大事な食糧
一週間後、自身の部屋で奴隷の持ち主が異常に気が付いたのは、奴隷の肉付きが良くなっていたからだった。
女がきちんと女の体のように丸みを帯び、肌つやが良く、髪の毛までさらさらとしていたのだ。奴隷の持ち主は金を惜しみ、奴隷の食事を一カ月前から減らしていた。奴隷の力を弱くすれば、それだけ反乱も少なく制御しやすいし金も安く済むと考えてのことだった。
「お前達、隠れて飯を食っているな?」
朝食を済ませると食糧庫に向かった主人は、帳簿を確認し始めた。そこには入ってきた食料と出て行く食料が記載されているが、不正を働けば必ずボロが出るはずだった。
しかし証拠はなかった。むしろ計画よりも多くの食料が食糧庫に残っている始末である。奴隷達は飯を食べていない。大麦粥を食べていないのだ。ではなぜ太るのか。
原因は一つしかなかった。畑からの窃盗である。
持ち主は、犬臭い獣人を3人連れて来て原因を調べるように命令をした。
犬の獣人は村で狩猟につかわれるいわば猟犬である。体重が70キロを超え、熊並みの体躯があり人語を理解する獣。四つん這いで時折気性が荒くなり、ガキを監禁して人間が飼いならせる限界がそれだった。
指示を受けた3人は聞きおわる前に鼻を地面にこすりつけて捜索を開始したが、2週間に及ぶ捜索で結局何も見つからなかった。
勿論それは鼻に原因がある。
獣人たちはここに美味しい食べ物が来たことをすでに知っていて、その日のうちに襲いに行った。より正確にはケーキの匂いにつられてそれを口にしていた。しかも食べても食べてもそれは数時間のうちに元に戻り、次はまた味の違う食べ物に変わったのだ。
彼らはタダでご飯をもらう代わりに、村でばれないように立ち回る取り決めをしていたのだ。
村人が寝静まったころ、獣人たちは足音を立てずにあぜ道を歩く。彼らは裸足で地面を駆けるが、靴底のように固い肉球があるため見た目ほど痛くはない。
目的の建物は井戸のそばの小さな小屋だった。
小屋からは僅かに淡い光が漏れていて誰かの話声がする。獣人たちは胸を躍らせた。一日中我慢してきたご馳走にありつけるのだった。
「こんばんは」
「ああ、どうも。入ってください」
獣人たちは部屋の隅々まで見渡して罠などの仕掛けが無いか確認する。そして安全が確認できると鼻をヒクつかせて机の上に乗った鍋の蓋を開け、涎をダラダラと零した。
鍋に入っていたのは親指ほどの太さのあるソーセージで、旨そうな匂いが小屋いっぱいに広がったのだった。勿論奴隷にはとても口にできない高級品である。獣人達は競い合うようにして貪り食った。
食べている最中、机のすぐそばで喧嘩が起きた。仲間の一人がソーセージを一本多く食べたという理由で殴り合いの喧嘩となったのだ。獣の耳を掴み、ねじり、動けなくなったところに拳を落とすやり方だ。
それをそばで見ていたイリスは、すぐに手首を薄く切って皿の上に持って行った。
手首までは赤かった血は、いつの間にか白い乳へと代わって皿を満たす。それを零さないように慎重に運ぶ少年が喧嘩真っ最中の獣人の仲介に入った。
「食べ物で喧嘩をすることはありません。無くなりませんから、存分に食べていただいて結構です」
喧嘩をすぐに止めた獣人達は、床に正座して子猫のように舌を突き出し乳を舐めた。それは人肌に温かく、抗い難いほど甘い匂いを発していた。一滴残らず飲もうと皿までなめるとイリスはまた手首を切るのだった。
獣人達が這いつくばるようにして床で飲む。乳には抗い難い理由があった。それは日本で言う所の調整乳で、濃度を特別濃くされた物だったからだ。イリスは思い浮かべるだけで体のいたるところを別の物に変えられるようになっていた。
夜もふけた頃、床の上で丸く寝ころんだ獣人達は自分の尻尾に顔をうずめるようにして眠ってしまった。子供のころ以来、お腹いっぱい乳を飲むことなどしていなかった血生臭い狩人達が、お腹を暖かい乳で満たし、子供のように眠ってしまったのだった。
「神様は怖くないんですか」
「獣人は、ひどく言われることが多いですけどそんなに怖い人ではありません。攻撃的側面がある一方で仲間を大切にします」
「そうじゃなくて、自分が食べつくされるとは思わないんですか?」
「ああ、それはないよ。だって食べきってしまったら次があるか分からないでしょう? 生かしておけばまた食べられる。俺もしばらく隠れていなくてはいけないし、好都合だったんだよ。牛や豚と同じさ」
イリスは傷が塞がったのを確認して部屋の隅に戻りお絵描きを始めた。次の一手のための準備を進めるために。設計をするのに必要な物は小屋にすべてそろっている。最低限、紙とペンがあればいいが、なければ板の廃材と炭があればいい。
「その絵は何ですか?」
「これはロケットだよ」
「ろけ?」
「ロケット。人生で一番楽しいのが何か分かる? 僕は神様が決めたルールを逸脱することにあると思うんだ。人間は空を飛べないし、何日も海に潜ってはいられない。宇宙に行くこともできないし、別の星に行くこともできない。その理を書き換える力がこの設計にはあるんだ。でも、目新しい技術はいつしか当たり前となり、人間は飽きる。傲慢になると言ってもいいかもしれない。人間を驚かせるにはもっと先に行かないといけない」
「人間? 人間を助けるの?」
奴隷は人間という言葉に反応して、小さなナイフを構えた。優しい神様が人間の世界に行くというのが我慢ならなかったのだ。行かせないためならばその足を切り落とし、腕を折ってでもここにいさせる覚悟だった。
