出立
翌朝となり、軍に向かうと決めて荷作りをしている時、驚くべきことに半数近くのメイドさん達がお供させてくださいと言ってきた。
女性という事もあったし、みんな若いという事でそのほとんどを断ったが、荷作りだけは手伝わせてほしいと言われた。
数日間外で寝泊まりせねばならず、荷物が大変な量になることは分かり切っていたので、俺はその申し出を快く受け取った。
冬の外というのは過酷な世界で、寝袋一枚で寝ることなんてできない。薄い寝袋では、じわじわと冷たく凍った地面に体温を奪われて眠ることなど到底できないのだ。日本のようにアウトドア用の携帯できるマットレスなど無いから、風が当たらないように地面を掘って寝床を作るか、枯れ草を集めてベッドを作るか。それさえも難しい時は座って眠るしかない。
ふつうそれは知らないはずなのだが、メイドさん達は最初にスコップを持って来た。それも使い古された傷だらけのスコップで、切っ先はボコボコと歪んでいる。土の中にあった石を無理やりどけるような使い方をしたのだ。しかもそれは、振りぬけるように肘と同じくらいの長さに切り詰められた物で、それは軍隊で使われる形状のものだった。
「軍隊経験がおありですか?」
「元第七連隊、通信です」
「ああ、それは、大変でしたね」
「私は需品化でした」
「私は第12歩兵連隊です」
驚くことに、この家の女性たちは軍隊経験者ばかりだった。
まだ若いのに。その手首できちんとボタンを止められたメイド服の下には傷があるに違いない。戦場で生きて帰ってくるというのはどういうことか。本物の戦場という物をこの目で見たことの無い俺には想像するしかなかった。
でも、最初にスコップを持ってくるあたり、ひどい事に間違いない。
前世でスコップが戦場で活躍するようになったのは第一次世界大戦からだ。それは、兵器の進歩に伴い、戦列歩兵が前進するといった戦術が取れなくなったために、全長1200キロにも及ぶ塹壕を両軍ともに掘りぬいて戦う、泥沼の長期戦となったわけだ。塹壕とは兵士が身を隠せる穴のことで、ほとんど手彫りで掘り進められた。
そのスコップがいるというのだ。敵は何を使ってくる? 野戦砲、毒ガス、戦車、爆撃機。第一次世界大戦は最新兵器の実験場となっていた。こちらの戦場もそうなっていると考えた方がいいだろう。
「このスコップで何をするのですか?」
「何でもです。用を足した時は、これで穴を掘って汚物をうめます。そうしないと敵に臭いで見つかりますから。それに食料の配給を運よくありつけた時は、この上に乗せてフライパンみたいに調理もできますし、なにより身を守る穴を掘らなくてはいけません」
「何から身を守るの?」
「敵の魔法使いです。奴らは動くものは何でも狙ってきます。悪魔です」
おお、最強兵器は魔法か。何度か街に下りたことがあったが、町のきらびやかな露店では魔法の杖が売られているのを目にした。それは大人用の道具ではなく、子供用のおもちゃの杖で、子供たちは物欲しげな目でそれを見ていた。つまり魔法は庶民の憧れである。戦場で活躍している。
「魔法は綺麗だともてはやされていますが、撃たれる側としては地獄の炎です。どうか周りで炸裂したら、泥の中でも、糞の中でも這いまわって生きてください」
行くのは止めてくれぬのかとも思ったが、言えるわけもなく。自分も前に進むためには戦場に行かねばならないと思った。
この家の部屋のことは勿論だったが、奴隷商という仕事をまずは知らねば仕事ができない。仕事ができないと金は失われ、家族が路頭に迷う。蓄えはあるから質素な生活をすれば一生暮らせるとは思うが、怪我や病気をしたらどうなるか。それにこの仕事のせいで死んでいく命を目で見ておくことは、この会社の社長として当たり前のことではないのか。
俺は震える足をみんなに見えないように庇って玄関のドアを開ける。
そこにはずらりと贈り物を持った住人たちがいて、俺を見た瞬間に頭を深々と下げた。中には両手両足をなげ出し顔を地面にこすりつけるものまでいる。皆やせ細り、死人が歩いているような状態なのに、手には焼いたばかりのパンやお菓子を持っていて、近くを通るたびにポケットに入れられた。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
「はい」
何をありがたがられているのか、俺にはまるで分からなかった。
もしかしたらこの前見せた魔法のことで、死人をまたよみがえらせようとしていると期待されているのか。
俺は断じて魔法を使うつもりなない。
なぜならば、あれは魂を引き戻しているわけではない。そして自然の法則を覆すものだ。使っていい物ではないに決まっている。
ただただ、土下座をする人々の列は100mも続いていて、その目には必死さが現れていた。
途中で老婆に足を摑まれた。
「息子は、マリムといいます。第一中隊で150人の指揮をとっています。どうか連れかえってください」
そう口にしたが最後、周りの人間は我も我もという有様で小さな俺はすっかり周りを囲まれ、頭の上から怒鳴りつけるような大声が響く。
ひょいとそんな俺を担ぎ上げてアリッサは運んでくれる。
肩に担がれて歩く姿は滑稽だったのか人々の声は薄れて行った。
二人での寂しい旅路になる。だが大人数だと目立ち、真っ先に命を狙われることを俺は知っていた。