水の部屋
「よし!全速力で進むぞ!! 後ろに向かって!」
人生で俺が学んだのは、ヤバいと思ったら逃げることだ。
死んだらしょうがない。誰かが新聞の吉報欄の名前を見るか、あるいは知られずに死んでいく。今日、日本で何人死んだかご存知か?
誰も知らない。
皆目を背けるのだ。どうせ背けるなら目だけじゃなく背中も背けて逃げようじゃないか。
「でも、他の子はどうするんですか!?」
「壁を開ける方法なんていくらでもあらあ!!!」
何を言ってるんだ。俺はここより進んだ文明から来たんだぞ。壁の一枚や二枚どおってことないんだよ。ただ、設計者が意図した答えを調べてやろうかと思っただけであってな、そのベールに包まれた秘密を床に突き落としてベールを引きちぎってやっても何の問題も無いんだ。
はーバカみたい。子供の考える事よなぞかけ何て。
扉は開きゃあいいのだ。あきゃあ。
急いで帰って火掻き棒を探した。この家は暖房を化石燃料、それも石炭によく似た石で賄っているため、そこら中にそういう物があった。石炭とよく似たと称したのは、その純度の低さからくる煙で、まったく煙が凄い馬鹿石なのだ。
だが熱いそれを掻きまわす棒だけは木じゃダメなんだ。鋼鉄とまではいかないが、黒い酸化膜を持った鉄の棒はずっしりと重い。それと抱えるぐらいの石を庭で拾ってくれば道具はそろう。
テコって知ってるかい?
視点力点作用点からなる実に単純な機構であるが、これを生活に利用してみようとする人は少ない。俺はこれをテストでの成績評価の限界だと考えている。知識を持っているのと、それを応用して役に立てるのでは話が違うのだ。だから馬鹿みたいに勉強してるのに昔の人にも及ばないだのなんだの言われるのだ。
俺に言わせれば、こんな物使ったもん勝ち。使って勝てるなら親の命でも使ってしまえ。
ガッと床から一寸ほどの高さに鉄の棒をぶち込み、石を突っ込んでテコをかけた。
やはり、というべきか、壁はメキメキと音を立てて亀裂が走る。床から天井にかけて地割れのように幾重にも重なって走る亀裂はまるで稲光を切り取ったかのよう。
「さっさと開けこの糞壁が!!」
扉なら開くように作れ。常識だ。部屋なら隠すな使わせろ。
数センチ持ち上がった壁から、大量の水が溢れ始めた。
ちょ、ちょい待ち。
テコの良い所は単純な所。手を放せば重量物は元に戻る。それに従って水も止まった。
整理しようか。ええ。この家、この廊下よりも部屋が高いとして、いやそれは無い。それだったら壁を持ち上げてすぐに水が出てくるというのはおかしなことだ。
もともとそういう風に作った?
何のために?
部屋を水で満たすわけは?
うん。良くない気がするね。逃げようか。
ピシっと音を立ててカケラが床に転がった。ひび割れた壁には小さな穴が開いて、薄黒い水が音を立てて床を濡らしている。指突っ込む。水停まる。セーフ。
「だれか!!オーロラ!!助けて!!」
一人じゃどうにもならん。
すーっと背中を冷たい物が走る。
突っ込んだ指に何かが触れた。
いや、思い違いに違いない。そう、きっと古い水だから葉っぱが浮かんでいるに違いない。水が流れ出ることで水流が生まれ中では渦が起きたはずだ。だから葉っぱが回って指に触れた。そうだ。そうだとも。
問題はあちら側の高さ。水の流れは向こうの高さと、この廊下の低さ、そして門の大きさで水量、流速が変わってくる。水の流れるホースを摘まむと水は勢い良く流れるでしょう?アレですアレ。
なんかねー。指が押されている気がするんです。怖いですね。
その時だった。指先に痛みが走ったのだ。
「ぎやああああ!!!!」
何か噛んだ!!
メイドさん達が来てくれたが、パニックになって右往左往している。なぜか廊下が大洪水になって、しかも子供が泣き叫んでいるのだから何事かという話になる。
ガリとまた音がした。
ひいいい。
鹿ちゃんが走って来て壁に頭突きした。気味の悪いシールをペタペタした角が赤く光り輝き、壁がドロっと溶ける。まるで湯煎したチョコレート。でもその溶ける壁には俺の指が挟まっているわけで、熱い塗料が俺の指を襲った。
ぎゃ!!