手の中の死神
僕は友達とナイフの話をした。
ナイフは刃物の一種だ。細分化されたそれらの道具は地域によってさまざまな形をつくる。例えば、薪割をする鉈は、関東地方だけで4つの形に分かれ、日本全国では確認できているだけで50種以上の種類がある。
それらはまるで言語や方言のように人々の生活に溶け込み、なくてはならない存在だった。
そう、だった。
いつしか刃物は犯罪の代名詞に変わり、人殺しの道具としての名前ばかりが独り歩きしている。
それは呪いであり、世界に存在するナイフのほとんどは人を殺すことを目的として作られていないのだ、と俺は話した。人は殺せるがね。
勿論、俺には大好きなナイフがあった。それは僅かに5センチの刃渡りしか持たず、全体は流線型、三日月や、鳥の羽のように美しいデザインをしている。
「それはなんていうの?」
「カランビット」
刃物は人が選んで買う。それが常識。でもカランビットは違う。
その手のひらにほとんど収まってしまう刃物は異常だった。俺はそこが好きだった。海兵隊ではその戦闘能力の高さからカランビットナイフを訓練に取り入れようとした。が、これを断念した。あまりにも人を選ぶ道具だったからだ。誰もが使いこなせる道具ではない。とにかく癖が強い。
通常、ナイフを刺す時は、握手する距離感まで近づく必要がある。それは手の延長であるからだ。一方カランビットはその特徴的な形状故、交戦距離が異常に近い。まるで回人同士が口づけをするような距離まで近づいて、使わなければいけない。
敵には持っているナイフが見えず、顔の前を拳が通過したかと思うと、ざっくりと肉が切られている。小さな刃渡り故、幾度も切り刻むように刺し入れては、抉る。体を大きく捻り、敵の武器を持つ手を指先から脇の下までバラの花みたい切り裂くなど、実に多彩な動きをもつ。
「持ち手の反対側に指を入れる穴があって、人差し指を入れてね、ぎゅっと拳を作って振り下ろすと交戦距離が倍になるんだ」
このナイフを知っている人間は近づかない。カランビットは回る刃物なのだ。
ペン回しみたいに手の中でグルグルと踊りを踊る。肉を切り裂く刃が。
元々カランビットは農機具で、刈った稲穂をナイフを持ったまま紐で縛るために考案されたと言われている。この場合、手の中でくるりと回転させ指を空けるのだ。
あんまり嬉しそうに話したためか、友達は一時間でナイフを作ってくれた。目の前で、ろくな道具も使わずに。
材料は黒曜石と机の天板だった。
もらっていいんかな? もらうが。ええ。もらいますとも。
何がヤバいって見えないんだ。
顔の前に手を持って行って顎先を撫でれば、首が切れる。頸動脈を切り、出血性ショックで死に至る。
その動作をしたのに友達のノイはうっすら笑っていた。
人差し指で回してリバースし、恐竜のカギ爪のような格好で、うち太ももに手を回したが、ノイ君は全く動じなかった。
勿論寸止めするし、刃先が丸まっていることは自分の指で確かめてからやったことだ。それに、万が一にもこのナイフで傷つけることなどないという自負があった。彼が不足の動きをしても反応できるように数センチ手前で止めている。
ノイは俺の首に抱き着いてすごくうれしそうに鼻歌を歌う。
「君は僕みたいだ」
「はっきり言おう。こういう出会いはそうそうない」
「君になら、切られてもいいと思ったのだけれど」
「もっと柔らかそうなところを探さないと刃が通らないね」
そう言って俺達はクスクスと笑った。ノイの体は硬いうろこで覆われ、カランビットに引っかかった上着の裾から、お腹を包み込むようにして生えた銀の鱗が見えていた。
一緒にいて全然我慢しなくていい。自分が自然体でいれる。すくなくとも二十数年生きて来てこんなことは一度もなかった。
「外に遊びに行かない? 僕、沢山面白いとこ知ってるんだ」
「え!? 行きたい!! この家遊ぶところが全然ないんだ!」
ナイフ好きが外に出る時、ナイフをこれ見よがしに持って歩くイメージがあるかと思いますが、あれは頭のオカシイ素人なのです。ちゃんと使う人ならば、人に見られることの意味を理解しています。
本気は刃物を最後の最後まで見せやしない。ここぞという瞬間、一瞬抜くだけだ。
ノイもちゃんとわかっていて、上着のだぶついたスペースに刃渡り15センチを上手に隠した。