「ん? ああ、そう思うよね。僕のいう人間には君たちも含まれるんだ。肌の色とか毛色とか目の色で区別するのは良くないと思っていて、解放したいと思っている。そのために設計をしている。少なくとも今は」
「解放というのは、殺すということですか……?」
「違う。自由に仕事をして、お腹一杯ご飯を食べて、好きな人と結婚できるようにするという事だよ」
それを聞いた奴隷はイリスのすぐそばに駆け寄って肩に頭を乗せた。必死に気に入られようと擦り寄ったのだ。喉をグルグルと鳴らして耳元で息をする。
イリスは肩を回して「重い」と一言言ったが、奴隷はそれっきり離れなくなった。
朝になってイリスは小屋の外に連れ出された。奴隷と同じ服を着させられ、奴隷達に回りを取り囲まれる形で大きな家へと入った。
イリスは建物の中に入るとすぐに被りを振って人の姿を探った。イリスは学校の入試で教官を殺したため、その復讐のために出されたトラッカーに引き出されると思ったのだった。トラッカーとは追跡専門の役職で、主に森で遭難した子供の捜索に使われる。足跡や折れた枝から行き先を推測し見つけ出すプロだ。
あちこち見渡して人の姿がないと分かると玄関でイリスは奴隷達に質問した。
「どうして連れ出したんですか?」
「会ってほしい人がいます」
この村に来た時、イリスは沢山の人の訪問を受けた。小さな小屋に背中の曲がった老婆までもが杖を突いてやってきたのだ。それだけの人が来たと思ったからだ。歩くのが困難な人までもが必死に来たということだ。
ではなぜ、イリスを呼んだのか。それは相手が自由に出歩けないことを意味していた。
時間が惜しいと言われ、すぐさま地下に案内された。そこには檻があって、人のような影が中でうごめいていた。あれが呼ばれた原因だ。それは子供だった。なぜこの村の住民は子供を檻に入れているのか。逃げないようにする事だけは徹底されていて、足首と手首には切った跡があった。
イリスはすぐに駆け寄ると檻の格子にしがみついてそれを見た。そこにいた子供は手足に黒い斑点ができ、自分の腕を何度も噛んでいた。死のうとしているのだ。手首を噛んで動脈を切ろうとしている。
「君は死にたいの?」
頭の上からかかった言葉にびくりと肩を震わせた少女は、暗い檻の中で誰が話しかけてきたのかを見た。そして叫び出した。そこにいたのは憎い人間だったのだ。自分を檻に押し込め、排泄物の掃除もせず、水も満足に与えられない。腐った食事から得られるわずかな水分だけで生きながらえさせるようなやり方が少女を壊していた。
少女は叫び終わるとすぐに狭い檻の中を右往左往し始めた。まるで檻から逃げる方法を探すように狭い檻の中をぐるぐると回るのだ。しかし出られない。檻は丈夫な鉄でできていて、右にも左にも出口は無かった。だからぐるぐるとその場で回っている。
イリスは思わず顔を顰め数分も見ていられなかった。檻の下では排泄物と抜けた髪の毛が蓄積して酷い臭いを発している。檻の中の少女は明らかに病気だった。腕を自分で噛んでいるのは自分が腐って行っていることが分かっているためだった。不衛生な環境で傷口から入ったばい菌が正常な細胞を犯し、いわゆる破傷風のような症状を見せていた。黒い斑点はそのために出来ていた。
すぐにその場でイリスは自らをペニシリンであると思った。ペニシリンとは人間が作り出した薬の中で特に優れた効能を持つ薬品で、破傷風菌がそれ以上体内で増殖するのを防ぐ効果が期待できる物だった。それを帯びた手を檻の中に入れる。
すると少女は狂ったように噛みついた。イリスは爪で口内を刺し、ペニシリンを注入した。すぐに効果が出るとは思えず、少し多めに入れた。ゆっくりと小さな体に新たなる薬が流された。
物を噛んだことで幾分か落ち着いた少女を見て、イリスは初めて肩の力を抜いた。落ち着いて見渡すと、檻の中にはもう一人いた。しかしそれは檻の端で穴の開いたボロぞうきんのような状態になり果てていた。少女が仲間を食べたのだろうか。狭い環境での多頭飼育によるストレスがカニバリズムを引き起こすことは珍しくない。ここの人間は死体を片付けもしていなかった。
投薬が終わった時、イリスは自分の腕をケーキに変えた。手首を噛みつかれていたため檻から抜くことができず、トカゲのしっぽ切りのように切り落とした形だ。
それを口に含んだ瞬間から少女の表情に変化が訪れた。自らの口に手を突っ込み口に何が入っているのかを確かめるために何度も出し入れしている。それがあまりにも美味しかったからだ。少女は汚らしい床に落ちた腕のかけらも必死にこそぎ落とすようにして食べている。
腕が元通りになるとイリスは檻の格子に手を付いて指先を切った。指先からは白い物が漏れ、ゆっくりと格子を伝っている。
少女は急いで鉄柵を根元から舐めるようにそれを口に含んだ。それは強烈に甘い練乳だった。それがイリスの指先から漏れていることを知ると母のお乳をねだる仔犬のように必死に吸いついた。
「薬が効くまで時間がかかります。今すぐというならば魔法もありますが、この家の住人が気が付く。檻から出すにしても今は徐々に体力を付けなくてはいけません。明日また来ましょう」
少女の口から指を抜こうとした時、イリスの指の皮が少女に食いちぎられてしまった。少女はまだ満足できなくて、お乳の出が悪い母を責めるように何度も何度も鉄格子を叩いていた。
なんかめっちゃよくないですか? 小説の書き方が少しわかった気がします。