甘美なる血液
少年は朝起きて設計してご飯食べて設計して寝るという最高の生活を送っている。
なんか前世と変わらない気もしないでも無いが、もともと好きなことを仕事にした業というのがあるので、こればっかりは仕方がない。
一日仕事して時給一万円だから8万円。さらに5時30分からは残業手当がつく。へますると人が死ぬこと以外最高の仕事だ。
前世に比べて良い点は、専属の世話係さんがいるので、孤独死しないという点である。
設計家は基本寝落ちするまで図面を描いているので、図面台が寝床というのが普通なのだが、今は毎日寝床まで運んでいただいている。
その運ぶ人の肌が冷たいために今日は目が覚めた。
背中に縫い傷のある人だ。ああ、もう少しうまく縫えたら傷も目立たなかったろうな。でも許してほしい。これでも頑張ったのだ。
魚の背中の上で揺られながら暗い戦艦に響く声を聞いた。
「あのガキふざけやがって。俺の家族は死んだ」
「しっ!そんなこと言うもんじゃない。どこで聞かれているか」
「知ったことか。俺の家は海の中に、あの爆発でやられたんだ。大体なんだこの船。人を殺すための物じゃないか。ドワーフを食い殺してまだ満足しない。世界を食い尽くすまで止まらないぞ」
うん。誰もがみんな新しいものを受け入れるわけではない。
歓迎するものもいれば、拒絶するものもいるのが普通だ。その影響力が強ければ強いほど反発するものは多い。最後は奴隷に殺されて死ぬだろうと少年は目を閉じた。
それも悪くはない。
世界から奴隷を無くす。そのために死ぬ。偽善だ。だが、誰かがやらなければならない。
ベッドの上に優しく下ろされた少年は部屋を出ようとする魚の手を握った。
「行かないで。もう少しだけ、いてもらえませんか?」
「……はい」
少年は枕元に座った魚の太ももの上に頭をおいて枕にし、逃げられないように腰に手を回した。
「君達にも膝があるんだ。癒着して一本になっているけれど、元々足だったんだ」
「何でもご存じですね」
「うん。ばらしたからね」
まるで何気無く、機械を分解したと報告するように少年は言った。
恐る恐るといった調子で魚は少年の髪を撫でる。
それは、とてもこそばゆく、身じろぎした少年はもっと強くと要求した。
「カミサマは、今いくつですか?」
「……忘れてしまいました。それから、実は神様ではないのです。こことは別の世界からやってきて、この体には二人いるのです」
女性に甘えたがる少年と、秘密を知りたい男とが同居しているのだと少年は伝えたかったが、どう説明していいか分からないので黙っていた。
「鉄や光を使って魂を作り出すと聞きましたが?」
「魂なんて無いと思っています。僕たちはそもそもそんなものは持っていなくて、脳みそが作り出した幻想にすぎないのではないか。そもそも自我とは存在しないもので、今まさに話しているのはなにか他の生き物なのではないか?と思っています」
少年は強かに魚の太股を噛んだ。
「痛い」
「だから僕は、痛みを、悲しみを信じているんだ。ごめんね。ごめんね。でもこれだけは信じられる。さあ、僕の指も噛んで」
少年の白くしなやかな指先は力仕事を全くしていないため白玉のように柔らかい。それでぷにぷにと口元を押された魚は本能にしたがってその指を噛んだ。
魚の歯は人間のそれとは違う。固い貝殻でも噛み砕けるように分厚く鋭利だった。歯は少年の指の骨まで達して止まった。
チュウチュウと鼻息荒く血を飲み下すのは魚にとって、これは甘いご褒美となった。
実際消耗しきった体は栄養価の高い血を文字通り甘いと感じる。
唇を赤く染め、喉元を熱く焼きながら胃袋へと入る血液を、魚は命の滴と呼んで何度もせがむようになった。朝が近づいてくるのに何度もだ。
止血をして脱脂綿を巻いているというのに、その上から唇ではむように刺激している様は、どこか小魚をあやす親のようでもある。
少年はその赤い唇を撫でながら眠る。目を細めた魚はその瞳に宿した光をまだ失っていなかった。
「もっとお話しして」
「君達はとても美しい。きっと設計者の手を離れ、自然が無駄な部分をこそぎおとしたのだろうね。」
「顔もありませんが」
「僕がいっているのは外見のことじゃないよ」
寝返りをうち、お腹の方に顔を向けた少年の顔を見て魚は息を飲む。
魚は迫害された記憶がある。人間は食べ物であり、自分達を蔑む生き物だ。
なのに。この少年はそういった感情が一切ない。ただ凪いだ海のように静かで、素晴らしきお姿であった。自分のものにしてしまいたいと心からそう思うほど。