暴走
目の前で刃物を出された。
咄嗟に手を出した。反射だ。ほとんどなにも考えていない。手を刃物は貫通するだろう。でも内臓までは届かない。
しかしそうはならなかった。
ついさっきまで話していたはずの少年は、今、目の前で自分の首を掻ききった。
首がぱっと横一文字に咲けて血の花が咲く。首から下が真っ赤に染まって、まるで花魁衣装みたいな鮮やかな赤に染まっていく。
考えている隙はなかった。目の前で人が死ぬ。それを防ぐために俺は魔法を行使した。
早急に、迅速に、焦って出したそれらは量も向きも間違っていた。
傷口はブクブクと泡立って消えていく。それで止まればよかったのに、首に浮かび上がった血管は尺取り虫のように脈打った。
まずい!!変えろ!向きだ!
青い光は床に、反射し部屋中を包む。
海面のようにうねったフローリングは、バキバキと音をたてて粉となり、不気味なほどごつごつした大木の根が部屋を突き破った。その根の先端は不気味そのもので、人間の指のように幾重にも枝分かれし、まるで生きているかのように壁紙を這い回っている。
その不気味な木々の幹をかけ上がるようにしてネズミが飛び出てきた。そのネズミは腹が膨れ上がっていて、どうやら妊娠しているらしい。その黒々としたビー玉のような目がくちゅりとつぶれて横たわる。死んだようだ。その遺体が一瞬のうちに灰へと変わり、腹の中から溢れた赤子がみるみると太って溢れ、床を埋め尽くした。
木々を青く染める魔法の光は壁に黒い影を残したが、今しがたその影の中でいく線万の瞳がまばたきをする。
俺にはそれが核爆弾で奪われた命のように思えた。
天井を押し上げ成長した木は、血の気の引くような不気味な音をたてて青々と茂った。
どさりと音をたてて巨大な獣の腕が床に落ちる。
俺の体はやはり狼へと姿を変え、うっすらと霞む青い光の中、ぽっかり開いた口の中に行列をなしたネズミ達がずんずん進んできた。獣の体を必死にかけ上がってくるのだ。
それが喉につかえるので呼吸もできず、涙ながらになんとか飲み下すと、壁の目はゆっくりと細めた。まるで笑っているみたいに。
気持ちの悪い投身自殺を見せられてこちとら気がまいっているというのに、お気に入りの椅子は木に押し潰されてその見る影もなかった。
天井もなくなってしまった。
「どうするこれ。雨漏りするぞ」
天井近くの枝には、不気味な一つの果実が実り、重そうに枝をしならせながら首を切ったばかりの少年の胸元にぽんと落ちた。
まるで食べろと言わんばかりに。
そしてそれは毒リンゴなのだろう。俺にはそういう予感があった。