怒らせてはいけない者
自分の心臓の音がうるさいくらい静まり返った夜の事だった。
夜空を切り裂く爆音。自室の窓ははじけ飛び、キラキラと星になる。東の空では赤い炎が夜空を赤く焼いていた。家中からはパニックになったメイドさん達の悲鳴と泣き声が響き、地響きと共に打ち上げられた土砂が音を立てて屋根に降り積もる。
ここは戦場より西に150キロ。
それだけ離れていたのに、町が戦場となり燃えていた。
町では子供がお母さんを探して炭になった自分の半身を引きずっていた。ジャーキーを作るために軒先につるされたイノシシ肉や暖炉用の薪が、猛烈な爆炎で炎をあげながら燃えていた。火が直接炙ったのではなく、あまりにも空気が熱すぎて自然に発火したのだ。爆心地では、人が粉々になってしまっていた。
体は恐怖に震え、何もできなくなる。判断力は低下し、息ができない。敵は魔法を町に撃ってきた。軍隊の補給を断つために後方の民間人を襲っているのだ。兵士の飯を用意し、優秀な兵士を供給するのは、やはり後方だった。その補給を根元から断つつもりなのだ。
また大きな音がして勝手口から火が上がった。
「庭に避難しろ!」
叫びながら廊下に飛び出ると、家具を運ぶ真っ黒なメイドさんに鉢合わせた。黒いのは、燃えてしまった家の家財の煤。髪まで焦がしてチリチリと音がするほどだった。
「そんなのいいから逃げろ!!」
「こ、これは、私たちの命より重いのです。一生かかっても弁償できません!捨てることはできません!」
「命より価値あるものなどあるか! 捨てて逃げろ!」
家具に飛び蹴りをして廊下に捨てさせた。そうしないと逃げようとしなかった。
赤い炎は舐めるように家を飲み込んでいく。もう時間があまり残されていない。
それなのに真っ赤な廊下のど真ん中に鹿ちゃんが立っていた。
まるで、何が起きたのか理解できていないようだった。びっくりした様子で指をくわえて見ている。
まだ幼いから分かっていないのだろう。これだけの火を見たことも無いはずだ。
俺がしっかりしないと死んでしまう。動け動け。戦え。
「逃げろ!!死ぬぞ!!」
鹿ちゃんの体はまるで焼いた石のように熱く、素手で触ったために手のひらの皮膚が溶けて糊のようにくっ付いた。
痛い。暑い暑い熱い。死ぬ。
「逃げろ!!」
革靴の靴底が焼けて炭化し、砕けた。髪の毛が燃え、爪が溶ける。
目の前で角を包み込むようにして張られた札が、一枚、また一枚と焼け落ちる……。
■
同時刻、帝都上空では第七高空旅団の兵士がゲロを吐いていた。現在行っている非人道的な作戦に対しての後ろめたさは勿論のこと、もう二度と人には戻れないという事実に心を痛めたためだ。強い魔法には意図的に隠された副作用があった。軍は魔法の武器としての有用さから、ほとんど防護服も無しに兵士に魔法を使わせた。しかし、強い魔法を使う兵士程、体は腐れ、本来人間としてあるべき常識的な良心を失って行った。
この作戦の立案者は、すでに手足を失っている程だった。
作戦目標は、市街地への魔法行使だった。民間人を殺せとも、敵を何人殺せとも言われていない。だが眼下では、無抵抗の市民が火に焼け出され、道に折り重なって死んでいた。
立案者でもある、第七高空旅団の隊長、ホッテ・ベルベ空尉は眼下の光景に満足気に頷いた。
「素晴らしい。諸君は聞こえるか? この賛美の声が。敵の苦しみながら死ぬ声の何たる芳醇な事か! 諸君!!この日は歴史に残る偉大な日となった! 祖国から薄汚いネズミどもを一匹残らず根絶やしにするのだ!」
西の空に、白く輝くものがあった。
それはまばゆい光であった。
「魔素反応ではない……敵の新兵器か? 防御陣営を築け!」
