欲望の果実
体が戻らなくなった。きっと魔力を使いすぎたためだろう。
また魔法が使えるようになるまで、しばらく狼として過ごさねばならず、それは人の世界にいる時間においては呪いそのものだった。
隣人が動物に変わるのは恐怖そのものではないか。それも狼は肉食である。
問題は衣食住全般。
それなのに、父は俺に舞踏会にいけという。頭がおかしいのか。
不思議なことに、こんなときに限って緊急の来訪者があった。俺たちの乗っている戦艦は白く巨大なため、どこにいても帰ってきたことが分かってしまうのだった。秘匿性もあったものではないな。
「領主におかれましてはご機嫌麗しゅう」
「この姿を見てそれを言えるのか」
俺はワニのように大きな口を開いてノコギリのような歯を見せた。
機嫌がいいかって? 悪いさ。喉を伝う食い物はどれも粘土のように油臭く、虚しいだけだ。一方で血の滴る生肉は甘く、耐えがたい。
頭に狼の耳をもつ奴隷はしきりにこちらの顔色を伺っている。怖いのだろう。狼と犬は近縁主。どこぞで混じった遺伝子がその二つを分けた。それ故に、自分との体格の差におおのいている。
「西の地方で不穏な動きが見られました」
「と、言うと?」
「神を作ろうとして失敗しています」
ついと顎をあげて合図をするとメイドさん達が壊れた扉の向こうから一人の人間をつれてきた。身体中に不気味な切り傷を作られた人間は、手から先が犬の足に変えられていた。
その接合部は麻紐を使って乱暴にくくりつけただけで、腐り落ちていた。
首で揺れるどす黒い鎖が女の身分を表している。
「奴隷に何をしている?」
「貴方を模して作られています。これだけではありません。他に何十人とおります。」
「う」
死体が動いた。まだ生きている。
「可哀想にな。いま、楽にしてやるからな」
女は、俺の姿を見て身じろぎひとつしなかった。その気力もないのだろう。
血なまぐさい麻紐は簡単にほどけたが、腹の回り幾ばくかの黒い体毛をもった肉が解け合って体の一部になっていた。
不思議なものだ。人間に別の生き物の一部を植え付けると一定期間腐らずに保存される。
奴隷の女は長い前髪から不気味なほど冷たい目を俺に向け、腐り、黒くなった腕で抱きついてきた。
俺は狼の姿だ。殺されたいと思ったのかもしれない。
しかし、その細い首筋は熱く、まだ生きたいのだなと思った。
ぼとりと音がして一つの果実が転がった。血のように赤くガラス細工のように不気味な光沢をもった果実は、昨晩部屋で実った物であった。
慌ててそれを拾い上げるとなぜか奴隷はそれをじっと見つめて身じろぎひとつしなくなった。
この果実、不気味なことこの上なく、暖炉の火にくべようと燃えず、ナイフで切ろうとしても傷一つつかなかった曰く付きの果物だった。この世界の住民にも聞いたが、こんなものは知らないとのこと。
早く捨てなければならないと思うが、なにか知らなければ捨てた先でまた根を張ってしまうかもしれない。そう思って残していたがそれがまずかった。
奴隷は飢えていた。人でもお構いなしに食べるほど腹を空かせた女は、それを俺の手から口で噛みつくようにして奪うと上と下の歯の間に一杯に入れ、天井をあおぐようにしながら噛み締めた。
水風船が割れるように果実は弾けた。
真っ赤な汁はやがて黒い色へと変わり彼女の口の中で蒼より青い液体となる。
ゴクリ。
女の快楽に細められた瞳には、不気味な光が灯った。体は震え、じっとりと汗が顎を伝う。
「ああ神よ。貴方の血は我らの血に、そして肉は我らの肉に」
「どした? お前大丈夫か?」
心配したメイドが肩を揺すってはじめてそちらを見た。メイドは言葉を失う。その目にはもう、人としての尊厳や、慈しみといった感情が抜け落ちていた。
「神聖なお体をいただいた。君たちはこれほどの愛を受けたことがあるか?包み込まれるような……ああ、なんと……かぐわしい。今まで食べていたのは大便だった。飲んでいたのは小便だったに違いない」