あの日の思いで
私が生を受けて肉を初めて食べたのは17歳の冬だった。
坊っちゃんは全ての奴隷に狩猟をする許可を出したのだ。私たちは毎日山に入って狩りをした。
仕事の他に狩りをしなければならなかったため、けして楽な生活ではなかった。でも初めて食べたあの肉の味を忘れることができようか。なにしろ血肉は奴隷に言うことを聞かなくさせるとして、多くの店では禁制品だった。
坊っちゃんが消えたあと、初日に二人奴隷が消えた。公式には脱走ということになっているが、正確には彼の兄弟の息がかかった商人が、坊っちゃんの奴隷目当てで拉致、売り払っていた。
肉を食べた奴隷は膚艶が良く、どこでも高く売れた。しかし今ごろは商人が逆に絞められていることだろう。私たち奴隷は主人が消えた理由を兄弟の商人にあると踏んでいた。
だがまぁ、見つけられたのは大きい。まだ本人を確認してはいないが、ここにいるのは確実だろう?
あの人は、公爵が一人で行って泣いて帰ってきた舞踏会に行き、笑って帰ってきた男だ。その上、女たちから大量の手紙をもらい、それ一つ一つに直筆で返信を書いている。
これは驚くべきことだ。金に溺れ、男を遊ぶためのおもちゃとしか考えていない女どもが、一人の子供相手に必死になっている。価値の無い男は相手にされず泣きながら帰ってくるというのに、坊っちゃんだけはいつも笑っていた。
だが、そんな坊っちゃんにもひとつ不思議な点があった。名前をつけて可愛がっていた虫が死んだとき顔色ひとつ変えなかったのだ。まるで何も感じていないみたいに地面に穴を掘って埋めていた。
その程度で心が揺るがぬ強い方だと言いたいのだろう。だが違う。
私はいつもとなりにいる猛禽に質問したことがあった。あの方は何を考えているのかと。
「生きることと死ぬことと多分同じことのように考えている」と苦笑した。
いいか。これが、良い家に生まれ、獲物が生きていたこともしらず、ステーキが草原を走っていると思っている5才のガキだったら話は別だ。命のやりとはそうではない。血抜きをされ、うまい肉となる動物は生きたまま首を切られるか、心臓の近くを切られ、血を流させられる。心臓が動いていないと血が抜けないからだ。坊っちゃんはそれを知っている。
そして私は見た。
その晩、お屋敷に泥棒が入った。ちょうどメイドの夜警交換のタイミング、誰もが寝静まった夜半過ぎに、彼らは入ってきた。敵はガッチリとした体格の男だった。首と腕の太い、例え戦闘になれた奴隷でも距離をとりたくなるような相手。しかも二人組。
私は仲間とわざと距離をとって足音を消しながら背後に回った。戦いにおいて卑怯なんて言葉は意味がない。生きるか死ぬか。弱いやつは死んで強いやつが生き残る。
盗人は壁に隠された金庫を開けるために身を屈めた。私はこの瞬間を待っていた。暗闇から躍り出てその首を狙った。泥棒はすぐに気がついて懐刀を抜こうとしたが、それは悪手だった。俊敏さで狼に勝てる生き物はいない。特に足の早さは天下一品、馬にも負けない脚力を有する。敵もそれを知っていたはずだが、夜遅くということもあって私が寝ボケていると油断したのだろう。
一回の回し蹴りで踵に感触があった。一回の攻撃で顎が砕け、脳みそが揺れた。もう一人の泥棒は不利と見て逃げ出したが、大技のあとで体勢が崩れすぐに追えなかった。念のため気を失った方の泥棒の頭を踏み、砕いておく。こうしておけば二度と起きることはない。
ふと周りを見渡すと視線を感じた。外では逃げた泥棒が他のメイドに見つかって絞められる僅かな悲鳴が漏れている。私は見回りの仕事に戻るために顔を前に向けると、そこに坊っちゃんが立っていた。
奴は何食わぬ顔で聞いてきたんだ。紅茶でも飲むかい?ってな。
同族の人間が殺されていても何も感じないんだあいつは。もちろん確証はない。暗闇で泥棒の死体が見えなかったのかもしれない。ただ寝ているだけだと思ったのかもしれない。しかし私はそうではないと思っている。
あの笑みにつぶれた細い目が、冷たいナイフのように心をえぐるのを私は知っている。
だが同時に気に入ったものには祝福も与える。それが欲しくてたまらない。なぁ、お前もそうなんだろ?
良いことを教えてやる。その日、あいつは私と寝たんだ。人殺しをした私と。私はな、認められたと思って嬉しかったよ。