銀の葉巻は空を飛ぶ
奇跡でも起きなければ、この鉄の船は飛ばないと言われた。あの技術力=力のドワーフに。
「正確にはアルミニウムと新型のジェラルミンでできていて、13の隔壁と42638枚の装甲板で守られた硬式飛行船で横からの形は葉巻型。父は、こいつを物見遊覧の目玉にしようと考えているけれど、それは悪手と言わざるをえない」
「そ、それはどうしてかな?」父は、怪訝そうな顔で俺を見て絞り出すように言葉を紡いだ。
「父さん。変な敬語を使うと底が知れますよ。良いですか。こいつは一つのフレームごとに24の穴が開いていて極限まで軽量化されているんです。もし、ドワーフ技師の女房が俺の魔法で甦らなかったら、彼は自分の指が3ミリも短くなるような仕事をしなかったし、そもそもドワーフが人間を騙そうと銀の代替としてアルミニウムを開発しなければこの船は存在しなかった。もし俺がここにいなければ、塩水を電解すると酸素と水素に別れることも知らなかったし、空気よりも軽い気体が存在することも知り得なかった。いいですか。この世界はこの船を飛ばすために今、総力を結集している。飛ばない方が奇跡なのです」
目の前に広がるのは、銀の飛行船。現代日本で飛ぶようなオモチャじゃないぞ。軍隊が個別兵士の給料を削ってまで欲しがる極上の空とぶ手段だ。
しかもそれは既に浮いている。
みんなそれに気がつかないのはパンパンに膨れ上がったバルーンが(実際には硬式なのでフレームなのだが)目の前を埋め尽くしているからだった。そもそも飛行船は300メートルもあって、この世界にあるいかなる建物よりも大きく、正確だった。
それゆえに、化け物さが際立つ。
史実ではこれを都市の爆撃に使用した際には、爆弾の被害よりも人々のパニックによる被害の方が大きかった。
その雄大さは敵国の国王が是非にと寄港を希望するほどだった。
ゴムが手に入らなかったため、バルーンは動物の皮で作成を依頼したが、お陰でこの町からホームレスが根こそぎいなくなる奇跡が起きた。
この世界にはまだミシンが存在せず、ガスが漏れないよう均一な細かい縫い目を縫えるのは大きさが40ミリしかない子供の手だけだった。
実に結果よろしい。みんな飢えなくなったし、食事の需要が高まって町の外からも人々は押し寄せた。
飛行船を隠す工場から青い空が見える。
動物の皮で作ったピンク色の風船は真上にスーッと浮かび上がった。
本日は初の試験飛行の日。
そもそもこの飛行船は商業目的での使用が前提にあるため、大々的に宣伝された。結果、砂浜から山まで人が埋め尽くしているのだった。
その中を、奴隷が綱を引っ張って飛行船を引っ張り出したので笑いが起きた。
「空とぶ船を見に来たのに、人が引っ張っているではないか」
「これではとんだ笑いの種だ。いったいいくらかけたのか」
そんな陰口はどうでも良いんです。ええ。もう、浮いているんですから。
綱で引っ張るのは、実は大変そうに見えるが既に重力から解放されている飛行船に摩擦はない。慣性でその場にとどまり続けようとするが、それさえ越えてしまえばあとはかってに進み続ける。
これを止めるための綱だ。
船体が地面へ接触しないよう細心の注意を払って係留する。その綱の数は120本。これは同時に飛ばないための重りでもある。
正に巨人を地に止めておくための鎖なのだ。
「エンジン始動!!」
6リッターv12エンジンが4機火を吹いた。これは仕様で、始動時は最も多くの力を必要とするためキャブレータと燃料コックを全開にして強制的に燃料を食わせる結果なのだ。
しかし見物人はそもそもエンジンを見たことがない。そのマフラーも通さない爆音に驚き尻餅をついた。
しかしこれで終わりではない。まだエンジンをかけただけ。問題はここからでエンジンの回転をプロペラへと繋げなければならない。これが最も大変で、言うならば高速で回転している針に糸を通せと言う話だった。
「コンタクト!」
ブルンブルンとプロペラは回転し始め、飛行船を大きく前進させた。既に係留用の綱を引きちぎる力を見せていた。
「できるもんだね!」
「あったり前ですよ!」とドワーフの主任技師は頷いたが、彼自信うまくいくと思っていなかったようで貧乏ゆすりが止まらない。
色々あったが、ついに飛行の条件は揃った。
遥か上空では先にあげた観測用の風船が南から北へと進路を変えた。
上空には北へと吹く突風があるのである。
本日の試験はそこまで乗ると言うものであった。
俺は勿論乗船するし、なんなら父までも乗ると言って聞かなかった。
誰も初めてがいい。人は今日初めて自分の力で空を飛ぶのだ。ちょっと違うけど、技術力も人間の力のうちだから間違ってないよね?
洞窟で子供を楽しませようと葦を鳴らして見せた人間の祖先が、これまで何度も挫折しながら紡ぎ上げた知識の力だ。
ふわりと浮かび上がった銀翼の飛行船はグングンと高度を上げ、5分でパケ部族の上昇限界、300メートルを超える成績を叩き出した。
この高度から見える世界は、地上のものとは全く違う。
「地面は丸いのだな」
父は、現地民で初めてその事実を知った人になった。
実はこの初飛行にはもう一人要人がいたのだが、そちらはトップシークレットである。
その彼も、言葉を失ったようだった。
飛行船は浮かび上がるのに殆ど燃料を使わない。エンジンが必要なのは風上に向かって進むとき。実は飛行船はとんでもなく効率の良い飛行手段だ。