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獣の主人

 グローレス家長男、ライヒ・エス・グローレスはベッドの上で寝返りをうっていた。まだ日が出ているうちからこうして寝ていられるのは、彼の家がお金持ちだからだった。


 ライヒは18歳になっていた。普通では仕事をしている年齢である。しかし将来は約束されていたために仕事につかなかった。通例では長男が家督を継ぎ、すべての権限を得る。だから働くことが面倒で仕方がない。なぜ布団に入りながらお金が手に入るのにわざわざ仕事など探すのか。そもそも、俺が後を継ぐのに仕事なんてして何の意味が?


 口うるさい父の戯言を思い出してライヒは苦い顔をした。


 手元にあったロープを手繰り寄せると、そこにはいつも通り美しい女の姿があった。

 ロープは首元にきつく巻き付けた赤い首輪に繋がっており、ライヒは執拗にゆるみが無いかを確認する。


 一昨日一人の雌奴隷が逃げた。首輪が緩かったために手首に噛みついて外に逃げた。逃げた奴隷は奴隷によって狩られる。逃げてはいけないんだよ。君はもう、人に飼われることはないんだよ。そういう意味を込めて生首が軒先に吊るしてあった。


 絶世の美女だったのが嘘のように目は落ちくぼみ、大量の蛆がその腐った肉を食らっていた。もぞもぞと皮の下でうごめいて、生首が笑っているようにも見える。


 姉妹のようにその奴隷を慕っていた赤首輪の奴隷も、その様子をじっと見ていた。

 逃げればああなる。それを自覚しているからどんなことをされても逃げられない。


 ライヒは女の顔を強かに殴りつけ怒鳴りつけた。


「その首を便所に捨ててこい!」


 女の白髪が宙を舞った。あまりにも強く殴られたためにライヒの拳に絡みついた毛が幾本か抜け落ちて血が付いていた。

 ライヒは手を振ってそれを落とす。汚らわしいと顔をゆがめる。 


 

「ぼっちゃん、いらっしゃいますでしょうか」


 玄関の方から声がした。すぐに奴隷が用件を聞きに向かうが、ライヒはそれを突き飛ばして自ら玄関に走った。

 そう、ついにその日が訪れたのだ。あの家の全権を手に入れる日が。

 どれだけ待ったことか。

 我が父ながら決断があまりにも遅すぎた。

 だが、そこにいたのは思った人とは違った。


「八男様が、全権を引き継ぎました。つきましては、こちらのお屋敷は八男様のお持物になりますので、本日正午過ぎまでにこちらをあけ渡していただきたく思います。また八男様に一切危害を加えないことの証明としてこちらに書面していただきたく」


「八男ってなんだ? そ、そいつは何様だ?」

「八男様で御座います」

「バカな、まだ子供じゃないか。だれがそんなガキについて行くと思う」

「我々奴隷で御座います」


 ライヒは当たり前のように手を振り上げた。奴隷と軍隊は叩けば叩くだけ良くなるとはよく言ったもので、良い奴隷商というのはいつも鞭を持っていた。ライヒも例外ではなく、腰に下げた馬の尻を叩くような大きい鞭をグンと振り上げたのだ。


「最初に申し上げましょう。私はもうあなた方に怯える奴隷ではございません。そして、私は貴方よりも大きい」


 女は肩から腕を振り上げた。服を下から押し上げる筋肉には血管がうねるように浮きだち、握られた拳は岩石のようにゴツゴツとしていた。

 ライヒの持つ鞭は、おもちゃのように小さかった。


「私には『攻撃を受けた場合には即座にやり返すように』と命令が下っております」


 女は笑顔だった。美しくも冷淡な、氷のような笑顔。

 ライヒの視界が真っ黒に染まる。近づいて来る拳。そして赤。血、脳、砕けた頭蓋。


 女は手についた汚物を払うように手を振り、自分の体に巻き付けたベルトをほどいていった。隠しようのない分厚い腹筋が、胸筋が、蒸気を伴って膨れ上がる。

 尻の方から伸びた灰色の尻尾は、犬の物とはまた違う、大きくてゴワゴワとしたものだ。

 女らしいくびれた腹に、それは撒き付き、まるで戦いを好いているようにせわしなく振るわれた。まるで行ってこいと命令された猟犬だ。


「奴隷の中に、私のしたことに反対の奴。かかってきな」


 館の中からぽつりぽつりと姿を見せた奴隷達は誰も攻撃の意思を示さなかった。 

 

 不思議な物で、奴隷同士争うという事はほとんどない。

 力関係は体や筋肉量を見れば明らかであるし、何より匂いが強者の証明だった。

 強者は自分の物に自分のニオイを付けるのだ。

 その大きな奴隷の影に隠れてしまっていた少年は、大きなお尻を横に押すようにしてやっと姿を見せた。


 その匂いの強いこと。

 それはあの女のお気に入りなのだ。


 食うためかと奴隷達は噂した。その少年はまだ子供。それもほんの小さなお饅頭ほどしかなかった。あの女の巨大で丈夫な腕かかれば、簡単に壊されてしまう。


 それなのに女奴隷はひょいと頭を下げて撫でてもらうのを待っている。


 ああ、そんなことがあるものか。あれだけ暴れていた化け物が耳を揉みしだかれ、抱きつかれても何もしないのだった。それどころかギュッと抱きよせて胸元に抱きかかえ、嬉しそうな表情を見せたかと思うと、女奴隷たちをギッと睨んだ。手を出すなよと。私んだぞと。


 確かにその子は美しかった。

 もしライヒがもっと痩せていて、髪をとかして、毎日綺麗にしていれば、同じような可愛さがあったのかもしれない。

 小さなお手手で化け物の首に縋りつく姿は、なんだかきゅんとした。まだ子供だ。細い腕や足は喧嘩も知らないのだろう。


 その子はなぜか、足元に転がっている人間だった物を一瞥して、表情一つ変えなかった。それが余計に人形めいた美しさを際立たせた。

 美しい目だ。良く澄んだ湖のよう。

 可愛らしい顔立ちだ。将来、たくさんの女が好みそうだ。


「行きたいところのある人は行ってよろしい」


 これが私達の新しい主人だった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 私ならば、この主人に仕えますね。一目見て分かる差と言う物は、学が無かろうとも分かるもの。主に迎えればきっと愉しい日々が始まるでしょう……。 護りと攻撃、夫々複数人欲しい、更に技術を持ってい…
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