化け物の恋
数人のドワーフ族捕虜に聞き取りを行った結果、少年は重要な情報を耳にした。
戦士は職業軍人であるとのこと。武器を作る職人は彼らとは別であり、有事の際に矢がなくなることを防いでいるとのこと。
これはよかった。なぜなら欲しいのはドワーフの技術であり、戦略物質であるところのアルミニウムだったのだから。
少年は一貫して平和的な交渉を求めていた。そのために矢が飛び込んで来る戦場で身をさらしてまで『説得』を行ったのだった。
それなのに、なのに、だ。戦艦『貴婦人』の後部甲板、通常集会などを行う10㎡ほどのスペースに縛り付けられていた肉の塊が解き放たれた。
その肉塊は、足が14本、腕が30本もある。足は人の物もあれば馬の足、溶けた飴のようになったものもあった。
その肉から延びる頭は人とも犬ともとれぬ不気味さで僅かに目を細めた。
「ああ、うれしや。やっとできる、恩返し」
どっぷんと音をたてて海へと落ちた肉の塊が海のなかを凄まじいスピードで泳ぎ、岬の先端によじ登る。
身体中から水が吹き出し、苦悶に歪められた幾人もの顔が皮の内側に浮かんだ。
「おい行っちまったよ。誰か止めろ!」
少年はベスの甲板の上を走って艦首まで急いだ。そこが一番その化け物に近かった。
「ころすなー!!」
「はい」
巨大な首をもたげて器用に頷いて見せた化け物は、足元に駆け寄ってくるドワーフの戦士を叩いた。
プチっという擬音が全く正しく、ドワーフは自慢の鋼の鎧ごとペチャンコに潰されてしまった。
「わたくしは、虫を殺してしまったようですね」
「いや!違う!!暴れるな!!」
「はい。そのとおりに」
身を嬉しそうに震わせた化け物は嬉々として陸の方に向かっていった。
もはやそれは最初の村に表れた裏ボスであった。沢山の足を手を、ムカデのように動かして進む姿はベスの上の船員をも震え上がらせる。
「誰もあいつを撃つなよ!!絶対に撃つなよ!!」
化け物のぽっかりと開いた口のなかに金色に輝く牙がずらりと並んでいた。
指が何本もくっついてできた醜い両腕が、逃げるドワーフを捕まえて頭から食べてしまった。
少年はベスの装甲板に身を委ねるようにしてずるずると尻餅をついた。
「あ、あれはなんですか?」船員は心配そうに化け物を指差した。
「あれは、化け物ちゃんと言いまして、我が家にすんでいる人です」
「でも、人の形をしていない!」
「そういう呪いにかかっているんです」
「……」
ややあって、船員の足を水が伝った。失禁していた。
少年はもう一度ドワーフの方を見た。
陸の方はなにも見えない……いや、暗が人だかりを包んでいる。その何者をも飲み込んでしまいそうな闇に少年はぞくりとした。
化け物が身を震わせて前進した。
少年は思わず目をそらした。
ドワーフは最後の力を振り絞って槍を構え、剣を振り上げていた。
巨大な肉を刃が切り裂く。
「カユイ、カユ、イナ」
そのとき、巨体が大きく揺れて仰向けに倒れた。
「魔法を広域で使う!!」
少年は叫ぶと足元に青い円が広がった。
青く輝く円は少年を中心にしてぎゅんと拡大していく。
やがてその光に包まれた化け物はにんまりとした笑顔を少年へと向け、その人とも動物ともとれない顔で、物欲しげな表情をし、元来た道を戻った。
「おかしい。人の言うことを聞かない人が帰ってくるはずない」
少年の体は狼の物へと変わっていた。
とぼとぼと甲板の上を歩く。
甲板からは負傷者を治療するための部屋まで直通できるようになっていた。
背が高くなった少年はそこから怪我をした船員が嘘みたいに回復しているのを見た。火傷を負った者も、赤ん坊のように美しい肌を手に入れていた。
彼らは痛みから解放されたのに、その狼への態度はよそよそしかった。
「悪かったですね。話してませんでしたがこんな姿も持っているんです」
「あの!」
駆け寄ってくる船員の足が、すくんで止まった。
巨大な黒い狼は、人などまるのみにできそうなほど大きな口を持っている。
だけれど、その目に宿した色だけはけっして攻撃を好んでいる物ではなかった。
狼は隠れるように後部へと向かった。
「わっ!」
驚き、狼は思わず声を出してしまった。
そこにはすでに化け物ちゃんが戻ってきていた。
腐れ、溶けた皮膚と不気味に生えた腕。興奮した犬のようにはあはあと出された舌。
完璧な化け物だった。しかし、狼をさらに驚かせたのはその化け物がとった行動だった。
化け物は大きな頭をもたげてべっとりと狼にすり寄った。
赤く染まった化け物の手は先程とうってかわって壊れ物を抱くように少年に触れた。
だけどその体は、先程受けた傷も自らの血液も出ていない。
化け物は愛する自分の子供のように、黒い狼を抱き抱えていた。
「まだ、人として見てくれるのですね。ああ、うれしや。わたくしの、かわいいかわいい常闇。もう二度と……」