薄暗い納屋のなかで
イリスは死体を引きずりながら思った。
どうしてこんなに太っているのだろう。
人間にはエネルギーを蓄える習性がある。特に、運動不足の人に肥満が見られるのだけれど、この世界はそんなに甘くはない。大金を稼げるのは大抵力仕事で、みんながやりたくないような仕事である。必然的に体が鍛えられて贅肉が落ちるはずなのだが、門番の男は太っていた。
名のある家の子供だったのだろうか。
あるいは、親が富豪か。
よくよく思えば自分もこうなる未来があったのだなとイリスがしみじみとしていると、首に縄紐をつけた奴隷が走ってきた。
グローイング家の商品ではない。少なくとも、グローイング家の直属の販売店では今現在、縄を奴隷の首につけたりしない。縄は丈夫で縛りやすく重宝するが、一方で切られやすいからだ。
この町にも奴隷がいるのか。
奴隷はイリスの顔を見て踵を返して走り去る。イリスは人見知りで極力部屋から出ないため、まさか顔が知られているとは思わず、死体を見られたのだと考えた。
問題は、死体を見慣れていない人間が、ナイフで切られた死体を見てしまったことだった。相当なショックに違いない。さらにイリスは隠しやすいように被害者の関節を外していた。
「あ、あ」
「あ、少年まだいたのか。君は家に帰りなさい。見たことを言ってはいけないよ。君の家族が不幸な事故に合うかもしれない」
イリスは人の心がわからないため、嘘をつくのが下手だった。相手を騙そうとする結果、その言葉はあまりにも薄っぺらになるのだ。だからいつも本当のことしか言わない。
生まれつきそうなのだ。イリスにとっては、老人の命も女性の命も皆等しい。もちろん奴隷も同じ。簡単に壊れる、増殖するもの、なのだ。
「神様が来てる!!」と奴隷が叫んだ。
「神様ではないよ」
「なんでここにいるんですか」
見知らぬ奴隷はイリスに一礼すると着ていた服を脱ぎ、差し出した。
貢ぎ物が始まる。奴隷たちは臭い汚いと罵られて生きているのに、その薄汚れた服をイリスはありがとうと言って着る。
イリスと長い付き合いとなっているオーロラがここにいれば、奴隷たちに説明することができた。だが、いない。
イリスの疑うことを知らないような行動に奴隷たちはひどく混乱する。
差し出される食べ物が、どんなに質が悪くともイリスは迷わず口に運ぶのだった。これが『汚い奴隷なんかが素手で触った食い物など食えるか!』と言われて育った者達ならどう思うか。
奴隷が持っていたものをなぜこの人間は平気な顔をして食べるのだろうと皆不思議だった。毒でも入れられていたらどうするつもりなのか。
イリスはお腹がパンパンになると案内された納屋のなかでごろりと横になって眠ってしまった。
まるで子供みたいに。
その美しいゴールドの髪の毛は、幾人もの奴隷を虜にし、同時に、自分の物を触らせるにいたる。なぜああまで違うのだろうと奴隷たちは思っていた。
そして、イリスが神様と呼ばれる由縁を見る。
眠ってしまった細い指筋に波が立ったかと思うと、黒い毛が腕を包んだ。
頭の上にちょこんと乗った耳は、狼の耳。この町の奴隷は、神様には人と奴隷、二つの姿があるのだと知った。