パス
朝起きると例の化け物さんは隠し部屋にちょこんと座っていた。悪いけれど、外を出られるとみんな怖がるのでここにいてもらっている。人は見た目じゃない何て言う人はいるけれど、8割り見た目でしょう。俺はそういうの詳しい。
化け物さん、と呼ぶのは失礼に当たるので何か呼び名を決めたいのだけれど、そもそも名前はあるのか?
「お名前は何て言うんですか?」
「わだじ? 私の名前……」
話ながら取り替える包帯の重いこと重いこと。まるで服を着たままシャワーを浴びた後みたいにどす黒い血が染み込んでいた。ひどい怪我だなぁ。
「名前、パス」
変な名前だ。情報。あるいは過去の変形した名前?よじれている?
「じゃあ、パスさんは、何でこの傷をおったのかな?」
一酸化炭素は動物を殺すけれど腐らせはしない。出血もさせない。ただ眠るように命を奪うものだ。実際寝ている間にストーブから出た一酸化炭素で中毒になり、そのまま起きずに朝を迎えることもある。
明らかに腐った腕からは毒々しい膿が溢れていた。幸いにも、俺は人の見た目にあまり関心がない。そういう気持ちの共感性に疎いので、そういうものだと認識すればなんということはない。
はじめて飼育した犬は足が三本だったけれど、俺は心より好きだった。大事にした。他人の言うことは気にしない。
「腕が、焼けるように痛いのです……まるで火に焼かれているように」
「じゃあ、膿を吸い出しますから、辛抱を」
可愛そうじゃないか。幸いにも、俺の口に異常はなく、それをできる。こんな性格だと友達ができないのは分かっているがついね、余計なお節介を焼いてしまうのだ。
「この体、哀れだとは思いませんか? 腐り、錆び付き、人の心を失いかけた消えかけのろうそく」
「痛いのなら我慢しない方がいいよ。せめて死ぬまで一緒にいてあげよう」
誰もが死に、腐り、土へと戻る運命だ。
「我が贈り物を、どうかその広き胸元へ」
ゴムボールが床に転がった。珍しいものだ。この世界、靴底にゴムを使わないくらいゴムが足りないのに。
持ち上げるとそれには管がついていて、脈打つような赤さと、凍りつくような青さがあった。
心臓だ。
パスは化け物の顔を歪めてゆっくりと顔を覗き込んでくる。その顔は笑顔にも見えたし、人を恨んでいるようにも見えた。確実なのは、俺がどういう反応を示すか見ているのだった。
まるで、檻の中の動物がどういう反応を示すか見ている研究者。あるいは、飼い犬に新しいおもちゃを送った飼い主。
俺は心に問題があって、どういう反応をしたらよいかわからない。できる選択肢は受けとるか撥ね付けるかのどちらか。
どちらが印象がいいのかは明らかで、俺はその心臓を受け取った。
「ありがとう。この家の人に手は出してないね?」
こくりと頷く巨大なアギトはゆっくりと顔を歪め、ダラダラと血とも膿ともとれぬ液体を滝のように床に垂らした。笑っている……のだろう。
包帯を変える作業に戻ると、昨日は腐った肉に隠れて見えなかった皮膚に入れ墨が掘られていることに気がついた。それは暴言であったり、残酷な人殺しの場面を描いたものであり、多くは掠れ、重なりあい、読みにくくなっていたが、誰かそれを書く友人がいたことを示していた。あるいは、家族。あるいは主人。飼われていたのか?
パスは火をものすごく恐れる。だから体に近づいて見なければならなかった。
「死と、破壊の神は、我らが好きか」
「俺は仲間が好き。容姿はあまり関係ない。美しいものは好きだが、仲間にそれは求めない。ただ、裏切らなければいい」
「裏切った人が、いる?」
「いや、昔のことだよ。誰もがみんな人を信じられる訳じゃない。俺みたいなやつは、何か事件が起こると最初につるし上げられる」
なにぶん前世はパッとしない見た目でもあったので、見捨てられた。意外にも人殺しはしたことがなかったし、犯罪も、人に迷惑をかけるようなことはしなかったのに。生きてることが犯罪だと言われたことはある。
「…だれ。そいつ殺す。潰して擦ってモギってなぶって刻む」
「いいの。もう怒っていない」
ズリズリと足を引きずってこちらに来る姿は不気味そのもの。
だが、頭を抱き、肩を震わせる姿は、どこか人間臭い。不思議だった。獣なのに、獣ではないような。
人間の形をした腕が、俺を赤子のように抱くのが気になった。