踊りを踊るみたいに
世界で初めて使われた鉄でできたナイフは、隕石を使った物だった。
それまでの人間の力では鉄鉱石を見つけられても、それを溶かし、精錬するだけの熱をどうしても確保することができなかったからだ。
大気圏を突き抜けてくる隕石の表面温度は、3千度を超える。そして海や湖に落ちることで急冷され、理想的な組織構造を形作る。
隕石が地球に降って来るのに比べれば、目の前で起きていることなど、些細な運動エネルギーに過ぎなかった。
広場で手足を拘束された男が石を投げられている。
石だって甘く見てはいけない。
戦国時代、最も人を殺した道具は石だった。農民すら一瞬で兵士にかえる石は、元出ゼロ円で始められる戦争だ。近年では、それが野球のボールとして残っている。俺が野球を嫌いな理由だ。
「随分楽しそうだね」
「敵の王様だよ。明日死刑になるんだ」
おお。凄いね。子供たちが寄ってたかって大人に石を投げている。
この国は捕虜をとるのか。
なるほど。相手は解放してもらうために、人質の交換を申し出るのだろう。つまりは、奴隷だ。
人間のあさましい事よ。その石を投げられている男には、猫耳も犬耳も無かった。
切り落とされたのではなく、普通の人間だ。
隣国との戦争はどうやら本当らしい。
ふと、隣に立っていたノイが叩きつけられた。
地面に。
ん?
「このバカが!! 何で奴隷風情が道の真ん中を歩いていやがる!!」
いや、おっさん、何を言いますがな。そいつナイフ持っているんですよ。殴っちゃいけないでしょう。勝てるわけがない。ナイフ持っている相手に殴り掛かったら指が何本あっても足りない。人間の骨はカルシュウムと呼ばれる金属の一種だが、中はスカスカであまりにも脆いのだ。
ノイはただ黙って殴られていた。
何か理由があるのだろう。彼がそうしたいのならば、俺にいう事はない。
だが、顔の上にケツが置かれ、水っぽい放屁をされた時点で、俺の頭がぷっつり切れたんです。ええ。怒りました。なんでかわいい顔の上でそういう事をするのか。奴隷だって生きているんだよ? ひどすぎないか?
ノイは、一滴の涙を流して、俺を見ていた。
すぐにでもぐちゃぐちゃになってしまいそうなほどうるませた目は、まるで深い海の底を覗き込んだみたいに俺を惹きつける。
「ごめんね……」
「助けてって言えよ」
「……助けて」
「いいよ」
まず、大人を相手にする時の基本。相手がどういう人間なのか観察する。単純だ。こういう手合いは、日々の生活に飽き、自分よりも弱い人間を相手取ることで自分が強いと思い込みやがる。その上、こちらが手を出さないと分かると調子に乗りやがる。
でっぷりと飛び出したお腹は運動不足か、酒の飲み過ぎか。すくなくとも筋肉が生息する余地はなさそうである。肝臓が弱い。運動が苦手。
左足を地面につける時、一瞬庇った。
足が悪い。
息は生臭く、歯茎が弱っている。ろくに歯磨きもしていないのだろう。
男の手がノイの指を力任せにへし折り、声にならない悲鳴が響く。
同時に俺はカランビットを抜いた。
まず、左足の膝、膝は巨大な関節があるために、肉から骨までの距離が近い。体を支えるだけの筋肉があるため肉は硬いが、カランビットにそういうことは関係ない。ぐさりと突き刺して、そのまま一周ぐるりと骨に刃を当てながら回転させ、肉と骨の関係を断ち切った。
そのまま足を抱えるようにして、抱きつき、渾身の力と全体重を持って右に捻る。
骨は、実は蝶番のようにガッチリと組み合わさってるのではない。筋肉で常に引っ張っているためにそこにあるのである。つまり、筋肉が無ければ。
ぽっくりと抜け落ちた左足が、俺の手の中に残った。
断面から壊れた蛇口のように血が滴り落ち、ぐっしゅりと服が濡れる。
あー感じます。痛みを。命を。