無線の号令と共に直掩の航空兵が矢印型に編隊を組み、魔導士の前に入って弓を構えた。彼らの役割は魔導士を守ることにあり、その身をもって魔導士の盾となることだ。
石であれ、矢であれ、魔導士には届かない。また、攻撃が届いたとて肉弾の壁の前では意味をなさない。
ベルベは立派に蓄えた口ひげを不気味に歪ませて発光点への魔法攻撃を命じようと短い腕を持ち上げた。
臭いがした。
灰を焦がしたような、喉に貼りつく嫌な臭いだ。鉄と血の焼ける匂いにも似ているそれは戦場であれば珍しくもなかったが、段々と濃厚になるその匂いは、まるでこちらに近づいて来るようだった。捨て駒の奴隷たちが怯えている。
「魔導士隊さが、れ……」
下がれ。その言葉が正しい発音で口から出ることは無かった。目の前に異常な物が現れたためだ。
それは人の骨だった。白く輝く骨は首から上が無く、二対の角を背負っていた。その体から漏れ出す不気味な緑黄色の光は、魔導士たちを舐めるように包み込み、やがてゆっくりとその光を失って行く。
「こ、攻撃開始!」
昔話に神様が起こした戦争の話がある。
かつて神様は戦争のため13の武器を作った。それらは非常に強力で、国ばかりか世界を滅ぼせるほどの物だった。その力はあまりにも強力すぎ、使われること無く土深くに埋められた。
その中に骨の姿を持った者がいた、と聞いている。
魔導士たちは一寸たりとも動かなくなってしまった。まるで恐怖に息をつくのも忘れているように。ベルベはそんな一人の肩をゆすろうと手を伸ばし、異変に気が付いた。
肩をゆすっているのに、布をゆすっているような重みの無い感触だった。薄っぺらいというのが適切か。
変だ。と思って背中を殴りつけたが、やはり感触はあまりにも軽い。
横に回ってみると、その理由が分かった。
魔導士たちはまるで玉ねぎをスライスするように鼻の頭、鼻の穴に当たる部分、唇に当たる部分、と順々に背中の肩甲骨まで縦に切り分けられ、空中に浮いていた。それは化学者が動物を観察する為に死体をスライスしてアルコール漬けにしたようでもあった。
ギョロリとスライスされた目がこちらを見る。まだ、その状態で生きているらしく男の胸の中では心臓が波打っていた。
「しめて682時間とんで42分。全然足りない。君たちはやってはいけないことをした。その償いをしてもらわなければいけないのに、これはどういうことだ?」
「ひいいいい!!!お、お金ならいくらでもお払いします、どうか、部下の命だけは!」
ベルベは巨大に膨れ上がった腹を折って頭を下げた。
(奇妙な術だが、それを解かせたらこちらの勝ちだ! たかが骨一つに何を恐れている!こちらは軍隊だぞ!)
「あんたのその命にどれだけの価値があるのか見てみようか」
不気味な骨は空中から砂時計を取り出すと、その中の一砂を摘まんで見せた。それはあまりにも小さく、離れた位置からでは点にも満たない一粒だった。
「お前の価値はこれの100分の1だ。時間にして2時間45分」
「はぁ? 何を言っているんだ化け物め!! ええい!だれか弓をいらんか!!」
スライスされた魔導士の体がぶくぶくと泡立ち、干上がり、腐臭を伴って白骨になっていった。風や水が岩を削るように残った白骨までもがゆっくりと溶けて姿が無くなる。
化け物の角は赤く光り輝き、ゆっくりと点滅を繰り返す。
命を食らっているのだ。
「ばかな……そんな魔法は存在しない、はず」
「お前はすぐには殺さない。我が主を焼き、苦しめ、家を焼いた罪を償いながら生きるのだ。何時間はたっぷりとある。心行くまで痛みと苦悩を味わいなさい」
醜い肉塊となったベルベは暗い森の中に落ちて行った。どんどん落ちて小さくなる様は、まるで砂時計の一砂のようだった。