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それはまるで氷が解けるように


 屋敷の前の道には、大勢の人間が詰めかけた。その多くは、食べ物や贈り物をかごに入れ、粗末な身なりで吹き晒しの寒空の下に立っていた。例え道行く馬車から馬用の鞭で叩かれても彼らは動くことが無かった。


 贈り物と一緒に彼らがつれていたのは、愛した人の亡骸だった。


 屋敷に詰め掛けていたのは、みんな奴隷か、奴隷から自分を買いなおしたばかりの貧しい人間ばかりだった。


 父の命令は奴隷達には届かなかったのだ。

 自分の家族だけ、親しい友だけ。そういう約束がいつのまにか大きな噂になっていた。


「見てよオーロラ。僕が無駄なことをしなければ、みんなは鞭で打たれることもなかった」

「聖典には、『一人の命を救うことができる者だけが、全員の命を救う』と記されております」

「ぼくはね、死体を動かしただけにすぎない。その死体は僕の命令など聞かず、足をよじ登ろうと……」


 俺の声は恐怖に震えていた。視界が滲み熱い涙が頬を伝う。


「うううう」

「今はゆっくりなさってください。みんな分かっていますから」


 柔らかいオーロラの胸の中で俺は赤子のように泣いた。何も考えたくなかった。


 俺は魔法なんて使いたくないと確かに言ったんだ。でも父は『お前のために金をかけて用意したんだぞ!』って。やるしかないじゃないか。

 怖かったので、最初はこの部屋いっぱいの穴を考えた。いきなり小さな穴で試せば、簡単に壊れると俺だって分かっていた。


 それでも小さすぎたのだ。

 傷を塞ぐようにイメージした魔法は、あまりにも強すぎた。鶏はまるで電気を流された蛙のように足をばたつかせていた。

 偽りの魂を授けてしまった。


 どんなに苦しかっただろうか。どんなに寂しかったか俺には想像もできない。その肉体には頭が無かったのだから。


「オーロラ、僕、もうだめだ」


 ペチンと頬を叩かれた。

 何を?

 人にはたかれたのはいつぶりか。大人になってから喧嘩という喧嘩もしていないので、それはあまりにも強烈に頭を揺さぶった。


「死んだら! 望んでも動かないんですよ!! 指がピクリと動くだけで家族はどれだけ嬉しいかあなたには分からないんですか!?」

「わかんないよ。家族の葬式でも涙は出なかったんだよ。僕は、僕はそういう」


 ペチン!!


「しっかりしなさい!!! ご飯を食べるのです!! お風呂に入りなさい!!! 早く寝なさい!!!」


 オーロラが初めて怒っている所を見せた。半分泣いて半分怒っているのは少し良く分からないが、なんとなく俺のことを思って言ってくれているような気がする。


「お肉食べられないよ」


 生き物が死ぬところは見ても大丈夫だった。前世でもね。それこそ、映画で人が無残に死ぬシーンを見ながら飯を食べてた。


 だが、切り落とされた血管や筋肉や腱が断面でミミズのようにのたうち回っているのでは話が違う。それはあまりにもリアルだった。


「おえええええええええ!!!」


 僕はぶちまけたが、オーロラは皿を掴んで手づかみで俺の口に食料を詰め込んだ。息ができなくなって手を叩いているのに、次はスープを鍋から直接ぶち込まれた。


 裸に剥かれ、強制的に熱い湯の入ったお風呂にぶち込まれる。優しくふかれた後お布団に投げられる。


 ただ今日は、自分と平行な位置にオーロラが横這いになり、白い翼い翼を広げて体を包んでくれた。

 まるでそれは卵を温める親鳥だ。


 薄暗い外からは、奴隷達を追い払おうと叫ぶ男達の怒声が聞こえる。

 俺は反射的に耳を手で塞いだ。


 ドクンドクンと心臓の音と、呼吸の音だけがゆっくりと聞こえる。


 オーロラの言葉が頭をよぎった。家族は死んだ者の指先がちょっと動くだけでもうれしいのだと。


 俺はニ度目の、魔法を使う。






 警官隊が奴隷たちに迫っていた。固く閉ざされた門は十人がかりで押してもびくともせず、その代わりに冷えた水を頭からかけられて、凍死しそうだ。

 面の布で巻いた娘の体は氷のように冷たく、墓地の土の匂いが染みついている。


 ただ一度、この手を取ってくれるのならばそれで良かった。


 それだけでいいのだ。多くは望まない。たったそれだけで全財産を捨ててもいい。そう思ってここに来た。


 一人、また一人と警官に掴まって道に押し倒され、警棒でタコ殴りにあっている。


 ここにいる者を全員捉えるまでそれを止めないつもりか、警官を何人も載せた黒い馬車がすぐ近くで止まった。



 その時だった。胸に抱いた娘の体が熱くなっていた。

 自分の体の熱をそう思ったのだ。

 娘は死んでいるはずなのだから。


 しかし爪の剥がれた小さな手は、私の手を確かに取ってゆっくりと握りしめた。


「あああああああああああああああ!!!!!!!」


 歓喜の悲鳴は同時に多方向から響いた。

 奇跡は、この夜、確かに起きた。


 布に包んだ遺体を隠すように運び出す者達は、すでに満面の笑みを顔に貼りつかせ、一斉に警官隊がいない方に駆けていった。


 間違いない。噂は本当だったのだ。


 私はその後を追うようにして暗い裏路地に姿を隠した。

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