鬼ごっこは血なまぐさい匂い
俺には生まれついての問題がある。
それは他人の感情や痛みをうまく感じ取ることができない事。
しかし、人間には自分と違う特徴を持つ人間に対して、無意識的に好意を抱くという特性がある。俺は人にモテた。人は、自分とは考え方や価値観の違う人間を無意識的に求めているのだ。普通の人から見ると、歪な俺は魅力的に見える。これは自慢話では全くない。
面白そうだと思って近づいた人間は、俺の本性を知る。
人のまねをするのには大変な労力を必要とする。長く一緒にいると、俺が行っている一般人への擬態は見破られてしまうのだ。
「ねえ、君は、なんでこわがらないの?」
綱を頭から生やした少年は不思議そうに俺の目を覗いた。
ガラス玉のような艶やかな瞳。その大きな黒目の中に目をぱちくりさせた自分が映る。
二本の枝分かれした角が頭突きするみたいに胸へと押し当てられた。
「ボクがこわくないんだ」
本当は逃げなくちゃいけなかったのだと思う
胸にすりすりと何度もこすりつけられる角。まるで猫が外から帰って来た飼い主に自分のニオイをつけているみたい。でも攻撃的じゃない。笑っている。それが俺には分かった。
埃っぽい匂いのする息。
異様なほど毛深い腕。
その全てが異形だが、不思議と怖さは感じなかった。
「遊ぶ前に、ボク、少し声が聴きたいな」
身長が低いため背伸びをし、耳元で囁くように「声が聴きたい」と繰り返した。
大丈夫。シカは肉を食べない。
だが、胸に手を置かれるとぞくりと鳥肌が立った。小さな手は、その大きさに反してとてつもなく重い。質量の事だけではない。押し付ける力が物凄く強い。
「君は、いつからいたの?」
「はあ。声、可愛いネ」
「い、いつからいたの?」
「ずっとまえ」
ずっと前とは時間的にどれくらいか。何年かあるいは何十年かそこにいたのではないか。
判断基準を探して、この子の入っていた部屋を見渡すと、暗闇に慣れた目の中で何かの骨を転々と見つける。埃に埋もれていたが、頭蓋や足の骨からしてネズミ程度の小動物だった。
「あまりみないで」
「何食べてるの」
「動くものは何でも、本当は君も食べようと思ったんだ。でも食べなくて正解」
「なんで」
「おもしろそうだから」
彼はけらけらと笑って手をポンと打ち鳴らした。手の毛皮が分厚く、ほとんど指が埋没しているためにくぐもった音が鳴るのが可愛らしい、と場違いにも思う。
身長が130cmほどしかないため、余計に子供っぽさが際立った。
長い黒髪の内側でぴくぴくと耳が動いている。
「この家には沢山人がいるね。まず捕まえようか」
「だめ」
「え」
「ダメに決まっているでしょうが。ここにいるのは俺の家族だよ」
「獣臭いのが混じっているけれど」
「俺の家族だ。そういう遊びをする人とは仲良くできない」
「ち、ちがうんだよ、そういうのが好きかなって思っただけで、その、ボクも君と仲良くなりたいだけなんだ。さびしくて、いっしょに遊びたいだけ」
「仲良くできるの?」
「できる。でも、雌ばっかだ。ぼく、妬いちゃうな」
あやしい。人にはいろんなのがいる。血を見ると興奮する人とか、そもそも人間は自分だけだと思っている人とか、みんな狂っていて自分だけが正常だと思っている人とか、人の痛みが理解できないから、コミュニケーションのために人を痛めつける人とかいろいろだ。
問題は、だれもが自分は正常だと思っている事。
「家族を殺されたら、僕は何をしても君を殺しに行くよ」
「いや、そんな、こまる」
「そりゃそうだろう。大事なものを壊す人は敵だから」
「いきなり、そんなまだ会ったばかりなのに。ボクも大事にして欲しい。そこの子みたいに」
壁に貼りついていたアリッサねぇえ様がビクッと飛び上がった。
口を大きく変えて巨大な犬歯を突き出しうーーっと低く唸っている。すでに動きにくいブーツは脱ぎ捨てて、獣の足で立ち、足音も無く間合いを計っている。
怖がり過ぎではないだろうか
「仲良くできないなら扉閉めるよ」
「やだ!!やだやだやだ!!!」
「仲良くできるの?」
「できる!」
じゃあ、遊んでみよう。集団での遊びができるのかできないのかは実は大事な判断基準である。犬は人間と同じ集団での生活をするが、その中でも遊びは大事な上下関係を作り上げる。お前は俺より弱いんだから言うことを聞くんだぞと。先輩は若造の顔を噛み、首を噛み腹を噛む。
人間と犬との違いは、弱い人間を強いのが押さえつけるようではいけないという事。弱いのを助けるようなところが見れればかなり使える。攻撃する意思を見せなければ、一緒にもいられる。
選んだ遊びは鬼ごっこだった。ルール上ハンデが無いと俺は負けるのが分かっていたので鼻を使うのは禁止、本気で走るのも禁止。家の中だけ、メイドさん達の参加は自由とした。自分達のほかに9集まってくれた。
「怪我だけしなように注意して遊びましょう」
この鬼ごっこ、ほとんど遊び方が狩りなんですよ。狩人が逃げる得物を追いかける。鬼は最初、鹿ちゃんが務める。
「じゃあ、よーいどん」
の掛け声で、俺はアリッサねぇさまに掴まった。捉えられ、適当な部屋に連れこまれる。そこは物置小屋だった。濡れた雑巾が肩に当たってとても冷たい。
雑巾だと思ったそれはアリッサの濡れた舌だった。
「ええ? ちょっとルール理解してますか?」
アリッサは俺のシャツのボタンを引きちぎってべろべろと胸元を舐める。それでは飽き足らず、床に押し倒してぐりぐりと体を押し付け嗚咽を漏らす。
「ど、どうしたんですか? 鬼やりたかったんですか?」
「あいつの臭い消す」
あ。なるほど。鼻はルール上使ってはいけないけれど、使われる可能性があるから臭いを消してくださるんですね。ははは。思いっきり食われるかと怯えてしまいましたよ。
「わたしなのなのに。汚いない手で触りやがって」
あの、あのですね、なんかお腹の肉を甘噛みされている気がしますが。食べられませんよね?
「うーーー」
なんですか。なんで唸るんですか。
その後すぐに鬼に見つかったけれど、アリッサねぇ様どいてくれなかった。ちなみに、おっきな彼女のホールドをうけると、全く動けないんです。ずっしりと柔らかい物が乗るので。顔までベロベロ舐められてめっちゃ匂いついた。
鬼はそんな俺の横にうつぶせに寝転がって顔を見て来た。
くりくりした目を細めてにっと笑顔を作った。俺の手を優しく握って手のひらに指で円を描く。凄くくすぐったい。
楽しそうに笑っている。
結構狩りが好きなのかな。こういう遊びなら全然いいな。
アリッサはそれが気にくわないようで、部屋の隅っこまだで俺を運んで両手を広げて俺を隠してしまう。もう見つかっているんだがな。
部屋を出て驚いた。全員捕まっていた。
手に書いていた丸はもう残っていないという事か。
すごいな。
子供の体力おそるべし。誰も怪我もしていなかったので二回戦目に突入する。