学校へ
ロケットの開発をはじめて数日、珍しく父が俺の部屋を訪れた。
ここ最近、少年の隠された能力を知った父は彼を腫れ物を触るように避けていた。
事実、父も少年と同じように奴隷に接したが帰ってきたのは暴力だったからだ。
父は少年の持つ設計の力以上に、人を引き付ける能力が欲しかった。
「お前、学校に行け」
「は?」
「金は家が出すから一番良いところにいって勉強してこい」
「はああ?」
少年は何を言っているのか分からなかった。この世界には平方根すらなく、計算はかなり遅れている。それがロケット開発にも大きな影を残しているというのに学校に行けという。
少年は学校で教えてくれる知識に興味がなかった。
「お父様。学校に行く意味はなんですか?」
「お前は命の大切さを知らなすぎる。だから勉強してこい」
「はぁ」
実際少年は知らなかった。死体を見ても、乾電池の切れたおもちゃと同じくらいの衝撃しか受けていなかった。
そもそも、人とおもちゃの違いが良く分かっていなかった。どちらも大切で飽きたら捨てる存在――そういう認識だ。
「これからお前はでかいことをするんだろ? そのままでどうする。愛してくれた人を傷つけることになるぞ」
少年は頭を抱えた。少年の苦手とするものに人間関係がある。少年はその生まれもった性質により感情がわからない。だからこそ、時々ひどく人を傷つける。でもその理由が分からない。
唯一の親友は、『お前は人の懐を土足で踏み荒らすような奴だ』と表現したくらいだ。
だが、そういう人物が人の心を掴んでしまうのも事実。
おかしなことに、化け物は遠くから見る分には娯楽となり得る。誰も動物園の虎を見て自分が食い殺されることを想像せず、その美しさに見とれるがごとくだ。
「お前の部屋は心配するな。この父がちゃんと居座って誰も入れないようにしておく。服だって誰の好きにもさせない」
父は、少年の留守を狙ってその人を引き付ける秘密を暴こうと考えた。そのために学校はできるだけ遠く、それも全寮制のきつい学校を選択している。そこはトイレさえ許可をもらわなければ行けないという監獄のような場所だった。
「それで、ぼくはどこの学校に行くのですか?」
「陸軍第14士官学校だ」
「は?」
言っている意味がわからない。
「なに心配はいらない。奴隷をつけるからな。なんでも言うことを聞く奴だぞ」
父は、その言葉の通り道で拾った亜人の子供を奴隷に落として少年に与えた。
何もないところから会社を起こした父らしい教育と言えばそうだが、実際は『お前は勝手にやれ』という意思表示だった。
だが、少年にも問題があり、そういう嫌みのような押し付けが全く通用しないタイプの人間だった。なにしろ相手が何を考えているのか分からないのだ。むしろ旅の仲間ができたと喜んだ。
学校に向かう馬車の中でも設計を続け、その横暴な揺れに三半規管をやられた少年はゲロをぶちまけて何度も馬車を止めなければならなかった。
設計をする環境としては最悪である。窓から得る景色もどこまでも続く田舎道。石だらけの道はどこまでも続く。遠くに見えた青い霊山は、誰かの墓標に見えた。ここは地獄か。
「あの部屋でよかったのに」
旅で許せないことは数多あるが、その中でも特に酷いのは食事である。最初の二食ばかりソーセージが出たが、それ以上は続かず、ボソボソとしたパンと生臭い水だけが食事であった。
なんだこのパン。異世界の残念パンという名前がふさわしいパン。漆喰の壁をかじっている気分になり、一瞬にして口の中の水分を持っていく。それをなんとか臭い水で流し込むような食事は、心に来るものがあった。
あまりにも嫌すぎてぼーっと回りを見ると同じく糞みたいなパンを支給された奴隷と目が合った。
少年はその不味すぎるパンを思って食べたくないよなと思った。そりゃ奴隷でも食べたくないさ。だが、話題に困った少年は聞いた。
「食べないの?」
「食べて良いんですか?」
「うんいいよ。食べられたらね」
奴隷は口に押し込むようにして必死にパンにかぶりついた。涙まで流し、押し込んだパンに噎せながらなんとか飲み込もうと喉を動かした。その様子が首の中で蛇でものたうっているようで不気味である。
よほどお腹が空いているらしい。少年は自分が食べのこしたパンを手に奴隷の顔先まで近づけた。ごくり、と奴隷が生唾を飲む。
「たべる?」
手にすがり付くようにしてパンを接種する奴隷は、粉々になったパンを求め、必死に少年の指先までベロベロとなめた。それでも飽きたらず、指先から根本まであまがみするようにし、口から熱い息を溢す。
「ご、ごめん、それしかないんだ」
少年は笑ってしまった。その薄汚い子供が犬や猫のように必死な様が可愛らしく映った。少年は子供の頃を思い出し顔をくしゃりとした。少年は昔猫を飼っていた。何匹かいた歴代の中でもっとも人になついた子は、その奴隷と同じ白い毛並みをした猫で、猫風邪にやられ、目が落ち窪んでいた。体もボロボロで人間にいじめられたのではないかと思った。猫と猫の喧嘩で足がつぶれるような怪我はしない。誰か人間が遊び半分で潰したのだ。それなのに、人間が大好きで、それでも怖くて、人間にすり寄るのに手からはご飯を食べない。少年はよく、その野良猫が他の猫に餌を横取りされぬよう、猫の手先に直接ペースト状のキャットフードを塗りつけていた。
