魔法開花
グローレス家は国内最大の財閥である。
かつて農業界での人材不足を補うために始まった奴隷貿易は、今や強大な軍事需要と共にその裾野を広げていた。
亜人種の大きな耳は敵の無線の傍受に、馬よりも早い健脚は、無線も届かない孤立した部隊への伝令に。その需要はとどまるところを知らず、今や女子供の奴隷まで高値で取引されるようになっている。奴隷は高価だったが軍隊は湯水のように投入を続けているのだ。
奴隷を軍隊に卸しているグローレス家は、さながらひとつの国家のように山のような富と名声を増幅させていた。
そんなグローレス家に、今日は来客があった。腰の曲がった男は手の形に変形した醜い杖と、分厚い魔法の書を持っている。その男が特別なのは、つれている奴隷から明らかだ。
恋多い種族、ラビット。
頭の上に伸びる二本の耳は、まるで本物のウサギのように血が通い、その地獄耳は飼い主の寝床での呼び声をけして聞き逃さない。おおきく張り出した胸は、彼女が体勢を変えるたびに柔らかく形を変えた。身を包むシルクのドレスは、首もとで金具で止められ、おしりの部分にはピョンとたった尻尾が見えている。それは、彼女がそういった用途の奴隷だということを表していた。その種族の奴隷は貴重品で、一般の取引が禁止されている。それを連れ回しているのは強い顕示欲のため。
魔法使いはつぶれたカエルのような顔を笑顔に歪め、(本人は笑顔と思っている)醜悪な表情を浮かべて当主の前にかしづいた。
魔法使いに与えられた仕事はグローレス家の六歳になったご子息に魔法を教えること。そうでなければ、貴重なラビット種など魔法使いの手には入らない。それは前払いの報酬だった。
魔法は、魔法使いに教わるのが常である。それは優れた術師に学ぶほど、強い魔法に繋がり、将来は安定になるならだ。一方でなぜか高名な魔法使いほど不細工が多かった。
魔法使いは黒い指で少年の手をとり笑いかけかける。
「やあこんにちわ。君に魔法を教えに来たよぉ」
少年は黙っていた。
奴隷たちは浮き足だって少年の後を追う。彼が神の子、それも、この世界を救う存在と疑わない奴隷は、まるで自分のことのように緊張して手に汗を握る。
その赤くなった頬にはあるのは、そうであって欲しいという願いと、もしそうだったらこれからどうやって接すればいいのかという戸惑い。
閉ざされた扉の向こうに、首の切り落とされた鶏が運び込まれた。これより儀式が始まる。
魔法の儀式とは、死んで間もない鶏の首から漏れる血を止めると言うものだ。
簡単そうに聞こえるかもしれないが、これに挑んだ少年少女たちは皆、現実という壁にぶち当たる。そもそも、死んでいる生き物に魔法は効きにくい。死んだものは生き返らないという認識がある以上、死んだものの血は止まらない。血を止める意識を完成させることこそが、魔法習得への第一歩となるのだ。
そのために既に10羽もの鶏がこの日のために用意され、首が切られる順番を待っている。
シンと静まり返った廊下で奴隷たちは静かにその時を待っていた。
「できっこないさ」
「でもできたら? 神様の望んだ子だぞ」
「いやできないね。それは妄想だよ」
「もしかしたらって、事があるでしょ?」
部屋から強烈な青い光が漏れた。
一拍おいて中から悲鳴が上がる。奴隷たちが突入するのと入れ替わりに、部屋からは魔法使いが腰を曲げて出てきた。自身の腕を胸元に抱きながら、その目は虚ろに宙を泳いでいる。
「そ、そんなばかな……」
魔法使いの震えた腕は焼けただれていた。
それだけではない。部屋中のカーテンも壁紙も天井も、不気味な黄色の炎が包み込み、舐めるように揺らいでいた。
円を描くように丸く焼け残った中心で少年が泣いていた。
足元には首を切り落とされた鶏が、頭のない体を少年の細い足へと擦り付けるようにしてそこにいる。
それは動いていた。
鶏はまるで親鳥に甘える雛のように、少年の足にすがり付いていた。骨が断面から見えた首で。鳴くに鳴けないその首で。
羽は焼け落ち、肉の焼ける臭いが立ち込めている。
当主はその鶏をひっつかむと、床に叩きつけてこれを殺してしまった。
「誰もこの事を話すことを禁じる」
それはあってはならないことである。死体が生き返る。そんなことは魔法が生まれてから一度もなかった珍事だった。
その日の内に壁は塗り替えられ、家具はすべて新調された。
まるでなにも無かったかのように。




