砂糖菓子みたいに
聞け!!聞け!!神が蘇る!!
奴隷達の興奮をよそに、イリスは小屋を抜け出し、大変な嗚咽交じりで口の中の物を吐き出した。
それは黄色い気体である。
ニンニクのような刺激臭。世界で使用が禁じられた兵器。それはとても人道的な物とは程遠い。
その名前をマスタードガスという。
一般的に毒ガスはガスマスクを付けることでf防ぐことができる。しかし、このマスタードガスはその範疇に無い。その理由は、ゴムを溶かす特性にあった。ガスマスクの主な原料はゴムである。それを溶かすためガスマスクでは防げない。
さらに、その効果は目に見えて分かる物であった。例え死ななくても多くの後遺症が残る。もしこれを浴びて生き残ったらどんな聖人だって死を望む。そう言う物だ。人が人の形を失う。体が溶けるのだ。
イリスはそれを息を吐くたびにこの世に生み出し続けた。
「誰も近づくな!!離れてろ!!」
イリスは自分の体を何か他の物に変えようと思った。混乱する頭で、一番ガスとかけ離れたものになろうと必死に考えた。
思い浮かんだのはクリスマスケーキ。真っ白なケーキの上に赤いいちごが乗っているやつ。甘いスポンジケーキとホイップクリームの匂い。蝋燭の柔らかい煌めき。皆の笑顔と、切り分けるケーキの大きさで揉める子供達。
イリスの体は柔らかくなった。焼き立てのケーキの甘い匂いが立ち上り、奴隷達の鼻をくすぐった。
奴隷達は慢性的な栄養失調のため、服の下はあばら骨が浮いている。対して腹には水が溜まり、ボールのように膨れていて、棒のような足に乗る鉄球のようだった。
我慢しろというのが無理な話だ。
イリスの体を口に運んでしまったのは、間違いだった。その甘さ控えめの日本基準、駅前のいちごショートケーキはこの異世界では甘美な毒だった。
人生で初めて甘いものを食べた人がどうなるか想像できるだろうか。
甘未というのは脳が刺激される。それは一グラム当たりのカロリーが飛びぬけて大きく、本能的に良いものだと理解できる。加えて、脳からは幸せと快楽とを司る物質が放出され、天国にいるような気分になる。
そして恐ろしいことに、砂糖には麻薬のヘロインを遥かに凌ぐ依存性がある。
イリスの体は骨の髄までケーキで出来ていた。内臓は新鮮な果物の入ったジャム、骨は砂糖菓子だった。ケーキの上にいるサンタみたいな触感で、奴隷達は競い合って嘗め回した。
指の間から零れ落ちたクリームが地面に垂れればそれを四つん這いになって貪り、誰かが少しでも多くとろうとすれば、女子供関係なく蹴り飛ばした。
家族同然の奴隷が、である。子供からケーキを奪うために全力で頭を殴りつける大人まであった。
50キロほどの人間そのままのケーキは、栄養失調の奴隷14人によって残らず消えていた。
ただ一つ、頭だけを残して、皆お腹に消えてしまった。