空爆
史実では、ナポレオンの時代から戦争は補給の戦いになった。どんなざまであれ、飯が食えた兵士とそうでない者との差は大きい。多くの兵士には戦争から目を背ける時間が必要なのだ。例え冷たい飯であったとしても食えることは幸せなのだ。敵はその事をよくわかっているようで、戦場へと向かう道は、大量の馬車が破壊され打ち捨てられていた。すでに黒い土を被っている物もあれば、つい最近まで動いていたような綺麗な物も多数見受けられる。数キロに亘って手つかずの積荷と木製の車輪を横たえた姿は、まるでドラゴンの死骸のようだった。肉が腐り、骨が露出した姿を連想させたのだ。
土を踏み固めただけの道路状況は最悪で、何十、何百という馬車が通った道は、泥沼のような状態となっていた。タイヤにゴムが履かれておらず、そのうえタイヤ自体が細身であったために重量が分散されず、もろにタイヤが地面に食い込んだ。沢山の兵士がそれを押して通過したらしく、数え切れないほどの足跡が真っ直ぐな道を作っていた。
戦場の補給状況は悲惨であることは間違いないなと思った。
この時代、まだ産業革命が起きておらず、工場には巨大な機械がない。当然、物は一点物が多く、量が圧倒的に少なかった。それを裏付けるように破壊された馬車は一つとして同じものが無い。しかし物資が手つかずのまま放置されているのは何故だろうか。どこかの小僧が持ち逃げしてしまっても誰も分からないじゃないか。
「逃げます」
「え?」
アリッサが俺を担ぎ上げて森に入った。森と言っても平野を走る街道の真横だから、どこも人の手が入っていて枝の折れた木などが積み上げられている。ふと、折れた木の断面がつい先ほど切られた様に黄色っぽかった。
遠くからボーンボーンと太鼓を打ち鳴らす様な音が聞こえてくる。痩せた木の影から音の方を見ると空に小さな影が一つ。
何だろうか。
こちらに近づいて来る。
その点が一瞬キラッと光った。まるで星の瞬きのように光ったのだ。瞬間、地面が震えた。
それは地上攻撃用の兵士だと気が付いた。飛行機にしてはあまりにも小さく、そして音がしなかった。普通飛行機はエンジンで引っ張る物だからものすごく五月蠅い音がする。その馬力は一般車の30倍にも及び、爆音と共に空を飛ぶ。
だがその敵は、音がしないのだった。
森の中から弓矢による反撃が始まったが、半分も行かないうちにお辞儀をして森に落ちた。人が引ける弓の威力などたかが知れていて、敵はそれが分かっているように悠々と頭上を旋回している。ブルブルと背中に当たっている物が震えているので触って見るとぬるりと血の感触がした。
「怪我は、ありませんか?」
「ない。けど君が怪我をしているじゃないか!」
腹に先のとがった木端が刺さっていた。どこからともなく飛来した尖った木片が腹を片側貫通して途中で止まっていたのだ。幸いにも重要な臓器からは外れ、分厚い筋肉のために出血も少なかった。だが、アリッサはバカだった。わざわざ刺さっている物を抜こうとしたのだ。それが刺さっているから出血していないだけで、抜いたらドバドバ出るのは分かり切っていることだが、この人にはその常識が無いのだ。これは日本での認識。この世界では魔法があるために、医療が進歩していない。医者がやるならいいが病院も無い所ですることではない。
「触んな馬鹿!」
声が聞こえたのか、死肉を狙うハゲワシのように旋回した敵兵は、真っ直ぐこちらに向かう進路を取った。魔法を使うつもりなのだ。
敵が使うと分かっていて、使わないバカはいない。
お前がいけないんだぞ。お前が向かってくるから。こっちも死にたくないんだ。
俺は、箱を思い描いた。透明な箱。見えない箱。ただ、厚さ1メートルの分厚い鉄筋コンクリート製で、それを中心に槍が生えた物。それを高度300メートルの上空にぽつんと浮かべた。
その瞬間血しぶきが上がった。
灰色の羽にぼつぼつと穴が開き、根元からひしゃげてすぐに浮力を失いきりもみに入った。落ちる。
飛行するには軽くないといけない。空気よりも重い物は空に浮かぶことはできず、空を飛ぶ鳥は飛ぶために骨はスカスカ、常に排泄物を外に出すことで極限まで軽くして飛んでいる。そんな脆い物に物体を叩きつけたら簡単にはじけ飛んでしまう。
森の中で戦っていた兵士たちは、自分たちの弓ではもうどうにもならないと分かっていたようだった。森の深い緑の中で獣のような黄色やオレンジ色の目がいくつも光り、ついにそれらは歓声を上げて飛び出してきた。
「どこに魔導士を隠してやがった! どこの部隊だ!」
「ちょっと待ってください治療が先です」
アリッサの腹はジュクジュクと血が滲んでいた。服を裂き、傷に触れる。「うっ」と声が漏れたが痛いのは生きている証拠だ。血を吸った下着が濃い色に染まっていくが、気持ち悪くなるだけで命に別状はない。我慢しろ。
「今から魔法を使う。感染症になるのを防ぐためだ。できるだけ力を使わないようにするから我慢してほしい」
加減をして怪我が治りきらなかったらどうするのか。そういう思いもあった。だがまだ生きていてもらわねば困るのだ。
とりあえず、歯を食いばってもらってゆっくりと木を引き抜きながら肉を再生させる。あまり気持ちの良い物ではない。この魔法というやつは想像しないといけない。人間の黄色い油の色や、腹膜のピンクい色。血に濡れた赤い筋肉。それらが元ある通りに。漏れ出た青い光は俺達を舐めるようにして森に溶け込んでいった。