勿論これで終わりではない。次に俺は男の口めがけて手を押し出した。
カランビットの指を入れる穴が、前歯を直撃しボキリと永久歯を三本折った。
そのまま返す手で右から左へ袈裟懸けに首、首、肩、腹、腹、最後に股間にざっくりと傷跡を残してナイフをしまった。
男にはまだ息があったけれど傷口を手で押さえようにも腕が上がらない。助けを呼ぼうにも穴の開いた喉からは不気味な風音が漏れるだけ。走って逃げようにも、内ももから外周にかけては和牛のようなに白っぽい肉が露出している。うわ。寄生虫だらけじゃねえか。気持ちわりぃ。
「ノイ。行こう」
ノイはボーっと俺を見ているだけで動かなかった。
指が折れるくらいは、一生で何度か経験することだから大丈夫だと思うのだが、やっぱり俺基準ではいけないか? 前世だと親指をチェーンソーで骨まで切ったが、割と大丈夫だったので、他人の痛みが良く分からない。
それぞれのキャパシティというのがあるのだろう。
俺は彼の手を引いて、噴水を目指した。
噴水は、とてもきらびやかな物じゃなかったけれど、冬場だけあって見も凍るような冷たさだった。その水に青くなった指を付けてもらっている間、俺は一人で路地を探った。
指の添え木を探すためだ。折れた指をそのままにしておくと曲がったまま骨が再生してしまう。そのおかげで前世では右も左も薬指が曲がっていた。
びっくりしたことに、ノイがついて来るのだった。
「冷やしてて。また戻ってくるから」
そう言って噴水に置いてくるのだが、またノイはついて来るのだった。
「おいてかないよ。一緒にいるから安心して」
添え木は指の痛みが引いてからでもいいだろう。包帯は上着を裂けばいいけれど、メイドさん達は怒るかな。そんなことを考えていると、ちらちらと視線を投げて来たノイがついに口を開いた。
「どこで、あんなの覚えたの?」
「どこでって……頭の中かな。頭の中の敵はもっと固かったのだけれど、凄く柔らかくて驚いた」
違和感が物凄かったのは事実だ。なんかこう、言いようもないが違和感があった。
「踊りを踊っているみたい」
「くねくねして気持ち悪い物をお見せして申し訳ない」
だが次はもっとうまくやるさ。
あ、死体を片付けておかないとあとあと面倒になるな。
カランビットを使うとどうしても派手に血が噴き出るので、スプラッター映画だ。
「ちょっと待ってて。片づけてくるから」
ノイはついて来るし、どういう訳か道に死体が無くなっていた。
逃げたわけではない。致死量の血がぶちまけられ、道は血の池になっている。無理もない。太い血管を5か所も切ったのだから。歩くのも無理だ。体重は100キロ近くあっただろうから、誰かに担いでもらいというのもまた、無理。
怖いなー怖いなーと思っていると、みんながじろじろ見てくるので初めて、自分が返り血で真っ赤な事に気が付いた。
唇が血の味がする。冬の乾燥した朝の味。
人の目は嫌いだ。
「体洗うとこないかな」
「こっち」
ノイに案内されて入った裏路地に、大きな水がめが置いてあった。中の水は雨水らしく、所々腐りかけの葉っぱが浮いている。それでもあのオッサンの血を洗い流せるならばと俺はありがたく水浴びをした。
「あー」
手を切っていた。男の口を殴った時に歯に当たったらしい。
この体、前よりしなやかで運動神経がいいけれど、脆くて困る。力仕事を何もしてこなかった手。頼りない坊ちゃんの腕。ぷにぷにだけが取り柄だ。
白い肌の上を赤い血が流れて滲んで、ボタボタと肘から垂れる。
ノイは手に顔を近づけてあたり前みたいに傷を舐めた。
お金ないんだろうな。
傷を舐めて直すのはなんだか猫みたいだ。
添え木しないと。
あー濡れて帰ったらいろいろ言われるだろうな。そうだ水たまりでこけたことにしようか。
服は……血は落ちなんだよな。
血なまぐさい。せっかくのお出かけが台無しだ。