様々な偶然が重なってその猫を飼うことになった時、その猫は少年のしたことをちゃんと覚えていた。家族の誰よりも少年を愛した。誰かの膝の上に丸まっていても、少年の声、匂いがすればそちらによって行く。指先を見ればお乳がでると思ってしゃぶった。
その子に良くにている。結局その猫はイエネコとなった3ヵ月後に寄生虫を吐いて死んだのでその甘えっプリも合間って記憶に強く残っていた。その幸せ薄く、一部の人間にしか気を許さない態度が少年はとても気に入った。
「ついたらさ、お風呂入ろうか」
「う……臭い、ですか?」
奴隷は自分の体を嗅いで確かめた。
本当に動物みたいなやつだなと少年は思った。
「大丈夫。みんな臭くなるから。生きてればそうなる」
結局学校には予定よりも数時間遅れで到着した。この国の馬車事情と道路状況を考慮すればそれは珍しくない。それを示すように入学会場には入学者が8人しかになかった。
父いわく、手続きは済ませてある。とのことだったが、受付にて入学試験があることを告げられる。
手違いか、とも思ったが駄々をこねるのも恥ずかしい。既に後ろには次の入学者が並んでいたし、数学に関しては他の誰にも負けるつもりはなかったため粛々とそれに応じた。
会場は粗末な小屋だった。壁もなければドアもない。天井を柱が支えているだけのようなあばら家で、とても大々的な感じがするような建物ではない。中にはなぜか後ろ手に縛られ、目隠しをされた男がいた。強制的に正座をさせられているような感じがする。そこに奴隷を伴って現れたのは少年だけだった。
すかさず面接官とおぼしき男が目配せして奴隷を引き剥がされる。一瞬、「いや!」と反応したシロ(現在命名)だったが、身長180センチほどの男に引きずられていった。体格さがすさまじいにも関わらず、ほんの少し抵抗できたのは評価に値する。
「諸君。この学校は金を払えば入学できるというようなところではない。諸君には冷酷な才能が求められる。それを示したものだけがこの門を潜れるのだ」
試験管が顎をしゃくると目隠しをされた男が引きずられて前まで出てきた。何か薬物を使われているのか、男からは反抗する意思が感じられない。
試験官は懐から刃渡り30cmほどのナイフを取り出すと机に突き立てて言った。
「この男は敵だ!我が国の女を犯しているときに捕まえた!傍らには赤子が頭を砕かれ転がっており、同じく殺したとこの男が供述した!これは犯罪行為である!そのため、これを処刑するがそれを諸君らにやってもらう!首を切れ!」
8人全員がピクリとも動かなかった。内7人は言っていることの恐ろしさに恐怖して、残り1人はその試験をするには他にも犠牲者が必要ではないかと考えて固まっていた。
「誰かいないのか!全員不合格になるぞ!」
試験官は声を張り上げたが、これは試験のうちだった。勿論金持ちのひよっこが人を殺せるなんてこれっぽっちも思っていない。この試験の目的は、人を殺すことに荷担することを意識させることにあった。通年通してやってのけたのはただの一人もおらず、ナイフを手にするものさえ数人。元よりそういうテストだ。
しかしその日は違った。小柄な少年が前に進み出てきた。
「どうした? 帰るのか?」
「ナイフを貸してください」
少年はナイフを借りると指先でその鋭さを確認した。その動作は、長年猟を営んだ猟師のように見えため、試験官は動作に見とれて、殺るなと言うのを忘れた。
「はい。失礼しますよ」
そんな軽い口調でナイフが首を右から左に貫通した。少年はちょうど後ろから抱きつくようにして罪人の首を刺したのだった。
ブシュッと音が響いて地面に血が吹き出る。そこですかさずナイフを激しく前後させ、喉仏と気管を一度に断ち切る。
同じく試験を受けていた入学希望者が悲鳴を上げた。
犠牲者は最後の抵抗か、痙攣のような動作で手足をばたつかせたが、少年はそれを体重をかけて押さえ込むと、ぐるりと一周首の肉を切った。最後に一番太い脛椎を繋ぐ軟骨に軽くナイフを当てて峰を叩き、食い込ませ、頭を抱きすくめて捻って首を立ちきった。
押さえつけた胴体からはまだ血が吹き出ている。しかし痙攣は止まっていた。
少年は試験官に首を見せるとさらに断面を見せ、切り口がいかに綺麗かを説明した。最後に犠牲者の背中で組まれた腕の中に首をおき、席に戻る。
さすがに隣で見ていた教官達は慣れている。取りだした水筒から水を流して少年の手にかけてくれた。勿論少年は最初にナイフを洗う。血は良く錆びる。素晴らしい切れ味のナイフを借りたからには、借りたときよりも綺麗にして返すのが筋だ。
こうして少年はわずか数分にして同席していた戦闘経験のある教官四人を夢中にしてしまった。恐怖も興奮もなく、ただ淡々と仕事をこなす姿は、彼らにも通じるものがあった。道具を大事にするのも良かった。一つ異常なほど若いという点を除いて、経験者は少年を認めていた。