポケットへと次々に押し込んでいく。犯罪者が一生かけても稼げない大金を前にした男たちはナイフを捨てて金を手に取った。
彼らは右利きだった。右手がナイフで埋まっていると相棒の方が多くの金を奪ってしまう。だから右手を空けるためにナイフを捨てた。
相手は10歳に満たないガキと思っての事だっただろう。一度ビビらせておけばできるのはパンツを小便で濡らすことぐらいの事だろうと思ったのだ。
坊ちゃんが一瞬、上着の裾をまくり上げたかと思うと、大きなカギ爪のような湾曲したナイフが金に目のくらんだ男の腕に食い込んだ。
「え」
刺さった刃は血で赤く染まり、一度抜かれると思われたが、そのまま手首をぐるりと一周し、螺旋階段のように上へ上へと腕を脇まで駆け上がる。襲撃者の着ていた黒服は紙切れのようにたやすく切り裂かれ、肌には赤いバラが咲くように美しい文様が掘られた。
それも一瞬の内にだ。
獣の血が濃い目でなければ見ることもかなわないだろう。襲撃者の相棒も気が付いていない。
坊ちゃんに切りつけられた男は膝立で崩れ落ち、まるで神様にお祈りをするみたいに頭をうなだれた。
その首には真一文字に傷が走っており、首の皮一枚がずぶりと音を立てて裂け、中から赤黒い血が零れ落ちた。
坊ちゃんが顔についた返り血を手の甲で拭い、赤く化粧をしたような頬があらわになると、私の中で何かどろどろとした感情が渦巻く。
ものすごく強いのだ。まだ子供なのに。
しかもその力を見せびらかさず、自分の大切な物を守るときにだけ発揮する。
神様も欲しがる器だというのは私にはよくわからないが、あの力で守る対象が自分だけならいいのにと思わずにはいられない。
残ったもう一人の襲撃者は、相棒がどんな最期を迎えたか知って失禁した。
ガクガクと震え小便の中に土下座して祈る。
「頼む! 殺さないでくれ! そんなつもりじゃなかったんだよ」
血を吸い、満月のように赤くなった刃からぽつりぽつりと血が滴る。
せめて最後の抵抗にと襲撃者が土を握りしめて坊ちゃんに投げようとしたので私は男を蹴り飛ばす。馬車に叩きつけられた男の頭は中身の入った風船のように砕けて赤いシミとなった。
「うおおお!!」
坊ちゃんは実に嬉しそうに私と、死んだ男とを見て、私の足を撫でるのだ。獣の毛ぶかい足に深く指埋めて楽し気に。
「綺麗だね! 凄いね!」
私はしばらく言葉を失う。
ああもうこの人は。奴隷たらしだ。