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酒樽

 目の前を木片が飛び散った。


 一つ一つは鋭利な針のような形をしていて、何度もぶつかりながら四散し壁に突き刺さる。一番大きな破片が天井から降ってくるのを見てそれがこの部屋のドアだと少年は気がついた。


 見れば、ドアからは木の幹のように太い足が延びている。その太ももからこっちはほとんど獣のそれであり、黒々とした肉球の間から鎌のような鋭い爪が見えている。


 パキパキ音をたてて引き抜かれた足と代わりばんこに頬まで獣の皮膚を持った顔が姿を表した。


「なんだか、楽しそうなことになってるなぁ」

「ひぃ!!」


 怯えたメイドは部屋の反対側まで逃げ、そこに出口がないと知ると壁をかきむしった。


 そんな化け物がいるとは聞いていなかったのである。


 入り口からにゅっと入ってきたその女は身長がゆうに2メートルを越えるかという豪傑で、毛深い腕は棍棒のように太く、力強かった。


 ふーっと獣が威嚇するようにほほをつり上げると、その口から巨大な牙が見え、生々しいほどの殺意が覗いた。


「お、狼メイドさん久し振り」

「おまえなぁ」


 狼はゆっくりと腰を下ろして、少年の頭をぽんぽんと叩いた。それは親が子供を注意するときに良く似ている。


「誰でも信用しちゃなんねぇぞ。ああいう力のないやつが、一番とち狂うと厄介なんだぞ。自分の力量もわかってないから、回りに何がいるのかも分かってやしない」


 ダン!と床を踏み鳴らして威嚇をすると狼メイドは少年をひょいと担ぎ上げて自らの部屋に連れ込んだ。


 会社には序列があるように、メイドにもそれはある。狼メイドは一人部屋を宛がわれていた。ほかの平メイドが四人部屋で二段ベッドを使っているのに対して、これは破格の待遇だった。


 少年を干し草の匂いのするベッドにひょいと投げると狼メイドは椅子に腰かけてゆっくりと樽を仰いだ。


 中にはワインが入っていて僅かにブドウの甘い香りが部屋に漂う。


 この国では酒を飲むことは珍しくない。メイドの契約でもきちんと酒のことは明記されている。それは一人、1日当たり4リットル支給され、それでも足りない者は自分の給金で買い足すことのできるものだった。


 しばしば、飲み水が汚染されるこの世界で、酒は比較的安心して飲める飲料であり、泥酔すれば過酷な環境下でもすぐに眠りにつけることで大いに愛飲されているのだった。日本のものよりもアルコール度数は低い。


 何を思ったか、狼メイドは一度口に含んだそれを樽に戻して少年の前につきだした。


「悪いな。今日はもうそれしかねぇんだ。飲んで寝な」

「はい」


 少年は重い樽を持ち上げた。

 しかしそれをひょいと取り上げられる。


「それが油断しているというのだ。女に進められたものを進んで飲むな。疑ってかかれ」

「ただの女じゃないよ。信用できる人だもの。だって助けに来てくれたし」


 狼メイドは横目でじろりと少年を見た後、ごくりと酒をあおってベッドに体を投げた。


 少年はその衝撃に驚きながらも、そっと髪の上から彼女の耳を撫でる。


 毛足が長いので、ベルベットのようなさわり心地に、指先まですっぽりと埋まってしまう。

 香水でもつけているのか、ほんの少しワインとは違う甘い匂いを感じた。


 ちなみに狼メイドの尻付近ではふりふりと尻尾が振られている。


「おまえさ、工員が心配じゃないのか?」

「あれ、ずいぶん耳がいいね」


 狼娘は恥ずかしそうに枕に顔を埋めた。心配でしかたがないのだ。


「大丈夫だよ。父様はバカじゃない。無駄に殺すようなことはしないよ。それに、あの船には守り神がいるからね」

「守り神?」

「いや寄生虫というか……まあ、物凄く船に恋した人がいますからね。必ず捕まえるさ」

「ふーん。私より優秀か?」

「……妬いてるの?」


 狼メイドはじろりと大きな目を少年に向けた。その目は少し涙に潤んでいるようにもみえる。


「最近話もしてやしない」

「ごめん」

「船の方がだいじなんだ」

「そんなことないよ。君が大切だよ。君にしか靴は作っていないんだよ? これからも作るつもりはない」

「私だってな。つがいを見つけたら子供だってほしくなるんだぞ」

「え、み、みつけたの?」


 彼女の場合、それはまれな事例である。

 なぜなら、血が濃すぎてそんじゃそろこらには転がっていない。そもそもわが社が彼女を捕まえられたことこそが奇跡だ。


 捕まるような種族ではない。


 だからこの国にはほとんどいないと言っていいのではないだろうか。


「そいつは私には気がついてないみたいだ」

「それは、残念だね」

「ほんとにな」


 狼メイドは器用に足の指だけを使って布団を体にかけた。ずいぶん薄着だと思っていたが、それが彼女の寝巻きらしいとやっと少年は気がついた。


 今度は彼女の手が少年のプラチナブロンドの髪をなで、ゆっくりと深呼吸をして深い眠りへと落ちた。


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[一言] 船、船……守護者、と言うか取り憑いているモノ。 ──デイヴィ・ジョーンズ?
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